志水博子
タイトル「慈愛による差別」にハッとさせられた。わかる人にはわかるタイトルかもしれないが、何とも奇妙なタイトルだ。常識的には“慈愛により差別はなくなる”と考えられているのではないだろうか。読みたいと思ったのは小夜さんが書かれた本だったからだ。
著者の北村小夜さんは1925年生まれ、来年には百歳を迎えられる。私は、『戦争は教室から始まる 元軍国少女北村小夜が語る』 (「日の丸・君が代」強制に反対する神奈川の会編・現代書館)を読んで以来、もっと小夜さんの話を聞きたいと思っていた。
2006年「改正」教育基本法が成立し、平和を目指したはずの戦後教育は、国家のための教育へと大きく舵を切った。翌年には、全国学力テストが復活し、競争序列化が進み、管理統制が強化された。『戦争は教室から始まる 元軍国少女北村小夜が語る』は、その危機感から編纂されたに違いない。「旗(日の丸)と歌(君が代)」に唆されて軍国少女に育ち、親より教師より熱心に戦争をした」小夜さんの話は決して過去の話ではない。そのまま現在の教育の危険性に繋がっている。その小夜さんが1991年に著された『慈愛による差別』の新装増補版として2020年に再版されたのが本書である。
本書にも「軍国少女北村小夜」が出てくる。「女でも直接お国に立てる時がきたと、間接的ではあるが戦争の激化を喜んだ」。そして、「日頃抑圧された位置にいてうだつのあがらない者程、戦争のような非常時を千載一遇の機会とばかり待つのではなかろうか。私自身いまだにどこかに非常時を待つものをもっているように思う」と。それが、戦争に駆り立てられる者の心理だとしたら、今は絶好の好戦どきかもしれない。
1950年、小夜さんは教師になった。「どういいわけしたところで教師は教師、特に日本の教師は、多かれ少なかれ墨ぬり教師と同様、時の権力の意図を伝達する機能を持つ」。これは教師の本質であり、それを意識しない教師は簡単に国の手先になるような気がする。
小夜さんは、「「少しでもましな教師になりたくて」特殊教育を学び、特殊学級の担任になる。そこで子どもから言われたことば、「先生も普通学級落第してきたの」、唖然とする小夜さんに、子どもは「先生なら大丈夫だよ、がんばってもう一度試験を受けて普通に戻りな」と。ここに来ているこの子たちがここへはほんとうはきたくなかったと悟り、小夜さんは、その日のうちに決心する、なるべくいれないなるべく戻そうと。「特殊学級を作れば、入るべき子ははてしなくつくられる」これもそのまま今に通ずる。いまだに文科省は分離教育をインクルーシブ教育だといって憚らない。
教育塔についても書かれている。教育の靖国神社といわれる教育塔は1936年殉職教職員と殉難した児童生徒を慰霊するために大阪城公園に作られたものだが、今も毎年殉職者を迎え、あろうことか日教組が主催し「教育祭」が行われている。教育祭は教育勅語発布の10月30日に開催される(最近はそれに近い日曜日にしているようだが)というのに。その最初の合葬者の中には「台湾総督府学務部員トシテ芝山麓ニ勤務中 土匪ノ蜂起スルニ遭ヒ 匪徒ノ凶刃ニカカリ殉職」した平井数馬もいる。私はそれを初めて知ったが、植民地主義からいまだ脱却できない日本人を如実に表しているではないか。
教科書に載る障害者の話についても小夜さんの視点は鋭い。けなげな障害者をたたえ、分際をわきまえさせる類の話ばかりで解放に向かって闘う人々は出ない。そして、それは私たちの障害者観ばかりではなく障害者自身にも影響する。分に応じる障害者は、世間から褒められ、励まされ、同情される。ところが分を超える障害者すなわち闘う姿勢を見せたとたんに拒まれると。それは今もある。
慈愛が差別ということが直に伝わってくるのは、障害者の集会に参列した皇族たちのことばである。障害者を「幸薄い人々」「薄幸な人々」と呼ぶ。このような関係性そのものが差別といってよい。
学校もまたその一役を担っている。それが最もよく表れるのは行事だ。来賓としてやって来た人があわれみにやってくる。「障害児が足をひいて走っただけで感動し、涙を流して、けなげだと称える。足をひいて走るのは、その子にとってそれが当たり前の走り方でしかないのにである」と小夜さんはいう。
慈愛が差別ということがだんだんわかってくる。「あわれむ人とあわれまれる者との関係を保っている限り、美談が生まれ続けるが、共に生きる関係は生まれない。」小夜さんの言葉だ。
ろう学校の教師であった乾尚さんの「難聴学級」の一部を紹介し、「敬わせるには、あわれみ、励ますことが有効である。それには障害者が都合が良い。学校や施設のようにまとめて管理されているところは、いっそう良い。管理する人々が、やんごとない人を迎えることで、己の仕事の質が高められるような錯覚を抱いて喜ぶからである」と評する。
戦後も残った天皇制は、私たちのごくごく日常生活の中で見事に機能している。私たちの中に潜んでいる慈愛による差別が炙り出されていく。それがある限り障害者への差別はなくならないだろう。
増補版として収録された「天皇制と道徳の教科化」「パラリンピックは障害者差別を助長する」「教育勅語から脱却できない日本人」は、資料を駆使して今の問題を丁寧に批判してくれている。これを受け止めなければと思う半面、そこから4年が経ち、事態はさらに悪くなっている気がする。
小夜さんは、「戦後、すぐにきちんとやるべきことをやっていなかった、戦争責任をきちんと問わなかったということのツケが、今あると思う。今からでも遅くはないから、そこのところをきちんとしていかなければならないと思います。天皇を含めた戦争責任をきちんと、私も含めた戦争責任を明らかにすることによって始まるんだと思います。」という。そうなのだ。どんなに年月が過ぎ去ってもあやまったことをそのままにしておくわけにはいかない。あやまちを繰り返さないためにも。
最後に、「慈愛による差別」とは逆説的な表現ながら言い得て妙、差別の本質を言い当てている。とすれば、私たちが差別を問題にするとき、天皇制を問題にしないわけにはいかないということか。小夜さんの話は今こそ聞くべき時かもしれない。