天野恵一
--この間、天野さん、いくつかの研究会、読書会にも顔を出しだしていると聞いていますし、このニュース(『市民の意見』)の編集会議にも出て来て、元気に発言し出しているので、何とかこの連載も続けられると判断して、始めたいと思います。
天野 本当にカラ元気で、あまり自信が持てないんですが、自分でも、引っ込んでしまいたくないという気分は、もちろんありますので……。
--始めます。2月23日の天皇誕生日の記者会見の言葉の問題からいきますか。天野さん、2月22日「奉祝反対」集会にも参加していましたから、全文、お読みになっていますよね。
天野 もちろん。そんなこと、あなたに心配されるようになっちゃ、ヤッパリお終いだね(笑)。
--チョッと心配しただけです(笑)。ドーゾ。
天野 元旦の能登地震の話から始まっているけど、雅子も自分も学生時代に行った場所でもあり、「その石川県において、多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております。亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、ご遺族と被災された方々に心からお見舞いをお伝えいたします」。
その後、被災地へは、時間を見て「お見舞い」に行くといい、「社会的に弱い立場にある人々を支え」る、「命と暮しを守る」ボランティア活動への感謝も忘れていませんね。
--エエ、大リーグでの大谷選手の「夢と希望」を与えてくれるプレーへの感謝も忘れていませんね。
天野 ウン。将棋の藤井聡太にも「明るい夢と希望」を与えてくれた人と、触れてますね。天才的個人を誉め、同様に感謝しつつ、〈3・11〉の被災地への「復興の前進」にも触れてますね。でも、まったく「復興」どころではない地域も人々もたくさんあるし、ある現実(事実)には、やっぱり触れていませんね。被災者を「心から」(これ、繰り返されてますが)心配したり、追悼したりする気持は、それなりに誰しもあるでしょうから、この事、それ自体に反対する気持ちなんてないわけですけど、ドウモネ~。
--なんです?
天野 この国家の「象徴」職の人、全国各地のどんな被災者にも、「心から」追悼したり心配し続けてるし、し続けるわけでしょう。ナンカ、オカシクない。だって、大切な人、一人失っただけで、心が砕けちゃうよ、本当は。
--わかります。
天野 「追悼」も「心配」も、本物の重みがないのね。日常的に、何の付き合いもない人々をまとめて、「追悼」したり「心配」したりする国家のためのパフォーマンスでしょう。国家の象徴の天皇のこういう「オコトバ」を読むたびに、思い出す論文があるんです。
--えっ、それは何。
天野 竹内好さんが、1958年に書いた「権力と芸術」という論文です。敗戦50年、1995年に作った「コンメンタール戦後50年」で私が編集した『大衆社会と象徴天皇制』の巻に収めていますよ。社会評論社でまとめた、あれ。
--以前にその巻紹介されたから、本は持っているけど、ナンカ、すごく難しい論文だったという記憶しかナイけど・・・
天野 そこに、こういうくだりがあります。戦後映画化された「蟹工船」に触れながらこう言ってます。
「映画では、原作では暗示にとどまっていた工員の反乱と、駆逐艦の軍隊による鎮圧が、劇のクライマックスとして取り込まれている。これは原作の今日における解釈として正しいばかりでなく、作品構成としても成功していると私は思う。しかし、そのために作品が薄手になった一面があることも否定できないように思う。反乱の鎮圧の場面は、迫力はあるが、私はあれを見ながら、心の奥で、こんなもんじゃないという気がしきりにしていた。ここでは、天皇制が物理的暴力としてとらえられている。確かに、国家は暴力の組織だが、その暴力を通してさえ、天皇制権力にはもっと底の深い、労働者を銃剣で突き刺すだけではあらわしきれぬ残忍なものがあるように思う。その点、小説『真空地帯』の方が映画『蟹工船』よりは深く天皇制の本質にせまっている。そして、それだけ芸術的である。/天皇制には、暴力と同時に『仁慈』がある。頭をなぐるだけではなく、なぐった頭を別の手でなでる。この仁慈の虚偽性にメスを入れるのでなければ、天皇制の本質はつかめない。映画『蟹工船』は、天皇制を一面的にとらえることで本質把握に失敗した。/日本的抵抗の諸類型は、バラバラでなく有機的に結合して、この不道徳の根元をえぐりださなければならぬ。それが日本の芸術の自立のための根本要請である」(傍線引用者)。
--フーン、「仁慈の虚偽性」って、何?
天野 「仁慈」は辞書的な意味では「いつくしみ恵む」とあります。インチキな「いつくしみ」、だから「不道徳の根元」。
いつくしみの言葉で頭をナデられてウットリしていてはいけない。そこにこそ、天皇制支配の恐ろしさがある。そういう主張だと思います。
戦後の象徴天皇制は、一応「天皇の軍隊・警察」という暴力装置は存在しないというかたちへチェンジしたから。〈仁慈の虚偽性〉の方へ純化されたものに変わったと言えると思います。だから天皇の「オコトバ」は、いつも弱者、被災者への慈愛に満ちたものになるわけですね。
--やっと天野さんのこだわっている問題が、わかってきました。ブンなぐる手と、なでる手がセットなんだ。
天野 ハイ、とてつもない〈欺瞞〉がつめこまれた言葉であることに気づくべきですね。
--「愛子」さんの就職問題にも触れて、ずいぶん長々と語っていますね。
天野 「日本赤十字社への就職に関しては、愛子は、成年の記者会見の時にも、『自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動している災害ボランティアの姿に非常に感動をうけました』と申しましたように、人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います。そのような中で、愛子は、昨年には私や雅子と共に、日本赤十字社から日赤の行なっている様々な活動についてのお話を伺ったり、日本赤十字社で開催された関東大震災時における日赤の救護や医療活動などの展示を見に伺う機会がありました。このようなことを通じて、日赤の活動に携わることで、少しでも社会に貢献したいという気持ちを強く持つようになったと思われ、私たち家族ともよく話し合い、日赤で勤めることを希望いたしましたところ、日赤側にも快諾していただいたことはとても有難いことでした」。「愛子には、この4月から日赤の一員として多くの人のお役に立てるよう努力をし続けてほしいと思いますし、……」
日赤の「快諾」なんて、庶民の就職話じゃあるまいに、そんな話なわけないのに。
--エッ、なんで。
天野 長く、障碍者問題に取り組んできている北村小夜さんの、天皇と日本赤十字社の関係についての文章を紹介します。彼女は戦中、日本赤十字社救護学校看護婦として日本軍侵略の地、中国ヘ行った体験の持主です。
「日本赤十字社は、西南の役(1877年)に際し、傷病兵を看護するため、元老院議官佐野常民、大給恒らによって創立された『博愛社』を前身にしている。/1886年赤十字条約に加盟し、1887年から日本赤十字社と改名、創立と経営維持は昭憲皇太后(明治天皇の皇后)基金によるところが大きい。引き続き大正天皇の皇后、貞明皇后もこの基金に寄付してきた。/戦後は昭和天皇の皇后である現皇太后(当時)の配慮により基金が維持されてきたと言われている。/1952年、日本赤十字法により特殊法人日本赤十字社になった。/昭和天皇は誕生日に、他の社会事業団体と共に毎年基金を贈ってきた。/このように創立時から皇室と深い関係をもってきた日本赤十字社であるが、現在も皇后が名誉総裁、皇族のすべてが名誉副総裁として名を連ねている。1990年度要覧は1月20日現在であるので載っていないが、秋篠宮夫妻も追加されるはずである。/毎年5月1日の創立記念日に行なわれる全国赤十字大会には、ほとんどの皇族が参加する。/最近、日本赤十字といえば、災害時の援助を考える人も多いと思う。そのために三省堂の『大辞林』を見ても『災害、疾病の救助、予防にあたる機関』とあるが、実態はそうではない。次に示す第一期国定教科書国語にある通り、戦争遂行の為に必要な機関である。だからこそ天皇・皇后が維持に懸命になってきたのである。/私が日本赤十字社救護看護養成所に行ったのは、それが女が行ける陸海軍に最も近い位置、というより陸海軍と一体であったからである。敵味方区別なくというが、日本軍に付随して動くのだから区別は明らかである。区別した上でなら敵を助けることも確かにあった」。
--なんか、恐い話になってきたわね。
天野 ウン、長く引きすぎているから、紹介されている「国定教科書国語」の「赤十字」の頭の部分だけ引くね。
「軍人ガ、戦場ニテ、戦フトキ、家ヲ忘レ、身ヲ忘レテ、タダ『国ノタメニ、ツクサン。』ト思フノミナリ、コノ心ハ、ミカタト敵トニヨリテ、カハリアルコトナケレバ、傷ヲウケタルモノ、マタハ、病ニカカリタルモノアルトキ、敵、ミカタノサベツナク、コレハ助ケ救フコトハ、博愛ノモットモ大ナルモノナリ」。
--ウーン、ソウカ。愛子さん、災害ボランティアにあこがれて「赤十字」入りなんて、美しい話ではないわけね。
天野 そう思います。新しい「戦前」に向けた軍拡日本の現実とかかわらせて考えるべきことですね、この件も。
アッ、北村小夜さんの本のタイトルは『慈愛による差別』(梨の木舎)です。
--タイトルも、天皇制批判の言葉ですね。
天野 ソウデス。天皇制のふりまく「慈愛の虚偽性」を批判するモチーフで書かれた本ですね。サブタイトルは「象徴天皇制・教育勅語・オリンピック」です。大日本帝国憲法下の「現人神」天皇制から戦後の象徴天皇制に連続する、なぐった頭を「なでる手」の方をキチンと問題として対象化させている本です。
--本当は、愛子さんの「日赤」入りから、彼女に関する限りギリギリの時間に入っている女性(女系)天皇制の問題も、キチンと論理的に整理してもらいたかったのですが、だいぶお疲れのようですし、今回はここまでにしましょうね。
天野 ありがたい。次回は「女性(女系)天皇問題」を、原理的問題を踏まえて、すでにあった論争(論議)を具体的に紹介しながら、キチンと話したいと思います。
--次回も予約できましたので、今日はこのへんで。
*初出:『市民の意見』 市民の意見30の会・東京発行、no.202,2024.04.01