天皇とお猿電車のお猿・貴志駅駅長「たま」 【即位・大嘗祭違憲訴訟 陳述書】

*この文章は、即位・大嘗祭違憲訴訟の原告であり、訴訟の会の呼びかけ人代表である佐野通夫さんが裁判所に提出した「陳述書」です。この陳述書をもとに法廷で陳述もなされました。訴訟の会と筆者の承諾を得て掲載します。

意見陳述書
2023年10月11日
東京地方裁判所民事第10部合議C係 御中
原告 佐野通夫

2018年12月10日、私たち241人は、政教分離原則や人民主権原理に違反する即位の礼・大嘗祭の差止を求めて東京地裁に提訴しました。そして19年3月31日、77人が二次訴訟を提起しました。合わせて318人の原告に代わり結審にあたり、原告の思いを伝えます。

訴状の「請求の趣旨」は、
1 被告は、原告番号1ないし13との間で、別表記載の即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式のために国費を支出してはならない。

2 被告は、原告ら各自に対し、それぞれ金1万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済みまでいずれも年5分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。
でした。

そしてその後、「国民祭典」についての訴えが加わりました。

1 裁判所に望むこと
私たちは、儀式自体の差し止めを求めるとともに、違憲違法な儀式が強行されたことに関して国家賠償を請求しました。ですから現在でも事件名は「即位の礼・大嘗祭等違憲差止等請求事件」となっています。しかし、私たちが1つのものとして提起したこの訴訟について、裁判所は勝手に2つの裁判とし、しかも、口頭弁論も行なわないで差止訴訟(一次)について私たちの敗訴を決めました。

本来民主主義国の裁判は、人民の付託を受けて紛争のある当事者の弁論を聞き、それに主権者の代理人としての裁判所が調整をはかるべきものです。相手が国であり、行政であるからといって、この原理は異なるべきものではありません。

本裁判所においては、日本国憲法第76条第3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」に基づき、また日本国憲法前文の主権在民に従い、日本国の民主主義の再生のために、歴史を踏まえた正しい判断を下すことを望みます。

2 今回の「即位」の異常
徳仁が「即位」して、既に5年の時が流れてしまいました。今回、私たちの提訴に至る天皇明仁の退位と、天皇徳仁の「即位」は、2016年8月の天皇明仁の「ビデオメッセージ」に始まり、2017年6月16日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」という「法律」が作られたことを思い返すべきです。

日本国憲法が規定している国事行為以外の天皇の行為は、憲法原理からは認められるものではありません。「象徴としての公的な御活動」なぞ、憲法上、存在しえないのです。それどころか、天皇は憲法が定めた特別の公務員として「憲法を尊重し擁護する義務を負」います(日本国憲法第99 条)。

たとえば、かつては、上野動物園で、先頭に猿が座るお猿電車がありました。これは初期には猿が運転することもあったようですが、危険だということで、猿による運転は中止され、先頭車に座るだけとなりました。2007年には、和歌山電鉄貴志駅において、猫の「たま」が駅長として任命されました。しかし、猫が勝手に出発の合図をしたりするような事はありません。猫のたまは、あくまで駅長として存在するだけで、勝手に電車を動かしたりすることはありません。「象徴」天皇は、例えば、この猫のたまのような存在でなければならず、「象徴」が勝手な動きをしては危険極まりありません。

今年は、関東大震災朝鮮人虐殺から100年の年です。この時、戒厳が発令されました。大日本帝国憲法第14条には「1. 天皇ハ戒嚴ヲ宣吿ス 2. 戒嚴ノ要󠄁件及󠄁效力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」とされていましたが、1923年の戒厳は緊急勅令をもって戒厳令の一部を一定の地域に施行し、兵力をもってその地方を警備させたものです。閣議は未決、枢密院の諮詢もないという当時の法令発令の要件をも欠くものでありました。しかし、摂政裕仁が署名押印し、国務大臣が輔弼連署した以上、法令として効力を発揮し、その後の朝鮮人、中国人、社会主義者虐殺につながるものとなりました。このようなことがあったため、日本国憲法は天皇を「象徴」とし(同第1条)、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行」う(同第4条)と定めました。この意味を裁判所は十分に考えるべきであります。

3 「儀式を行ふこと」
天皇位は日本国憲法上、世襲のもの(同第2条)とされており、天皇となるための手続きは何も必要とされていません。現に天皇裕仁から天皇明仁への交代は、裕仁死去によって即時に明仁就任となっています。しかし、天皇明仁就任の際の1990年には、「即位の礼・大嘗祭」が123 億円という膨大な税金をかけて行なわれました。皇室典範には「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」とありますが、即位の礼の内容についての定めもなく、大嘗祭は、記載すらありません。実際に行なわれた即位礼と大嘗祭をふくむ一連の諸儀式は、政教分離・主権在民原則の憲法原理に反するものであり、大阪高裁1995年3月9日判決は、「違憲の疑い」を明確に判示しました。

そもそも、「すべて皇室財産は、国に属」するもの(日本国憲法第88条)であり、その財産も、天皇が日常的に使っている経費も、もともと私たちの税金です。

日本国憲法第7条第10号「儀式を行ふこと」は、さきのたま駅長と同じく、1号から9号に具体的に列挙されている国事行為を行なうこと(認証式等)と解釈されるべきで、任意の儀式が日本国憲法第7条第10号の「儀式」と解釈されるべきではありません。天皇は「憲法を尊重し擁護する義務を負」う公務員でなければなりません。

最後に改めて本裁判所には歴史を踏まえた正しい判断を下すことを望みます。

以上

 

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