伊藤晃
少し古い話になるが、昨年(2018年)2月、韓国国会議長文喜相氏が、日本軍慰安婦問題について天皇の謝罪を望み、大要次のように語った。「一言でいい。日本を代表する首相か天皇、できれば天皇が、おばあさんたちに本当に申訳なかったと一言いえば、問題はすっかり解消されるだろう」。この発言は当然話題になり、反天皇制運動のなかでもそうであったが、多少当惑があったのか、論議はあまり拡がらなかったと思う。少し時を経て、私があるグループの集まりで話をしたとき、このことについて質問があった。私は《文氏の右のような希望にこたえて》天皇の謝罪を要求することには賛成でなかったから、その旨を簡単に答えた。その後、そのグループのなかで私の発言への批判があったということで、それをのせた刊行物をグループの責任者が送ってくれた。私はそれへの返事として私の考えを詳しく述べた手紙を送った。私は私の考えについてもう少し広く意見を聞きたいと思う。そこで本紙の紙面を借り、手紙にかなり加筆した上で、これを公表する。読者諸氏のご検討をお願いしたい。
〇〇様
お手紙と「××通信」拝受。ありがとう存じました。「××通信」の私への批判は、あなたも言われるようにもっと深めて議論すべきだと思います。そのために私の考えをもう少し説明すべきでしょう。あなたの質問への答えは短時間のため行き届いていませんでした。そこで以下ちょっと長く書きます。
私への批判の眼目は、天皇の「謝罪」が国家責任、また国民の加害責任をあいまいにするという私の言に対して、天皇・国家への責任追及と謝罪要求は、国民が自らの加害者責任をとらえ返す契機として働くであろう、という趣旨でしょう。
まず、私はこれまで国家と天皇の戦争責任・謝罪と国家的補償の義務について一貫して主張してきました。しかしどんな謝罪でもよいと一般的に言ったことはなかったのです。だから今回の問題も、この状況下でもし天皇の謝罪が実現されることになれば(あまり可能性はありませんが)、それはどんなものになるであろうか、ということを考えました。まずそこから詳しく述べてみたいと思います。
文喜相氏の発言を考えるとき、それがどんな文脈でなされたのかが重要です。文氏はこれまで、日韓間の問題を両国人民間でなく国家間の問題としてとらえ、両国家間の親密な関係、すなわち懸案事項の妥協の道を考え続けてきた人だと推察します。韓国の政治家である以上、その人民の意思は多少とも反映しているでしょうが(だから私たちはその発言を謙虚に受け止める必要がありますが)、人民の対日批判と怒りを背負った政治をやっていた人とは思いません。この人は「知日派」とされているようですが、そうだとすると日本の事情をいくらか知っているでしょう。天皇についての知識もあるはずで、国家間のギクシャクのトゲ抜いて問題が両国家のノドを通りやすい形にする、つまり問題の本質はそのままである気分を作り出す上で天皇がおりおり働いてきたこと(皇室外交の重要内容です。日本側にも以前、天皇のこうした働きに期待して天皇訪韓を言った人がいたと記憶します。戦後民主主義派に数えられる人で、だから人民どうしの和解のことも言っていたと思いますが)を知っているでしょう。彼の天皇謝罪に関する発言には、あきらかに、最近彼が徴用工補償に関して新法案を提起したこともつながっていると思います。
私は国家的和解のための天皇の融和機能が働かされることに反対なのです。天皇は国家のためとあれば、謝罪に類する言葉を用いることもあり得ましょうし、その場合それはいろいろ波紋を呼びおこすでしょう。しかしその天皇発言は、日本の国家的行為の本質を明らさまにしないような文脈を工夫するなかでなされるにちがいないと思います。私は、文氏の発言はむしろ、私たちが天皇の謝罪をどのように語ってはならないかを示唆するものだと考えます。彼の言うように、「天皇の一言で問題がすっかり解消される」のは両国家、とりわけ日本国家にとっての話です。
つぎに、今度のような場合であっても、それはわれわれの天皇責任の追及に使えるし、またそれは日本人民がその加害者責任を自らとらえかえす契機にならざるをえない、と「××通信」は言います。この「ならざるを得ない」は一つの論理ではあるかもしれないが、その道筋を示していません。これまで私たちの(あなた方のもそうだと思うが)天皇制批判、天皇責任の追及は、こんにちの人民多数が依然としてその加害者性に無自覚である状況を変える道筋を見出していない、と私は思います。そのことについて少し述べます。
過去の戦争加害について当時の国民には国家への受動性があったでしょうし、それはある程度やむを得なかったのかもしれない。しかし「やむを得ない」は戦後においては成り立ちません。ところがその加害に関する責任意識の欠如(図々しい無責任の主張はその上に乗っている)において、国民はむしろ天皇・国家の責任回避とほぼ一体になり、その加害性を言うものを「変なことを言う」極少数派たらしめるまでになりました。戦後ナショナリズムはこのような状況を実現しました。こういう天皇・国民一体のなかにあっては、仮に文氏の希望のように天皇が謝罪のことばを述べるとして、それが呼びおこす波紋はつぎのようなものでしょう。①天皇が国民を代表して謝ってくれたのだから、われわれにとっても問題は終わりだ。これ以上われわれとしてやることがあるか。あるいは②天皇は侮辱された。われわれが侮辱されたのと同じだ。
そこで問題は、戦後天皇と戦後国民とのこの一体性をわれわれは解体できるか、ということになる。それが「××通信」の「ならざるを得ない」を「論理」から「道筋」に転化することの重要点だと私は考えるのです。そしてそのことをこれまでわれわれはやれなかった。それはなぜでしょうか。
いろいろ理由はあると思いますが、ここでは一点だけ。以前から私は、反天皇制運動が天皇制の悪を叫ぶことは十分にやったが、戦後天皇、ことに明仁天皇が作り出した「良い面」こそ天皇の過去・現在の責任をごまかし、同時に国民の天皇に関する意識を作る大きな要素になってきたことを、説明はしたものの、その意味について人びとの納得を得ることで大きな効果をあげられなかった、と強く感じてきました。皇室外交は戦没者慰霊、災害地・社会的弱者訪問などとともにその「良い面」、現存国家に国民を同調させるかなりの力をもった媒介物なのです。それは戦後民主主義の政治・思想潮流をも広くとらえました。この流れは戦後天皇制の「良い面」に天皇制という存在そのものを容認するという妥協の根拠を見出し、明仁天皇の30年の間に実際妥協に到達しました。
文喜相氏がそうした思想状況を十分に理解していたかどうかはわかりませんが、とにかくこの人は皇室外のもつ意味に着目し、少なくとも日本人民を国家間和解に同調させる《よすが》として利用したことになります。韓国人民の方がこれで引っ張られるのかどうかは私にはわかりませんが、しかし文氏提案の徴用工関する新法案には韓国国内にかなり批判があるようですね。
念のため最後に申し上げますが、私は文氏の発言に乗った形で私たちが天皇謝罪について語ってはならないというのです。韓国人民が天皇謝罪を求めることには、文氏がこれにかかわりがあろうとなかろうと、私は少しも異議がありません。むしろ私たちはそれに応えなければならない。それは日本人民の力で日本国家に植民地支配・戦争犯罪への謝罪と補償を認めさせる戦い(その停滞に韓国人民は批判があるはずです)をもう一度建てなおすことでしょう。そのなかで、国家行為のすべての責任者であった裕仁天皇の後継者が天皇の責任を認め、謝罪するとすれば(私はそれを要求する)、それは問題の本当の解決に結びつく意味を持つと思います。
大体私の考えはこんなところです。あなた方のお仲間で議論して頂きたいし、私もその議論に加われれば大変幸せに存じます。(2019年12月)
*初出:「状況批評:日本国家の戦争責任・植民地支配責任にかんする天皇の謝罪について」”Alert”(反天連ニュース)no.45, 2020.3