秋篠宮の表現規制発言−−誕生日会見報道

中嶋啓明

12月9日の新聞各紙にはまたウンザリさせられた。

この日は雅子の誕生日。例年、雅子は宮内庁を通じ、誕生日に合わせて感想を文書で公表している。この日の各紙朝刊には、通常の本記のほかに感想の全文や要旨が載り、さらに一つの紙面全面を使った特集などの数々の記事が踊った。還暦と結婚30年を口実に、オベンチャラで塗れさせたそれらの記事はいわく––、

「私の果たすべき役割は、皇室という新しい道で自分を役立てることなのでは––。(略)天皇陛下と喜びも悲しみも共にし、いま、自分らしく皇后の道を歩んでいる」(「絆と歩む 自らの道」『朝日新聞』)、「外交官から皇太子妃になり、さまざまな困難に直面したが、天皇陛下に支えられながら乗り越えてきた。還暦に加えて結婚30年という大きな節目でもある今年、多くの行事に出席し、人々と笑顔で語り合う姿を見せた」(『「人の役に」たゆまぬ歩み』『毎日新聞』)等々等々…。気持ち悪いったら、ない!

1年のうち、特に11月から12月にかけては、皇族の誕生日が相次ぐ。

11月30日は秋篠宮だった。この日は、こちらも例年通りメディアは、解禁の条件付きで数日前に行われた記者会見の様子を一斉に公表した。当日の新聞各紙を見ると、雅子のときに比べて紙面展開は“穏やか”(?)で、少々拍子抜けするほどだった。自分の感性が麻痺するのを危惧する。

そもそも記者会見は基本的に、メディアが時には団結し、当局者や権力者を相手に丁々発止のやり取りをして追及する場として期待される。しかし、こと天皇、皇族が相手の場合、そんな場になることは決してない。だいたい、出席できるメディアは厳しく制限されて記者側からの質問は項目数が限られる。それどころか質問事項を事務方を通じて相手に事前に示し、検閲されて、内容によっては差し替えるよう要求される。そんな出来レースでしかない“儀式”を、「記者会見」と呼んでいいのかとの疑問が消えることはない。

ちょうど発売日が誕生日に当たった『週刊新潮』の12月7日号は『「50億円宮邸改修」批判に「理解を得るのは難しい」』と掲げ、次のように書きだしている。

『従来、天皇陛下や皇族方のお誕生日会見では「一年を振り返って」「ご家族のお過ごしよう」といったことを伺うのが定番であった。宮内庁の記者会が事前に質問を提出し、これをもとに当日、御自らお答えになるという形式で』

当局からの制限を受け、ただでさえ短い会見時間は、最初から「一年を振り返って」だの、家族の様子だのといった内容に多くを取られるようにレールが敷かれているのだ。

宮内庁のサイトにある秋篠宮の会見の記録を見ると、今年も当初の質問数は5つに限られ、その中でも記者会側が、何とか内容を盛り込もうと“苦心”した様子がうかがえなくはないが、やはり「定番」が踏襲されている。

そんな今回の会見でメディア各社は、一つの問題に焦点を当てて報じた。当日付の新聞各紙の見出しをいくつか見てみる。

『読売新聞』は「秋篠宮58歳」をメインタイトルに、『公務見直し「必要」/皇族の数減少』とサブ見出しを掲げた。『毎日』は『皇室活動「見直し必要」/秋篠宮さま58歳誕生日』、『産経新聞』は『皇族減少「活動見直しも」/秋篠宮58歳』だった。『日本経済新聞』もメインは『「公務見直し必要」』、『東京新聞』はサブタイトルが『皇族減少「見直し必要に」/総裁職』だ。

先の『週刊新潮』のように、この間、雑誌メディアは、宮邸の改修費をめぐる話題で沸騰(?)している。

『朝日』だけは『宮邸改修巡る公表「私がぐずぐずしていた。先延ばし反省」』と、少々、異例の長めのサブ見出しを掲げたが、そのほかはいずれも「公務見直し」とやらを、会見のメイントピックとして捉えているのが分かる。

会見で記者会側は、何のためらいもなく「公務」という言葉を使っている。秋篠宮は「公的な活動」との表現で応じた。

家族の様子を尋ねる中で記者会側は、佳子について「手話を使った公務や国際親善のためのペルー訪問など多くの公務に」取り組んでいるとゴマをすった。皇族に「公務」はあるのか、とのごくごく根本的な問題意識は、記者たちの頭には、もはや存在しないのだろう。メディアは天皇・皇族と共謀して、憲法を空洞化させていく。

そんなメディアだから、秋篠宮にこんな妄言を吐かれても平気なのだろう。秋篠宮は次のように語った。天皇・皇族からの「情報発信」をめぐる認識を問うた質問に対する秋篠宮の答えだ。

「バッシングと取れる報道とかSNSでの声についての感想(略)を言うのは難しいなと思います。(略)ネットユーザーの中のどれくらいのパーセンテージでそういう発信をしているのか、私もこれから少し調べてみる必要はあるのかなと、(略)全体の利用状況といいますか、そういうもののことですけれども、して(調べて)みたいと思います」。

言論・表現に対するチェックに、自ら乗り出すとの宣言だ。

「公務見直し」をめぐる考え方も、「宮邸改修」についての認識も、どちらもメディアが批判的に監視すべき重要な課題であるとの考えに異論はない。そして、その役割をメディアが全く果たしていないことは、あらためて指摘するまでもない。

だが、先の表現規制発言をめぐっては、『朝日』も含め在京大手紙は、まったくと言っていいほど触れていない。『産経新聞』は「皇室の情報発信 広報室と密に連携」との見出しを掲げたサイド記事で、関連発言に焦点を当てた。だが、「皇室の情報発信が重要との認識を改めて示された」と評価する一方、表現規制の部分については巧妙に言及するのを避けた。

メディアが拠って立つ基盤を掘り崩そうとする妄言。にもかかわらず、この鈍感ぶり。

退廃も極まれりだ。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信』no.216,2024.03

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