徳仁の戦争加担を隠蔽――ウクライナ「要人」と面会

中嶋啓明

なかなかに大胆な(⁉)、徳仁のある行動が、たいして話題になっていない。さして大きく取り上げられず、続報もない。これもまた「天皇報道」の一面かと、ここに書いておくことにした。

徳仁は9月8日、訪日したG7各国の議会メンバーらを皇居に招き、会見した。

宮内庁はサイトのトップページで、徳仁らの活動の一つとして、写真と共に紹介している(9月20日現在)。「第21回G7下院議長会議に出席する各国下院議長等をご引見になる天皇陛下(令和5年9月8日)」と。「天皇皇后両陛下のご日程」のページにも、同日の項に徳仁の行動として「ご引見(第21回G7下院議長会議に出席する各国下院議長等(宮殿))」と記録されている。

翌日の新聞各紙を流し読みしていて、「ん⁉」と思った。あらためて読み比べて腑に落ちた。まずは、各紙の記事の見出しを見てみよう。

9日付朝刊の第3社会面に載った『毎日新聞』の記事は、ベタの横見出しをこう取っている。「陛下、G7下院議長らと面会」。

『産経新聞』では第3社会面の最上段。横2段で「陛下、G7下院議長らとご面会」と掲げた。

共同通信は「G7下院議長らと面会/天皇陛下、皇居・宮殿」だった。

一方、『読売新聞』は大きく違う。

「陛下 ウクライナ要人と面会/露侵略後 初」。

見落としがなければ、『朝日新聞』『日本経済新聞』『東京新聞』の各最終版には、記事そのものがなかった。

見出しだけを斜め読みしていたら、『読売』以外では面会者の中にウクライナ「要人」が含まれていたことは分からなかったろう。

記事本文を再読した。

『読売』記事のリードはこうだ。「天皇陛下は8日、皇居・宮殿で、先進7か国(G7)下院議長会議のため来日した各国議長とウクライナ最高会議議長ら計9人と面会された。ロシアによるウクライナ侵略後、陛下と同国要人の面会は初めて。」

『産経』は「天皇陛下は8日、皇居・宮殿「連(れん)翠(すい)」で、先進7カ国(G7)下院議長会議に出席するため来日した各国の下院議長や、ウクライナ最高会議議長と面会された」と書き起こし、記事の末尾で「ロシアによるウクライナへの侵攻後、陛下がウクライナの要人と会われるのは初めて」と「意義付け」している。

一方、『毎日』は共同通信の配信記事を下敷きにしているようだが、リードでウクライナ最高会議議長が参加していたことには触れていない。本文で同議長も一員であったことを伝え、徳仁とのやり取りを紹介してはいるものの、先の2紙のような「意義付け」はない。

徳仁は昨年8月、ウクライナの「独立記念日」に大統領ゼレンスキーに「祝賀」の書簡を送っている。だが、「要人」を直接、招いて面会したのは初めてだ。いわゆる「元首」は、同国の場合、大統領がそれに相当するのだろうが、最高会議議長は、これに次ぐ「要職」だろう。元首「級」と言えるポストの「要人」だ。

昭和天皇裕仁は、ベトナム戦争の真っ最中に欧州訪問の途次、米国に立ち寄り、大統領ニクソンと会談した。前天皇明仁は、イラク戦争、アフガン戦争中もアメリカの大統領と面会、会見、会談を重ねた。イラク戦争中には米副大統領チェイニーと会見。このとき明仁は、自衛隊のイラク派遣を「復興支援のためだ」と強弁して、海外派兵にお墨付きを与えている。

世界中で長期間、常に戦争を仕掛け続けるアメリカのトップとは、歴代天皇は直接、会ってご機嫌を取り続けた。象徴天皇制の成り立ちから、ご主人のアメリカ様の顔色を窺わないわけにはいかないのだ。

だが、それ以外に、戦争のさなかに一方当事国の「リーダー」と会い、「拝顔の栄」に浴させるなど、これまでなかったのではないか。その程度には、天皇制も慎重だった。

だが今回は、そこに踏み込んだ。すでに政府は、ウクライナ側への肩入れに前のめりだが、その姿勢に徳仁がお墨付きを与え、後押しした。天皇の戦争加担。なのに、まったくと言っていいほど、話題にならない。メディアは問題にしない。

初報の後、週刊誌や月刊誌が取り上げないだろうかと待ってみたが、今までのところ、まったくその気配すら、ない。

天皇制はこれまで徐々に前例を破り、行動範囲を広げながら政治的自由を獲得してきた。そして、その行動範囲は、直接的に「戦争」にかかわる事柄に及んできている。

宮内庁が、面会者の中にウクライナ「要人」がいたことを隠しているのは、何か思惑があってのことか。未だ、臆面もなく堂々と戦争に首を突っ込むわけにはいかない。しかし、民衆の警戒心を少しずつ解きほぐす必要がある、と。そんな下種の勘繰りもしたくなる。

メディアの報道ぶりは、そうした天皇制・宮内庁の掌の上で踊らされ、役割分担を忠実に演じているだけのようにも見える。

政治的自由獲得のための前例破りでは最近、こんな例もあった。

「皇室会議」の皇族議員を選出するため、9月7日に行われた成年皇族による互選で、予備議員に当選した上皇后美智子が、就任を辞退した。辞退者が出たのは初めてで、「上皇さまの意思を反映しているとの誤解を避けるため」と報道されている。「皇室会議」を規定した「皇室典範」に、「辞退」についての言及はない。だが、「上皇さま」との印籠さえ持ち出せば、なんとなくみんな納得する。それどころか、ありがたきご配慮、思し召しとして崇めたててくれる。「気に入らないから、やらない」も、「好きだから、やらせろ」も、今後、様々な局面に、そんな好き勝手が浸透していくのではと危惧する。

宮邸の改修工事等をめぐって今、秋篠宮「家」が“袋叩き”だ。それはそれでおもしろい!? 天皇制維持が、どれほどの税金の無駄遣いか。問題意識が広がるのは歓迎すべきことだ。

同時に、“些細な”事柄であっても、その積み重ねで政治的自由の拡張を図り続ける天皇制の姑息な動きにも、やはり目をつぶるわけにはいかない。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信』no.215,2023.11

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