反靖国~その過去・現在・未来~22

土方美雄

靖国神社の「過去」~戦後、その公的復権への動き〜 その12

今回は、これまで、単に「終戦記念日」とされてきた8月15日を、「英霊の日」「戦没者慰霊の日」等として再制定し、その日に首相・閣僚等の公式参拝を実現するという方針が、如何にして確立され、実際にどのような形で、収拾されていったのかについての、新聞報道を、見ていくことにしたい。

8・15を「英霊の日」に(『神社新報』1980/8/1)

英霊にこたえる会全国的に運動展開

英霊にこたえる会(井本台吉会長)では、かねて靖国神社公式参拝の実現とともに8月15日を「英霊の日」とすることを決めてゐるが、本年も8月15日を中心とする全国統一行動を推進してゐる。

同会の「英霊の日」制定要項には、終戦の詔勅にしめされた「萬世ノ為ニ太平ヲ開カム」との大御心と当時の全日本人の心情を想起し、8月15日を「英霊の日」と定め、尊崇と感謝の誠をささげ、世界の平和に貢献する決意を新たにする日としよう、とうたはれ、その具体的目標として

①8月15日を全国民の「英霊の日」とする
②8月15日の正午を期し、全国民は英霊に対し尊崇と感謝の誠を表し黙祷を捧げる
③8月15日は官公庁、学校はもちろん、銀行、会社、更に各家庭においても半旗を掲
げる
④8月15日を中心とする前後一週間の間に各神社、寺院等にそれぞれ鎮魂、法要等の
行事をしてもらふ
⑤関係団体はそれぞれ英霊顕彰のためのリーフレット、パンフレット等の作成頒布、ま
た講演会、展示会等の行事をする
⑥新聞、雑誌、ラヂオ、テレビ等のマスコミ関係にも協力を求め、放送等を多く取扱っ
てもらふ
⑦これらの国民運動を広く継続的に行ひ、痕民の間に「英霊の日」が理解、認識され、
定着していく家庭においてこれを法制化する運動に移行する

の7点がかかげられてゐる。

本年もこの要項にもとづき(1) 各都道府県主要都市におけるチラシの配布(2)公式参拝実現のための署名運動(3)県議会及び市町村議会に対する公式参拝実現決議の要望書の手交(4)「英霊の日」制定要項解説パンフレット作成配布などの運動を展開してゐる。

8.15戦没者追悼・平和祈念の日 政府、近く正式決定(『朝日』1982/3/26)

総務長官の私的諮問機関である「戦没者追悼の日に関する懇談会」(座長石川忠雄慶大塾長)は25日、終戦記念日の8月15日を今年から「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とする最終意見をまとめ、田辺総理府総務長官に提出した。戦没者追悼にとどまらず、将来に向けた平和の願いを込めて命名したといい、政府はこれを受け、今月末にも閣議決定の形で正式決定する予定。具体的な扱い方は、民間団体や地方自治体が「自発的に」行事をするよう期待し、国民の大多数が素直に受け入れられる形式を望んでいるが、従来、「慣習」的に呼んできた終戦記念日を公式の日とすることによって、自民党内では靖国神社問題とからめて「公式参拝への道を開くもの」との期待もあり、今後議論を呼ぼう。

「戦没者追悼の日」問題はもともと自民党が昨年7月、「靖国神社公式参拝」の実現とセットで働きかけたもの。政府は「公式参拝」は違憲の疑いがあるとして応じなかったが、「追悼の日」については民間有識者による第三者機関に判断をゆだねたもので、懇談会は九月に発足してから、9回会合してきた。

懇談会内部では当初「鎮魂や平和祈念は本来個人の問題」として「日」制定には必ずしも全員が積極的だったわけではない。しかし、「戦没者追悼という後ろ向きのものではなく、前向きな平和祈念にアクセントを置いた日なら意義がある」との考えで全員が一致し、「日」制定に踏み切った。

〈解説〉靖国公式参拝が狙い/自民戦略 首相どう対応
政府は「公式参拝には違憲の疑いがある」(宮沢官房長官)との姿勢をとったが、「追悼の日」を検討することで妥協し、懇談会に判断をゆだねた。しかし、「追悼の日」制定を検討すること自体が、靖国神社をめぐる厚い壁を前に自民党がとった、迂回作戦であり、靖国神社法案の延長線上にあることは否定できない。

日本遺族会などを中心とする「英霊にこたえる会」は55年の総会で8月15日を「英霊の日」とする制定要項を承認し、自民党にその実現を働きかけていたほか、「追悼の日」制定を打ち出した自民党内閣部会靖国神社問題小委員会では当初「戦没者慰霊の日」といった表現も検討された。「英霊」や「慰霊」の表現にくらべ、「追悼」はより宗教色が薄く一般的な用語といえるだけに、最終的に的を絞った自民党の巧妙な戦略がうかがえる。

以下、続く。

*引用文の漢数字は本文横書きのため読みやすさを考慮し英数字に変換しました。

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