ケニアを訪問中のチャールズ国王、植民地時代の虐待への応答を求める声に直面

要約・翻訳:編集部

Abdi Latif Dahir
New York Times 2023/10/31

ケニア、ニエリとナイロビから報告

年配のケニア人は英国植民地時代の謝罪と賠償を求め、
若いケニア人は近年の英国企業や軍隊による虐待疑惑を認定するよう求めている。

86歳になったジョセフ・マチャリア・ムワンギは、ふしくれだった手でステッキを握り、ケニア山に面した彼の小さな土地を歩き回りながら、イギリス植民地政府と戦って過ごした数年間を苦々しげに回想した。70年前、彼はマウマウの反乱軍に加わり、その山や森でキャンプを張り、極寒の雨やライオンや象を凌いだ。彼は英国軍に2度撃たれ、死にかけたという。最終的に植民地軍に捕まったとき、彼は拷問を受け、2年間の重労働を言い渡された。「イギリス軍は私たちに本当にひどい、恐ろしいことをしたのです」。伝説の反乱軍リーダー、デダン・キマティの直属の部下だったムワンギは語る。「今、私たちは彼らがしたことに対する謝罪と賠償を求めています」。

チャールズ3世が火曜日(10月31日)に4日間の日程でこの東アフリカの国への公式訪問を開始したとき、その植民地時代のおぞましい過去が大きく立ち現れてきた。昨年国王に就任して以来、英連邦加盟国への国賓としての訪問は初めてであり、アフリカへの訪問も初めてである。チャールズとカミラ王妃が到着したケニアでは、多くの地域社会がいまだに痛みや喪失感をかかえている。その痛みや喪失感とは、1895年から1963年まで続いた英国の植民地支配の数十年間に彼らや彼らの家族が耐え抜いてきたものだ。国王は、人権団体や長老、活動家たちから、歴史的な不正義を償い、拷問を受けたり先祖代々の土地を追われたりした人々に謝罪し、賠償金を支払うよう圧力を受けている。

火曜日の晩、国賓晩餐会のスピーチで、チャールズ国王は直接的な謝罪や賠償はしなかったが、「過去の悪い行ないは最大の悲しみと深い後悔の原因であります。(独立運動を闘っていた)ケニア人に対して、忌まわしく不当な暴力行為が行われました」と述べ、次のように付け加えた。「それらに対して弁解の余地はありません。いま再びケニアを訪問するにあたり、私にとって非常に大切なことは、これらの過ちに対する私自身の理解を深めること、そして、生活や地域社会に深刻な影響を受けた人々のうちの何人かに会うことなのです」。

国王一家はケニアと深い関係にある。国王の母であるエリザベス2世は1952年、動物保護区のティーントップス(ケニアの動物保護区にある有名なホテル)滞在中に、父親が亡くなり、自分がその跡を継ぐことになったと知らされた。その年、英国はマウマウの反乱軍に率いられたケニアの独立運動を鎮圧するため、8年間の血みどろの軍事作戦を開始したのである。

ケニアのウィリアム・ルト大統領は、チャールズとカミラ夫妻を公邸の晩餐会に招いた際、スピーチの中で笑顔を浮かべながら、チャールズの「私たちが共有する経験のうちの暗い部分に存在する不愉快な真実に光を当てようとする、模範的な勇気と準備」を称賛した。ルトはこれを「勇気ある最初の一歩」だとしながらも、「植民地政府によってケニアのアフリカ人に与えられた死傷と苦痛を償う努力はなされてきたが、完全な賠償を達成するためには、まだ多くのことが残されている」と付け加えた。

若い世代のケニア人のなかには英国国王に無関心な人もいれば歓迎する人もいるが、その多くは君主制のむごたらしく残酷な過去を知り、軽蔑の念を抱いている。多くのケニア人は、他の旧イギリス植民地の動静、すなわちバルバドスなどが君主制との関係を断ち切ったこと、あるいはジャマイカなどが断絶を検討していることに強い関心を抱いている。ケニアは共和制国家であるが、英連邦に属している。チャールズは政府の公式メンバーではいないが、英連邦の長である。五大陸にまたがり56カ国からなる英連邦は、大英帝国の残り火から生まれたのである。

英国がケニアでの虐待について直接の謝罪をしたことは一度もなく、遺憾の意を表明してきた。10年前の訴訟の後、英国はマウマウ蜂起の際に虐待を受けた5,000人以上の人々に約2,000万ポンド(2,430万ドル)を支払った。ただしムワンギはその中に含まれていない。ケニア人の作家で、社会的な批評を込めた演劇、ポッドキャスト、ミュージカルを制作するLAM シスターフッドの共同設立者であるアリア・カッサムは述べる。「チャールズがケニアにやって来て心穏やかに過ごすなどということはあり得ないです」。

しかしチャールズにとってこの旅は、紛争の多い地域における重要な経済的・軍事的同盟国であるケニアと英国の関係を強化するチャンスなのである。長年環境保護活動に携わってきたチャールズは、ナイロビ国立公園を訪れ、ノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイの生涯を記念するイベントに出席する予定だ。このイベントは、マータイが2011年に亡くなる前に開発業者から救ったカルラの森でおこなわれる。ワンガリ・マータイの娘であり、今回の訪問で国王と面会する環境活動家のワンジラ・マータイは「国王が持続可能性と環境の問題に関して、何十年間も影響力を行使し支援してきたことには敬服しますし、認められるべきだと思います」という。ワンジラ・マータイによると、チャールズと彼女の母親は親しい友人で、環境維持や気候変動について、様々な会議で、あるいは彼のオフィスでお茶を飲みながら、何時間も語り合ったそうだ。

火曜日(10月31日)、チャールズとカミラは1963年に独立が宣言された場所にある新しい歴史博物館を訪れた。英国政府がマウマウに属していた、あるいはマウマウに協力したと疑われる人物を片端から逮捕しようとした戒厳令時代など、英国の植民地過去を記録した展示物を見ながら、チャールズは両手を後ろに回して時折うなずいた。

ケニア最大の民族であるキクユ族を中心とする何百万人もの人々が、この時期に一網打尽にされ、強制的に移動させられ、有刺鉄線のフェンスと尖った柵が並べられた塹壕に囲まれた収容所や村に入れられた。彼らの多くは拷問され、レイプされ、強制労働に従事させられ、病気や飢えで死ぬまで放置された。この弾圧によりキクユ族は分裂した。植民地当局と協力した人々は広大な土地へのアクセスを獲得し、彼らとその相続人は今日もその恩恵を受け続けている。マウマウのスパイ兼料理人として活動したジェーン・ワンゲチ(96)は「あの村では多くの苦しみがあった」と語る。彼女は、家族で3年間強制収容村に移住させられ、その間に叔父2人といとこ1人を亡くしたという。

国王はまた、新旧の虐待や不正の責任を問う声にもさらされている。ケニアの大地溝帯一帯では、ナンディ族の長老たちがイギリス政府に対し、精神的指導者であり反植民地活動家でもあったコイタレル・アラップ・サモエイの首を返すよう求めている。ナンディ族の長老たちによれば、彼の首は19世紀後半にイギリス軍将校によって切断され、戦利品としてイギリスに送られたという。ナンディ族はルト大統領が属するカレンジン族の一員である。また、キプシギス族の指導者たちは、肥沃な土地から強制的に追い出されたことに対する補償を求めている。白人たちはその土地へ入植し、収益性の高い紅茶やパイナップルの農園を建設したのだ。英国企業が所有する紅茶農園での性的虐待に関する今年のBBCの報道が、ケニアの土地をめぐる憤りと緊張に火をつけた。

さらに、チャールズの訪問は、依然としてケニアに駐留する英国軍兵士の行動に対する不満を再燃させている。訓練のために駐留している約400人の英国軍人で構成される部隊の一部のメンバーは、女性への性的虐待、大火災の放火、有害な化学物質の使用などで告発されている。2012年にはある英国軍兵士がセックスワーカーのアグネス・ワンジルを殺害した容疑者となったが、逮捕も起訴もされなかった。二国間協定により、英国軍兵士は訴追を免除されているからだ。それを変えたいと考える議員たちにより、8月、ケニアの議会は英国軍兵士の活動に関する調査を開始した。

「アグネスは決して安らかに眠ることができません」。ワンジルさんの姪、エスター・ムチリさんはインタビューに答えた。「私たちは国王に特別扱いを求めているのではありません。ただ正義を貫いてほしいのです」。

Abdi Latif Dahirは本紙東アフリカ特派員
クオーツ紙で3年間東アフリカを担当後、2019年入社、ケニア、ナイロビ在住

 

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