どうなるどうする「皇位継承問題」

桜井大子

政府のいう「安定的皇位継承の問題」が棚ざらしになって久しい。そのようななか、今年(2023年)2月26日の自民党大会で、岸田文雄首相が「安定的な皇位継承を確保する方策への対応も先送りの許されない課題で、国会における検討を進めていく」と述べ、メディアは一瞬ざわめいた風だったが、その後もやはり、大きな動きは見られなかった。

岸田のこの発言の影響について『読売新聞オンライン』は翌月の3月6日、「皇位継承論議、唐突な首相呼びかけに自民戸惑い」と報じた。戸惑いの内実は「4月の統一選前に党内二分する議論避けたい」 ということらしい。「国家の根幹に関わる問題」などと政府もメディアも述べたりするが、しょせん政治的に判断するマターの一つととらえる議員が多いということだ。実際、いろんな意味で政治的にしか判断できないマターでもある。

しかし、今年後半に入った7月10日、『週刊エコノミストOnline』(『毎日新聞』)が「また先送りされた皇位継承議論」を出し、8月23日『毎日新聞』が「皇位継承論議たなざらし 自民内で意見まとまらず、懇談会も1回きり」、同月29日「自民「皇位継承」棚上げ 懇談会1回だけ、1年半開かず 党内で意見割れ」と批判記事を続けた。そして、9月27日『産経新聞』が一つの流れを感じさせる記事を流した。萩生田光一政調会長インタビュー記事で、「皇位継承論議『受け皿作る』 萩生田氏 首相、加速を指示」と題するものだ。

9月13日の内閣改造で政調会長を続投することとなった萩生田に、岸田は「安定した皇位継承策の見直し作業を急がなければならない」と伝えたと言う。やるべき重要課題の一つであるというのだ。一連の毎日の記事に対する牽制ともとれるが、とはいえ、一体どのような流れを考えているのか、少し振り返ってみよう。

2年前の2021年9月、岸田は党総裁選で「旧宮家の男系男子が皇籍に復帰する案も含め、女系天皇以外の方法を検討すべきだ」と述べていた。翌年2022年1月には政府が、旧宮家の男系男子を皇籍復帰させる案や女性皇族が結婚後も皇室に残る案(女性宮家容認)など、有識者会議の報告書を国会に提出している。しかしそれは棚上げされたままだった。前述した産経のインタビュー記事で、萩生田は岸田発言に沿った方向に流れる公算が高いとみているが、岸田のいう女系天皇以外の方法なのか、政府が出した女性宮家を含めた有識者会議の報告にそったものになるのか。
*女性宮家が女系天皇につながる回路となりうることは、すでに指摘されている。

その翌々日に産経は同様の記事を出すが、皇位継承のゆくえは限定されているかのような書き振りに変わる。まず「首相はこれまで、皇室の根本伝統である父方に天皇を持つ男系の男子による皇位継承を尊重する考えを示してきた」と岸田の主張を紹介し、今年2月の党大会での「(皇位継承問題は)先送りの許されない課題で、国会における検討を進めていく」「(女系天皇には)反対だ。今そう言うことを言うべきではない」といった岸田の発言も紹介。その上で、受け皿を作って検討を進めるという萩生田に「当然、その方向か」といった記者の質問に「そうだ」と答えたという。流れは限りなく男系男子に絞られた印象が残る。

一方その他のメディアでは、断続的にではあるが、女性・女系天皇への希望を書き連ねている。このままでは皇統が途絶えかねないという危機感も隠さない。天皇制を少しでも早く廃止したいと考える側にとっては、女性・女系天皇容認論は手強い相手であり、天皇制を安定的にしていきたいと考える側にはメリットが多い。世論は女性・女系天皇容認論は8割近くを占めいる。冷静に天皇制の安定的継承を考えるならばこちらに流れるのが順当である。

また、女系容認派のなかで愛子天皇擁立論も目立ってきている。天皇の直系、すなわち愛子こそが「正統」なる継承者であるという、直系・傍系にこだわった序列を重視する考えに基づく主張だ。そこにはジェンダーフリーを主張し、あるいは合理的な長子主義によって安定的な継承を確保するといった女系容認派とは主張の中身にズレがあり、少し違ったところに位置している個人やグループである。

たとえば漫画家の小林よしのりは雑誌等で主張を展開しているし、〈女性天皇と共に明るい日本を実現する会〉は「天皇の子に皇位を」という主張を掲げ、直系原則で、愛子天皇擁立を求めている。以前、新宿でスタンディンをしている写真をみたことがある。ほか、「愛子さまを天皇に」をスローガンに署名活動など展開している「ゴヨウツツジの会」などだ。

ただし、彼らの主張が通るのは難しいだろう。仮に「皇室典範」を女性・女系天皇容認、長子主義へと変更しても、愛子が天皇になる確率は限りなく低いと思われる。すでに皇位継承順位の1位・2位と報道されている秋篠宮やその息子悠仁の、その順位を無視して愛子を1位につけることができる政治家はいないに等しい。たとえば愛子が結婚しても皇籍に残り子どもを産んだ場合、そして悠仁に子供がいない場合、その子が女性であれば女系の女性天皇、男性であれば女系の男性天皇となる。その時初めてこの法律改正が役に立つということになるのではないか。

そう書きつつも、すぐに前言撤回するようだが、可能性が100%ないわけではない。たとえば秋篠宮家の評判は悪い。とりわけ紀子の評判がよくない。悠仁のコピペ問題などもある。逆に愛子の評判はよい。しかも世論は80%が女性・女系天皇容認だ。安定的皇位継承を第一議に考え、そして決断できる政治家が出てきたら、そのように流れるかもしれない。

現状はこういったところだが、それもこれも、まだまったく見えていないというのが実際のところだ。政治決断をできる政治家がいるかどうかにかかっているとも言えるからだ。

2005年1月から始まった小泉純一郎(元首相)の「皇室典範に関する有識者会議」から18年が経つ。あの時は女性・女系天皇容認、長子主義で細かいところまで話し合われ、国会に上程され、通過も近かった。しかし紀子の妊娠・悠仁誕生で完全に消えてしまった。

もう少し遡って愛子が生まれる前にも女性天皇論議が沸騰した。当時皇太子だった徳仁と雅子に「子どもが生まれない問題」があり、秋篠宮の子は女子2人という状況下で、男子がいないという意味では今よりも危機感が強かった。高橋紘・所功共著『皇位継承』(文春新書)が出たのも1998年。この本は、現在の「皇室典範」のままでは「皇統」が途切れてしまうと警鐘を鳴らし、暗に女性天皇を説くもので、天皇制側への啓蒙書だった。それも虚しく女性天皇容認論は消され、2001年、徳仁・雅子に生まれた待望の子は女子(愛子)だった。

愛子が生まれる前に女性天皇容認に踏み切っていれば、「皇太孫」誕生で大フィーバーとなっていたはず。そして現在の天皇制はかなり違ったものになっていたはずだ。ジェンダーギャップを抱えた天皇制への世間的な批判は少なくとも緩和されていたに違いない。秋篠宮バッシングも起きずに済んだはずだ。このとき私は、政府の対応を「不戦敗」と笑ったが、これも政治判断の一つだったのだろうか。なぜ女性天皇容認ではなく「不戦敗」を選んだのか。

実は政治判断というよりも、天皇制に手をつけたくないし、できれば別の誰かにやってほしいというのが本音ではないのか。それは現在も変わっておらず、おそらくずっと政府はこの姿勢を通してきたのだ。その結果、男子継承者1人を確保したが、皇位継承問題も含め、皇室の全体状況が良くなったかといえば、むしろ最悪の状態に近い。

いまのままでは、これから長く見積もっても半世紀以内には、皇室は悠仁ひとり、という事態を迎える。結婚しないまま皇籍に残る女性皇族がいたとしても、みな相当の年齢となる。ゆくゆくは皇族なしの天皇1人体制。時の首相たちにそれが見えていないわけではないが、常に逃げてきたというのが実状なのではないのか。しかし継承者問題はいろいろな意味で待ったなしのところに来ている。

政府は80パーセントの「民意」など無視するのはお手のものだ。男系男子を守ると決めればそうするに違いない。同様に、何らかの条件が揃い、強力な後ろ盾となる力が働いた時には、宮家・女性・女系天皇、長子主義へと方向転換することをだってありうる。「文化・伝統」は新たに作り直せばよい。この国はそのようにも動いてきたのだ。だから、そういう意味では、どんなに批判され支持率が低くても、旧宮家復活や旧皇族の養子に踏み切る可能性だってありうる。

さあ、どうなるどうする天皇制。

皇位継承問題に手をつけたくない政府も、何もしないわけにはいかない。とりあえず何らかの策を出してくるだろう。だから、「どうする!?」の問いかけは当然、私たちにも返ってくる。

彼らがお家断絶を迎えようと、日々を生きる私たちには何の問題もない。天皇家の「伝統・文化」を守り抜くことで、その「伝統・文化」の元締めである天皇家が滅びるとなれば、それはそれでよし。こういうスタンスも悪くはないが、とりあえず保留としておきたい。なぜならこれは、この国の民主主義が問われる、面倒で難しい、とても大事な問題であるからだ。政府やメディアは皇位継承問題を「国家の根幹に関わる問題」と呼ぶが、実は「民主主義の根幹に関わる課題」なのだ。私たちは考え、あるいは議論を重ね、こうすべきであるとの主張を出していかなくてはならないと思う。民主主義の社会を望むのだから。

私は天皇制を廃止したいと考えているので、政府のどの選択肢にもNOをつけていくしかない。女性宮家・女性天皇・女系天皇容認もNOだ。しかし、女性差別をなくしていきたい、皇室にも基本的人権が認められるべき、あるいは皇室内の男女平等が社会における男女平等につながるということで、女性・女系天皇容認を主張する人たちもいる。ここは議論が必要なところだと思う。議論は続けていきたい。
*女性・女系天皇に関する私自身の見解をここでは述べる余裕はないが、すでに書いている記事も含め、今後紹介していきたい。

反天皇制(運動)には、天皇制廃止までの過程こそが重要なのだ。そこにこそ天皇制廃止の可能性があり、天皇制から脱した民主主義を手にしていく契機にもなるだろう。

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