反靖国~その過去・現在・未来~(13)

土方美雄

靖国神社の「過去」~戦後、その公的復権への動き~ その3

以下は、拙著『靖国神社 国家神道は甦るか!』からの、抜粋である。

土方美雄著『靖国神社 国家神道は蘇るか!』(天皇制論叢1、社会評論社、1985年)

1962年、日本遺族会の会長に、かつての「A級戦犯」賀屋興宣が就任し、翌63年には、その遺族会内に、「靖国神社国家護持に関する委員会」が設置された。自民党も、これに合わせて、遺家族議員協議会内に、「靖国国家護持問題等小委員会」を設け、65年、遺家族議員協議会は、総会で「靖国神社国家護持」を、決議した。

その前年の64年8月15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」は、ついに、靖国神社の境内で、堂々と、開催された。批判を恐れて、拝殿前に幕を張り、タテマエとしては、非宗教的式典(笑)を装うものではあれ、そこに、天皇・皇后が、出席したのである。
これで、あとは、国家護持のための、法案づくりを、残すのみである。1966年、自民党遺家族議員協議会は、「靖国神社法立案要綱」を作成した。自民党は、これを受けて、「靖国神社国家護持の積極的検討」を、選挙公約に掲げた。

67年に入ると、自民党は政調会内閣部会内にも、靖国問題小委員会を、設置した(委員長山崎巌)。この年の8月15日には、靖国神社の境内で、「靖国神社国家護持法貫徹国民大会」が開催され、国家護持法案の成立に向け、気勢を上げた。

これに対し、同年7月以降、日本キリスト教団をはじめ、プロテスタント系各派や、全日本仏教会、日本宗教団体連合会等が、相次いで、靖国問題対策委員会等を、設置した。11月には、浄土真宗本願寺派が、反対声明を出した。

68年に入ると、1月に、日蓮宗が反対声明、4月には、全日本仏教会、5月には、新宗連が、それぞれ、反対声明を出した。カトリック中央協議会も、信徒の反対運動を認めるという形ではあれ、反対の意思表明を行った。8月、反対派による連絡会議が設置され、反対運動の裾野は、急速に、拡がっていった。

しかしながら、そうした、主に、宗教界の反対運動の高まりとは裏腹に、いざ、法案作成の段階になって、自民党と、靖国国家護持推進勢力の間に、法案の中身に関する、様々な小競り合いが、くり返されることになった。

1967年3月、自民党の遺家族議員協議会内の、靖国問題小委員会は、「靖国神社法案」の検討を開始し、6月になって、同委員会の村上勇委員長が、「村上私案」をまとめた。ところが、青木一男議員等一部の議員が、「英霊合祀奉斉の規定が明確でない」と、村上私案に反対し、日本遺族会等も、それに同調したことから、村上委員長は修正案を作成し、6月22日の時点では、その修正案が、承認された。

ところが、7月に入ると、青木一男議員が「靖国神社法案に関する意見書」を提出した。これは、村上委員長の修正案でも、なお、「英霊奉斉の規定が不明確だ」と、主張するものであった。ところが、今度は、衆議院法制局が、「青木意見書に対する見解」を、発表した。「英霊の存在を前提として、これを神として祀ることを目的にすることは、宗教の問題と結びつき、憲法との整合性を欠くものである」と、青木意見書に、警告する内容だった。

結局のところ、村上委員長は、結論を出すことが出来ぬまま、法案の検討を、政調会内閣部会内の靖国問題小委員会に、委ねることになった。

同会の山崎巌委員長は、村上私案の修正案を叩き台に、67年の11月に、(村上私案の)第二次修正案を、68年2月には、さらに第三次修正案を、「山崎私案」として、各界に、提示した。

この山崎私案を、日本遺族会は原則的に了承したが、なお、神社本庁を中心に、根強い反対の声があり、山崎委員長もまた、村上委員長同様に、結論をださぬまま、法案の検討を、今度は自民党憲法調査会内の、靖国問題小委員会に、またまた、たらい回しするハメになった。

ここで、村上私案から山崎私案に至る、法案の第一条を、比較検討してみよう。

〈村上私案〉
靖国神社は日本国憲法にのっとり、戦没者及び国事に殉じた者に対する国民の感謝と尊敬の念を表すため、その用に供される施設を維持管理し、これらの人々の遺徳をしのび、これを慰め、その功績をたたえる行事等を行い、もってその偉業を永遠に伝えることを目的とする。

〈村上第一次修正案〉
靖国神社は戦没者及び国事に殉じた者に対する国民の崇敬の象徴であり、その感謝と尊敬の念を表すため…(「日本国憲法にのっとり」が消える)

〈第二次修正案〉
靖国神社は戦没者及び国事に殉じた者の英霊崇敬の国民的感情にかんがみ…(「英霊崇敬」が初めて入る)

〈第三次修正案(山崎私案)〉
靖国神社は戦没者及び国事に殉じた者を公にまつり、その英霊を尊崇すべきであるという国民感情にかんがみ…(青木議員らの主張が、ほぼ取り入れられている)

以下、続きます。

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