第156回国会 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第1号(2003年2月6日)

これは、2003年2月の第156回国会(常会)における憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する小委員会第1号「最高法規としての憲法のあり方に関する件(象徴天皇制)」の議事録です。

この回では、参考人として元共同通信社記者の高橋宏が出席し、主に皇位継承問題、女性天皇問題、天皇の行為(皇室外交など)、天皇の元首化等について自説を展開し、各委員との質疑応答がなされています。

衆議院のHP(https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/0126_l.htm)で参照できる資料できます。

*敬称や敬語、年号等に、本サイトの編集方針とは異なる表記がありますが、議事録原文のまま掲載します。

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第156回国会 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第1号(平成15年2月6日(木曜日))

会議録本文へ
本小委員会は平成十五年一月三十日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
一月三十日
本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
奥野 誠亮君    近藤 基彦君
中曽根康弘君    葉梨 信行君
平井 卓也君    森岡 正宏君
保岡 興治君    大畠 章宏君
島   聡君    中野 寛成君
伴野  豊君    赤松 正雄君
藤島 正之君    山口 富男君
北川れん子君    井上 喜一君
一月三十日
保岡興治君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十五年二月六日(木曜日)
午前九時三分開議
出席小委員
小委員長 保岡 興治君
奥野 誠亮君    近藤 基彦君
中曽根康弘君    葉梨 信行君
平井 卓也君    森岡 正宏君
大畠 章宏君    島   聡君
中野 寛成君    伴野  豊君
赤松 正雄君    藤島 正之君
山口 富男君    北川れん子君
山谷えり子君
…………………………………
憲法調査会会長      中山 太郎君
憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
参考人
(國學院大学講師)
(東京経済大学講師)
(元共同通信記者)    高橋  紘君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
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二月六日
小委員井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として山谷えり子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員山谷えり子君同日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
最高法規としての憲法のあり方に関する件(象徴天皇制)

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○保岡小委員長 これより会議を開きます。この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました保岡興治でございます。

小委員の皆様方の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。最高法規としての憲法のあり方に関する件、特に象徴天皇制について調査を進めます。

本日は、参考人として國學院大学講師・東京経済大学講師・元共同通信記者高橋紘君に御出席をいただいております。この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人から象徴天皇制について、特に天皇の地位・皇位継承を中心に御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、高橋参考人、お願いいたします。

○高橋参考人 ただいま御紹介いただきました高橋でございます。
本日は、憲法調査会の最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会にお招きいただきましてありがとう存じます。

委員長の紹介にもございましたが、私は元共同通信の社会部の記者でございまして、ちょうど今から三十年ほど前になりますけれども、昭和天皇の御訪米、在位五十年、それからエリザベス女王の来日といった大きな皇室の行事が続いてありましたときに、宮内庁の記者クラブを担当いたしました。わずか二年半でございましたけれども、その後、共同通信に戻りまして、いろいろなポストにつきました。昨年六月退任いたしましたが、現在までずっと皇室に関心を持ち続け、取材して本をまとめたり、あるいは、今御紹介にあずかりましたように、大学でお話をしたりしております。

ただ、こうした憲法の調査委員会で、憲法の専門家でもございませんし、また法制史家でもありませんし、歴史をきちっと勉強したわけでもございませんし、私のような者が当委員会の委員の方々の議論の材料になりますかどうか、甚だ危惧しているところでございます。

しかし、事務局からの依頼もございましたので、私の取材経験などをもとにいたしまして、皇位継承の問題や、あるいはあるべき象徴天皇の姿というようなものについて、お時間の許す限りお話しさせていただきたいと思います。

昨年十二月のことでございます。皇太子夫妻は九日間の日程でニュージーランド、オーストラリアを訪問されました。

それを前に記者会見がございまして、皇太子妃の雅子さんは次のような心境を述べられました。今回、公式の訪問としては八年ぶりということで、大変楽しみにしております。最近の二年間は、私の妊娠そして出産、子育てということで最近の二年は過ぎておりますけれども、それ以前の六年間、正直を申しまして、私にとりまして、結婚以前の生活では、私の育ってくる過程そしてまた結婚前の生活でも外国に参りますことが頻繁にございまして、そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから、六年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして、私自身、その状況に適応することはなかなか大きな努力が要ったということがございますと。

雅子さんは、言葉を選びながら丁寧に言われたもので、十分意味が伝わりにくいかもしれませんけれども、要は、結婚前は、この方は外交官でございますので、外国に行くことが生活の一部だった、しかし、六年間どこへも行けず、またそうした生活になれるのは非常につらいことだったと言っておられるわけです。

それでは、なぜそうなのかということでありますけれども、結婚されてずっとお子様がいなかったことは御承知のとおりでございます。八年後にやっと内親王様が生まれました。雅子さんのおっしゃっているのは、その間の長くつらかった日々が続いたということだと思います。内親王様でしたから、現在の皇室典範では皇位も継承できず、皇太子夫妻にとりましては、まだまだこの悩みは続くわけです。

お手元に資料を三枚お配りしてありますけれども、その一枚目に、皇位継承の憲法と皇室典範の規定が書いてあります。これを読み上げますけれども、現在の憲法第二条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」とございます。それから、その条文を受けまして、皇室典範第一条でございますが、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」とあります。

それから、かつての大日本帝国憲法の第二条でも「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」とございます。また、それを受けまして、旧典範第一条には「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」とございます。

字句の違いは多少ございますけれども、内容は同じと考えてよろしいと思います。旧典範の、皇位は祖宗の皇統にある男系男子ということは、皇祖天照大神に始まりとする神武天皇以下歴代の天皇の血筋を受けた者が皇位を継承するという意味でございまして、現在の憲法ではそれを世襲としたというふうに思います。

次に、皇室典範の第九条でございます。
第九条で、「天皇及び皇族は、養子をすることができない。」と書いてあります。旧典範四十二条、一番下でございますけれども、「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」とあります。これは、一八八九年、明治二十二年でございますけれども、そのときに皇室典範ができた。そして、起草者たちは、皇族がふえると血筋があいまいになるというようなことは懸念いたしました。それが第一点。それより大きな問題もございまして、多数の皇族を抱えるということは、将来、皇室が財政的に立ち行かなくなることを憂えたというのもございます。

そしてさらに、第十二条でございますが、「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。」とございます。
最近では、三笠宮家にお二人の内親王がおられますが、その内親王は、それぞれ結婚されまして三笠宮家を離れて、一般の籍に入られました。後でも触れますけれども、秋篠宮家、寛仁親王家、高円宮家、それぞれ女子の皇族がおられますが、この方々が将来結婚されて皇族の身分を離れれば、皇族でなくなります。それからもう一つは、生涯独身を続ければその宮家におるということになりますけれども、いずれにしても、亡くなったときにその宮家はなくなります。

そういたしますと、現在の皇室典範では男子継承、現在のところ女子しかおりませんので、この部分が一つ問題がある。それからもう一つは、皇位ばかりではなく宮家が、将来的にこれも不安定になるというようなことがございまして、私はやはり、現在の皇室典範の改正というものは必要ではないかというふうに思っております。

この男子の継承ということにつきまして、歴代の天皇は大変苦労なさいました。少しその苦労の話をさせていただこうと思いますけれども、近代日本の牽引車とも言える明治天皇と、皇后美子という方でございますが、そのお二人の間にはお子様がございませんでした。明治天皇は、そこで六人の側室、当時の言葉では御側女官と申し上げますけれども、御側女官を置きまして、そのうち五人の側室から十五人のお子さんがお生まれになった。しかし、そのうちの十人は夭折されまして、成人されたのは五人でございます。その五人のうちたったお一人だけが親王、大正天皇でございます。

大正天皇は、御承知のように、非常にお小さいころ病弱でございまして、元老の山県有朋や松方正義らは事態を憂慮しまして、もう一人親王をもうけてほしい、そのためには若い側室を置くように説得してほしいということを侍従長の徳大寺実則に伝えました。徳大寺は、さすがに自分で直接天皇陛下に申し上げるのは遠慮しておられまして、宮内省の編さんした「明治天皇紀」にはこういうふうにあります。側室を置くということは、「敢えて逸楽のため召させたまふにあらず、誠を国家に致し、皇祖皇宗に対する大孝を全うせらるゝの所以に外ならず」ということでございます。しかし、天皇は聞こし召さなかったと記録にございます。そのとき明治天皇は四十五歳でした。

当時は医学が大変未発達でした。明治天皇の曾祖父に当たる光格天皇の皇子は十九人ございまして、そのうち、成人したのは二人でした。次の仁孝天皇は十五人で、成人したのは幕末の孝明天皇と内親王二人でございました。明治天皇はその孝明天皇を父といたしましたけれども、孝明天皇の第一番目のお子さんはすぐ亡くなりまして、明治天皇は第二子でございます。平安時代にさかのぼりますと、嵯峨天皇には、正室、側室が何と二十九人おりまして、皇子女は五十人を数えております。京の都平安京を開いた桓武天皇は、同じく二十六人、それから、お子様は三十六人を数えております。

したがって、こういう皇位が男子でずっと続いてきたということは、側室の力が非常に大きかったというふうに考えてよろしいかと思います。したがって、一八八九年に発布された皇室典範には、側室の皇子、つまり庶子でございますけれども、それも皇位の継承ができるというふうに書いてございます。先ほど申し上げました一枚目の紙の旧典範の第四条に、「皇子孫ノ皇位ヲ継承スルハ嫡出ヲ先ニス皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラサルトキニ限ル」とございますが、これは当然の規定でございました。

明治天皇の次の大正天皇は、御承知のように、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮と、四人の親王様がお生まれになりました。恐らく、この方は歴代の天皇の中で、皇后との間に四人の親王をもうけられるということは初めてではないかというふうに思います。

次に、昭和天皇でございますけれども、昭和天皇は、一九二四年、大正十三年に結婚されまして、翌年、御長女の内親王照宮を生みました。しかし、内親王がずっと四人続きまして、一九三三年、昭和八年に、五人目に今の天皇陛下、六人目に常陸宮様が生まれました。女子が余りにも続くので、皇后陛下は女腹と陰口を言われたということもございます。それから、側近も非常に心配いたしまして、元老の西園寺公望は、当時、内大臣だった牧野伸顕と相談いたしまして、先ほど申し上げました、養子をすることはできないというこの規定、これを変えてはどうかというような相談までいたしております。これは「牧野伸顕日記」の中に出てまいります。

男系男子をずっと厳しく守ってきたわけですけれども、古代には女性の天皇もいたし、それからさらに、江戸時代にもいたという話でございます。

それでは、なぜこういうような女性の天皇が存在したのか、あるいは、女性天皇にならなかったのか、そのようなお話をしたいと思いますが、資料の二枚目に、過去の女性の天皇の一覧表が真ん中の方に書いてあります。最初の女性の天皇は推古天皇でございます。推古天皇の次が三十五代の皇極天皇でございまして、この方は、重祚といいまして、二度皇位を践まれました。そして、三十七代の斉明天皇。次が、四十一代の持統天皇。次が、四十三代の元明天皇。四十四代は元正天皇。四十六代は孝謙天皇でございまして、この方が四十八代の称徳天皇として重祚されます。奈良時代には、ここに書いておりますように、六人の天皇がおりまして、八代の皇位を継承いたしました。それから八百五十年後の江戸時代になりまして、第百九代に明正天皇、第百十七代に後桜町天皇の二人が女性でございます。今の天皇からわずか八代前、時間的には二百三十年たっておりますけれども、八代前には女性の天皇でございました。

女性が即位したのは、簡単に申し上げますが、お世継ぎ、つまり皇嗣が幼少だったり、あるいは天皇が突然崩御されたり、あるいは退位するなどしたため、皇位継承が危うくなりまして、その中継ぎ的な役割を果たしたということ、あるいは外戚の政治的な目的のためでございました。

女帝の共通点がございまして、皇太后、寡婦か、あるいは内親王でも生涯独身を通したという方でございます。つまり、女性の天皇にはお子さんがいなかった。そして、この天皇が退位あるいは崩御いたしますと、皇族男子の中から適任者を選んで即位させまして、再び男系男子に戻ったということがございます。

こういう男系男子が継承するという古代からの慣習は、明治に入って皇室典範で成文化されました。一八七五年、明治八年に元老院が設立されまして、憲法の試案が幾つもつくられました。一八八五年、宮内省の制度取調局が立案した「皇室制規」というのがございますけれども、ここでは「若シ皇族中男系絶ユルトキハ皇族中女系ヲ以テ継承ス」とありまして、女性の天皇を認めております。

このころ、皇位継承に関する規定が二十二できまして、そのうち男子のみと厳しく規定したのはたった四つでございます。四案だけでございます。そういうふうに女性を認めてもよいという規定がたくさんあったわけでございますけれども、この男系男子に大きくシフトさせたのは井上毅という方でございます。

この方は憲法や教育勅語に深くかかわっておりまして、井上は、一番初めにその理由として、過去八人の女帝のうち、皇統が女系に移るのを避けようと、四人は独身を貫き配偶者はいなかった、今後もこの方針を貫くならば、天理人情に反する、そして妥当性を欠くと。また、配偶者を迎えるとすれば、相手は皇族以外となります。皇族男子がいれば当然皇位は継承するからでありまして、配偶者は皇族以外になります。この場合、皇統は男系から女系に移ります。そして、日本古来の伝統が断絶する。したがって、男系でなければいけないというふうなのが一点です。

このほかにも、女帝は、先ほど私が申し上げたように、中継ぎ的な君主であった、つまり便法だったというわけです。井上が申しますには、祖宗の常憲にあらず、つまり、先ほど申し上げました皇祖皇宗の決まりではないんだというようなことを言って、まあ緊急避難だというような意味だと思います。

それから第三番目でございますけれども、これは欧州の方でも原則的には男が践むんだ、継承するんだということを述べております。井上は若くしてフランスやドイツに学びまして、欧州の法典に明るかった人です。フランク族のサリカ法典の第五十九条に、妻は夫の土地を継承できないとありまして、これを援用してフランス、ベルギー、プロイセンなどでは女性の王位継承権が認められておりませんでした。

伊藤博文は「皇室典範義解」という皇室典範の解説書のようなものを書いておりますけれども、これは井上の起草したものでございます。この中で、万世にわたって変えてはいけない三大則を井上は書いております、三大原則でございますが。一つは、皇祚を践むは皇胤に限る、皇祚を践むは男系に限る、皇祚は一系にして分裂すべからざることの三つを挙げております。

男系男子という原則は、戦後の皇室典範改正のときも当然のように貫かれました。もちろんこの中で、憲法第十四条の法のもとの平等ということがございまして、女性天皇の議論もされたわけですけれども、結果的には皇位継承は男系男子ということになりました。

国務大臣の幣原喜重郎という方は、貴族院での答弁で、当時親王がおる、今の天皇陛下、常陸宮様、それから三笠宮寛仁親王、そういった方がおられるのを見て、現在は女帝を立てる、そういう情勢には迫られていないということを言っておられますし、憲法担当大臣の金森徳次郎は、女子に皇位継承の資格を認めるかどうかということになりますと、実に幾多の問題が起こってくるのでありまして、男系でなければならぬということは、もう日本国民の確信であろうかと存じますと話しております。しかし、その一方で金森は、憲法第二条で世襲としてありますが、これは必ずしも男系男子を意味するということは決まっていないのだということを言っておりまして、時代時代の研究によって世襲は男子であるのか女子であるのかと考える余地を残しております。

また、これは後日談になりますけれども、一九五九年の憲法調査会で、かつて皇室典範の改正作業に加わりました高尾亮一という宮内省の当時の文書課長でございますけれども、この方がこういう証言をしております。私どもは男系男子の伝統ということを尊重しようという、出発点から先に立ったような話ではありますが、そういうことで立案したのであります。女帝を置くということになりますと、皇配殿下、プリンスコンソートの問題が起きます。イギリスやオランダのように皇配についての伝統が確立していればともかく、その取り扱いと皇配の選考とについて、非常に複雑な問題になってしまいますと証言しております。

こう見ますと、女子の皇位継承の問題は、戦後のときも余り問題にはなっていなかったような気もいたしますし、一方、深い議論は女性の天皇については避けたのではないかという印象を私は持っています。

皇太子妃が懐妊したという発表のあった後、女性天皇に関する関心が急速に高まってまいりました。その資料は、二枚目の日本世論調査会の資料がございます。この日本世論調査会というのは、共同通信の加盟社が集まった世論調査会でございます。この中に、過去二十六年間に七回、女性天皇についてアンケート調査をしておりますが、一九七五年には「男子に限る」という回答が五五%ございました。「女子でもよい」というのは三二%でした。それが二〇〇一年七月、皇太子妃が懐妊したという発表があった後は、それぞれ一五%と七〇%に大きく逆転しております。

世論調査では女性天皇について圧倒的な支持がありますが、実現するためには現行の皇室典範を改正しなければなりません。皇太子妃雅子さんがこの先男児を出産する可能性は否定するものではありませんけれども、皇位継承の危機は依然として続くということになります。

このお渡しいたしました資料の中に、皇位継承順位というのが書いてございます。新旧の皇室典範第二条以下に皇位継承順位が細かく規定されておりますけれども、簡単に申し上げますと、直系長系主義をとっていると考えてよろしいと思います。

この私の資料の中で、皇位継承順位の一番は、皇太子殿下でございます。それから、長系主義でございますので先に皇太子殿下が皇位を継承いたしまして、次に秋篠宮さんが第二番目の皇位継承者ということになります。直系で上に上ってまいりまして、常陸宮様が第三位。それからまた上に上りまして、昭和天皇が皇位継承者になります。長系主義ですから昭和天皇になりまして、その次に秩父宮、高松宮というふうに皇位継承順位はまいりますけれども、しかし、もうお二人とも薨去されておりますので、四番目の継承順位が三笠宮崇仁親王ということになります。長系主義で下におりてまいりまして寛仁親王、桂宮というようなことでございます。

問題はここからです。一番若い皇位継承者の秋篠宮様は三十七歳でございます。そして、この方の後には皇族は女子しかございません。今の天皇家の御長女の紀宮様が三十三歳、それから敬宮様、愛子さんはお生まれになったばかりでございますし、秋篠宮の眞子さんが十一歳、佳子さんは八歳、寛仁親王家の彬子さんは二十一歳、瑶子さんは十九歳、高円宮さんの承子さんは十六歳、典子さんは十四歳、絢子さんは十二歳というふうになっております。現在、前から申し上げているように、女子に皇位継承権はありませんし、将来的には、秋篠宮様がお亡くなりになった段階では、このままでいきますと、皇位継承者はいなくなってしまうということでございます。

まず、どうするかといいますと、大きなものが二つございまして、明治の三大則にこだわるとするなら旧皇族の復帰を図る。これは、旧皇族は天皇の血筋を引いておりますので先ほどの井上毅の三大則に合うわけでございますけれども、一九四七年、昭和二十二年に皇籍から離脱した十一宮家の末裔からふさわしい人を皇族に戻すということがございます。しかし、臣籍に降下した人が天皇になったという例は五十九代の宇多天皇に例があるだけでございまして、この方は三年間降下しただけでございました。しかし、十一宮家の方は降下してもう既に半世紀以上がたっていますし、国民感情からいってこの話は無理だというふうに思います。

次は、女系を認めることでございます。
千数百年続いた天皇家の血統の大転換ということになりますけれども、天皇家の血を引いている世襲には違いございません。典範の第十二条で、皇族女子は一般の人と結婚すると皇族の身分も離れることになっておりますけれども、それを、皇族男子と同じように結婚に際して宮家を創設できるように改正するのはどうかというふうに思います。
この場合、天皇直系の女子だけを残すのか、あるいは傍系も認めるのかということが問題になります。今、直系は愛子内親王以下四人おられますし、傍系は、先ほど御紹介いたしましたけれども、二宮家の五人いますが、双方とも皇族でございます。しかし、日本は永世皇族制をとっておりますので、皇族がふえるということになりますと大変問題になります。その範囲をどこでどのようにして歯どめをかけるのかということもございますし、高尾証言のように、女性が皇位を継承すると皇配を探すのは大変難しい問題になるのではないかというふうに思います。

ヨーロッパの王室の例も一枚目に書いておりますが、男子優先、女子も可という国は、英国、デンマーク、スペイン。ただし、英国は長子優先の方向に進むというようなことになっております。それから、長子、第一子優先は、スウェーデン、オランダ、ベルギー、ノルウェーというふうになっております。

仮に、女性に皇位継承を認めるのはよいとして、イギリス型のように男子優先、女子でも可ということにいたしますと、いつの時点で男子が生まれないということを見きわめるのか、その見きわめをつけるのか、そのようなことを考えているうちに時間がたち、対象となる皇族女子が成長してしまったりすることがある。

皇位を継承するということは単に世襲で血筋がつながっていればよいというのではないというふうに思います。天皇になるということは、極端なことを言いますと、生まれたときから帝王学が始まり、本人もあるいは周囲の人たちもそういう目で見る、そして天皇という人格が形成されるのではないか。そういうふうに考えますと、いつまでも不安定な状態のままではなくて、私は、ためらいなく、第一子が皇位を継承するというふうに改めてよいのではないかと思います。

今申し上げました帝王学の問題でございますけれども、歴代の天皇は、中世のころから、次代の天皇のため、あるいは後に来る天皇のために幾つものテキストを残しております。
まず、さきに述べました宇多天皇でございますけれども、この方は、「寛平御遺戒」というものを書いておりまして、その中で、天皇というものは愛憎に迷うなかれ、意を平均に用いて好悪によるなかれ、よく喜怒を慎みて色をあらわすなかれと述べています。八十四代順徳天皇の「禁秘御抄」にはこうあります。およそ禁中の作法、神事を先にし他事を後にす、旦暮敬神の叡慮、懈怠なし。旦暮、朝晩ですね、敬神は神を敬うという心は怠ってはいけない。もっとほかにも幾つかありますが、こうしたテキストで歴代の天皇が述べていることは、神事を大事にすること、学問、教養を深めること、万人に公平であること、常に一般の国民のことについて忘れてはいけないというようなことであります。

現在の天皇陛下は、九〇年の十一月十二日に即位礼を挙げられまして、正殿に立たれて次のように言っておられます。全文を読ませていただきますと、
御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果すことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。
というふうに述べております。

私は、この短い平易なお言葉の中に象徴天皇としてのキーワードが含まれているというふうに思います。それは、国民とともに、国民の幸福を願う、憲法を遵守するなどでございますけれども、こういったことが象徴天皇としてのあるべき形ではないかというふうに思いまして、これが象徴天皇の第一の要件ではないかと思います。

その次の要件といたしまして、これは幾つもあるわけでございますけれども、一番身近な例として、天皇のお名前に仁という言葉がついております。裕仁、明仁というようにでございますが。この仁という意味は、愛情をほかに及ぼすこと、思いやりや慈しみの心を持つことということでございます。最初に仁という名前がついた天皇は、五十六代の清和天皇でございまして、以後七十代の後冷泉天皇からはほとんどの天皇にこの仁という名前がついております。常に仁というものを忘れるなという戒め、皇室としての戒めではないかというふうに思います。

天皇家が千数百年続いてきたのは、天皇が象徴であったからというふうに思います。ですから、象徴天皇という概念は、形としてはそうであっても、決して米国から押しつけられたものではないと思います。

横浜国大の今谷明さんという先生は、歴史家の津田左右吉博士が終戦直後こういうふうに書いていると言っています。天皇は国民的結合の中心であり、国民精神の生きた象徴であるところに皇室存在の意義があることになる。それからまた、国家主義者で国体をよく研究されました里見岸雄という博士は一九三二年の論文で、天皇は日本民族の社会及び国家における最高の象徴という言葉を使っておられます。今の天皇も皇太子時代の御発言の中で、天皇は文化といったものを大事にして、権力がある独裁者というような人は天皇の中では少なかった、象徴というものは決して戦後にできたものではなく、非常に古い時代から天皇は象徴的存在だったと思うというふうに言っておられます。

次に、象徴天皇として大切な要件でございますけれども、やいばに血を塗らざる伝統というのがあると思います。この意味は、みずから刀を手にして戦わないという意味です。今の陛下も、皇室の伝統を見ると、武ではなく常に学問でした、歴史上、軍服姿の天皇は少なかったのですと言っておられます。

その天皇あるいは皇帝が、外国の例を見てみますと、外国の皇帝は権力を持っております。ですから、常に自分の身を守らなきゃいけない。そのために自分の住むところは、例えば中国の故宮のように幾重にも厚い壁があり、そしてそのずっと奥の方に皇帝が住んでいる。ヨーロッパのお城も御存じのとおり高いところに建っていたり、あるいは日本の武士も堀をめぐらせて高いところに建って、石垣を建てるところに住んでいるのは、常に権力があったということです。それは外敵から身を守らなきゃいけませんし、いつ倒されるかわからない、そういう不安があったからだと思います。

しかし、天皇が千年来住んでいた京都の御所というものは、平らなところにあり、築地塀で囲まれているといっても簡単に破られるような代物でございました。それでも倒されずにきたのは、天皇は政治と離れて不親政であり、やいばに血を塗らざる伝統を受け継いできたからではなかったでしょうか。

実際問題として、終戦直後のことでございますが、高松宮と三笠宮が、今皇居は、かつては宮城と言っておりましたけれども、宮城が城と呼ばれ、幾重にも堀をめぐらされているようなところに住んでいるのは悪いんではないか、皇居をどこかほかに移転してはどうかというような論議をしています。これは当時侍従次長でありました木下道雄の日記に書いてあります。

そうはいいましても、かつて武の天皇もおられました。時間がございませんので説明は避けますけれども、後鳥羽天皇、鎌倉幕府や、あるいは九十六代の後醍醐天皇。明治天皇の正装も軍服姿でございました。大日本帝国憲法は、天皇を国の元首とし、統治権を総攬することをうたい、陸軍、海軍を統帥し、宣戦を布告し、講和を結ぶ権限を持たせた。憲法の条規によってという抑制はございましたけれども、憲法の条章を見れば軍服を着た天皇でありまして、権力者としてのイメージのある天皇でございます。この姿も皇室の伝統にもとり、明治憲法は五十八年でついえたというふうに思います。長い天皇家の歴史の中で、やいばを振りかざしたという天皇は本当にごく少ないというふうに思います。

平成の天皇は、皇太子時代から皇后とともに、さきの発言やお言葉に見られるように、象徴天皇としての道を模索してこられました。よく災害などのお見舞いで行かれますけれども、あのときの姿、例えば、阪神・淡路大震災の現地を見舞った日は大変寒い日でした。そこで、その寒い日のところに、国民とともにある天皇は靴下のまま被災者の話を聞いて、車いすの老人の手が毛布からはみ出しているのに気づいた皇后はそっと手を押し込んだというようなことがございます。こうした天皇の姿は皇太子時代から私も何回も見たことでございます。

しかし、文芸評論家の江藤淳という人は、今の陛下の平成流を次のように雑誌で批判されます。何もひざまずく必要はない、被災者と同じ目線である必要もない、現行憲法上も特別な地位におられる方であれば、見舞いは馬上であろうと車上であろうとよいというふうに言っておられます。

しかし、他人にどう言われても、天皇は目線を国民と同じレベルに置き続けるというふうに思います。即位十年の記者会見で、天皇は、困難な状況にある人々に心を寄せることは私どもの務めであり、さらに心を尽くしてこの務めを果たしていかなければならないというふうに思いますと言っておられます。

象徴天皇が五十年たちますと、象徴天皇の基本的な形というものが本来のものからゆがめられるということも私は散見するものでございます。申し上げるまでもありませんけれども、天皇の国事行為は憲法にきちんと十二項定められております。それ以外の行為は私的行為、それから真ん中に公的行為というものがございますが、そのゆがめられている形のうちとして私が一つ思いますのは、皇室外交についてでございます。

天皇が外国を訪問すること自体は政府の判断でありまして、それ自体が政治的な色彩があり、政治的であるということは否めないと思います。しかし、その動機が、政府の都合、外交交渉が失敗したときの補完、あるいは外交交渉が乗り上げたときのそういった補完によって皇室、天皇の外交が行われるときもあるんではないか、あるいは相手国の意向によって天皇に行っていただくというような場合もあるのではないかというふうに思います。

今の天皇が皇太子時代、六〇年安保のときに、アメリカに結婚したばかりの皇后とともに参りました。これは、当時の日本の反米感情に対して、アメリカの気持ちを柔軟にする、やわらかくするという意味もございましたし、九二年、中国に天皇が訪問した、このときも大変反対がございました。あるいは、昭和天皇の一九七五年の訪米、このときは大変もめまして、日米関係の総決算というものはございましたでしょうけれども、佐藤内閣、田中内閣、三木内閣、その三代の交渉がございまして、やっと三代目に七年間越しの話で決まりました。しかし、天皇の訪米をめぐってはかなり国論が割れまして、野党は天皇の政治利用ではないかというふうに反対して、皇室が大変な政治問題に巻き込まれたということもございます。

政治色を皇室外交からできるだけ抜くというようなことは必要なことでございますし、私が思いますのは、両陛下の外国訪問には必ず元首相とか元副総理とか外務大臣経験者といったような大物の政治家が首席随員としてついてまいりますが、果たしてこれは必要なことなんでしょうか。そうした大物政治家の同行が、かえって天皇の外交に政治色を持たせるような感じがいたします。

これまでるる述べてまいりましたけれども、象徴天皇というのは、日本に長い伝統があり、日本人にもなじんだものになっていると私は思います。各種の世論調査では、象徴天皇は今の形が一番よろしいというものが半数以上をはるかに超えております。私も支持する一人でありますけれども、象徴天皇で問題点が、先ほど一つ申し上げました皇室外交の点などでございます。

そういう問題点があるというようなことについてやはり是正していきながら、私が申し上げた、ずっと日本に伝わっている象徴天皇の姿を求めていく。そのためには国会などで大いに議論していただくのも結構でございます。ただ、天皇について議論をいたしますと、どうしても戦前の天皇の姿が目に浮かびまして、実はそうではなくて、日本の本来あるべき象徴天皇の姿について議論していただきたいというふうに思います。

それからもう一つは、さきに申し上げました皇室典範の改正の問題でございます。
象徴天皇は現在非常に支持されている、それから、あるべき形としてはすばらしいものだというふうに私は思いますが、しかし、そのもとである皇位の問題が不安定では、これは天皇の形として、あるいは日本国としても非常に問題ではないか。これをきちんと整えることが政治家の資格ではないかというふうに私は思います。

途中、時間がございませんで、多少はしょったことがございますし、私の話が十分行き届かない点もございましたが、貴重なお時間をちょうだいいたしましたことをお礼申し上げます。
ありがとうございました。(拍手)

○保岡小委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
―――――――――――――
○保岡小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森岡正宏君。

○森岡小委員 私は、自由民主党の森岡正宏と申します。
高橋参考人には、大変勉強になるいいお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。短い時間でございますので、率直に質問をさせていただきたいと思います。

我が国は、いつの時代にあっても、天皇を精神的な中心に置いて、そして世界に誇るべき国柄をつくってきたように思います。また、天皇は国民の敬愛の対象として非常に立派な務めを果たされてきた、そんなふうに思います。そして、その精神的、宗教的権威によって、少し例外はありましたけれども、みずからは権力を振るわない、そしてその時々に権力を握る幕府などに権限を与える立場にございました。先ほどおっしゃったとおりだと思います。

我が国において天皇制が果たしてきた役割というものが非常に大きかったと私も評価しているわけでございます。先ほどお話しございましたように、明治憲法では、プロシア憲法をまねて、天皇が権力と権威、両方とも握るようになってしまった、そして陸海軍の統帥権を持ってしまった、先ほどやいばを振りかざした天皇という表現を使われましたけれども、ここが間違いのもとであった、そんなふうに私も思います。

したがいまして、今の憲法第一条にございます「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、」というこの文言、このままで私もいいように思います。
しかし、天皇が元首であるのかどうかということがよく話題にされるわけでございまして、この際、はっきりと天皇は日本を代表する元首であるということを憲法に明記すべきではないか、私はそんなふうに考えるわけでございますけれども、高橋参考人はどう思われるでしょうか。

○高橋参考人 十分ではないかもしれませんけれども、私の考えるところを少し申し上げさせていただこうと思います。
私は、天皇に関する憲法の条文は基本的には変えなくていいのではないかというふうに思います。

現在よく言われますけれども、果たして日本に元首はいるのかどうなのか、天皇は元首なのかということが国会などでも何回も繰り返されておりますけれども、まず一つは、元首の定義があいまいでございますし、あるいは、かつての国会で田中角栄さんが証言いたしましたが、天皇は、外交的にはある意味では日本国を代表する元首とも言えるというような答弁が田中さん以下何回もございます。

そうしますと、実質的には日本を代表する元首である、内政面とか行政面とかそういうのは統括しておりませんけれども、そういうような形がございますので、言葉としては現在のままであって、しかし実際の面では元首であるということも答弁がございますので、意識の中で元首として思っていただいたらどうかというふうに私は思います。

○森岡小委員 次に、皇位の問題でございますが、先ほどおっしゃいましたように、確かに秋篠宮以降、大変心配な事態が想定される、私もそう思います。

しかし、私は、憲法第十四条に書かれております、男女は平等だ、差別をしちゃいかぬのだという第十四条と二条とは相反するものじゃない、矛盾するものじゃないという今までの国会答弁もございます。ただ、男女同権だ、男女は差別してはならないんだということだけで、今までの皇室がずっと続けてきた男系男子に限るというこの皇位、それを論じるべきじゃないと思うわけでございまして、この歴史の重みというものを非常に重く国民は受けとめるべきだ、我々も受けとめるべきだというふうに思うわけでございます。

先ほど高橋参考人のお話では、男女にかかわらず第一子が皇位を継承することが一番いいんじゃないかというお話がございました。その場合、女性天皇を容認するということになりますと、その配偶者をどう扱うかということが一番大きな問題じゃないかと私は思うんです。皇位継承をめぐって皇族内部に確執が生まれるとかいろいろな問題が生まれてくるんじゃないか、また、国民の見る目も違ってくるんじゃないか、そんなふうに思うわけでございますが、この点について、もう少し詳しく参考人の御意見をお伺いしたいと思います。

○高橋参考人 先ほど、宮内庁を代表して皇室典範の改正に携わった高尾亮一という人の話を紹介いたしましたけれども、日本は、御承知のように、幅の広い皇位継承あるいは皇族というようなものはございません。

ヨーロッパの場合ですと、イギリスとかオランダとか、いろいろそういう慣習がある。それから、ドイツにはザクセン公という家がございまして、そのザクセン公の家からずっとヨーロッパの王室に、王室の牧場というようなことも言っておるようですけれども、そういう家柄がございまして、各国の王室がそのうちから出た人を配偶者とするというような伝統もございます。

しかし、日本の皇室は長い歴史と伝統がございまして、幾つもの困難を乗り越えてきました。それは、皇后陛下がいつも皇室は祈りであるというふうに言っております。多少文学的になりますけれども、祈りとか、あるいは全体を足して英知とかで何とかそういった問題は乗り越えられるのではないか。

第一子と私が申し上げましたのは、先ほど申し上げましたように、天皇の帝王学の問題といいますか、将来、天皇としての人格をどういうふうに、それで安定していないので第一子というふうに申し上げたわけでございまして、もう初めから第一子と決めるということにする。

それから、お相手の問題は、全体としてとにかく考えて何とかして乗り越えなければいけないというふうに思います。
以上でございます。

○森岡小委員 もう一つ伺いたいんですが、高橋参考人は、先ほどみずからの御経歴を述べられた中で、共同通信の宮内庁付の記者をやっておられたということでございました。
今、とかく皇族のプライバシーというものが問題になるわけでございますけれども、マスコミにいらっしゃったそういう立場から、皇族の情報開示といいましょうか、皇族の日常の生活、国事行為とかそういう公的な立場だけではなく私的な生活、どこまで国民に開示されなければならないのか、その辺について、ちょっと御感想をお述べいただきたいと思います。

○高橋参考人 本論とは違いますけれども、私、確かに宮内庁に二年半おりました。しかし、そのときも現在もそう思っておりますけれども、皇族といえども、公人ではありますけれども、プライバシーを持っているのは当然のことでございます。

ですから、全く私的なことは構わないんですが、今インターネットを開きますと、宮内庁のホームページがございまして、あれは私は甚だ不満でございます。といいますのは、天皇、皇后のことあるいは皇太子さんのことについては幾らか出ておるんですけれども、一般の皇族の行動、どこかにお出かけになっているとか、どんなお言葉を述べておられるとかということはほとんどわかりません。

ですから、ああいったものを利用いたしまして、少なくとも各皇族の公的な御発言とかあるいはお出かけとか、そういったものはもっと出してもいいのではないかと思います。

それから、皇族のプライバシーでありますけれども、今の平成の天皇は大変、今回の御病気のときでもすべて公開されておられまして、昭和天皇と違っておりまして、随分宮内庁の方も、そういう御病気の、極めてプライバシーの問題でありますけれども、そういうような開かれた方向にあるのではないかというふうに思っております。

○森岡小委員 もう一つ伺いたいんですが、皇室への寄附の問題でございます。
私が聞いたところによりますと、昭和天皇が御病気になられた、そのときに、折りヅルを持っていかれた生徒さんがいらっしゃった。そういうものも皇室では寄附に当たるから受け取れないんだというようなお話を聞いたことがあるんですが、そんなことにつきまして、どういうふうに感じておられるでしょうか。

○高橋参考人 それは、寄附ということとかお金の問題ではなくて、あるいは今マスコミの話が出ましたけれども、そういうことが一つ出ますと、全国からそういうものがわっと集まってまいりまして、とても宮内庁の総務課で処理できないというような意味で、果たしてお金の寄附というような意味に使ったかどうかはわかりませんけれども、それが全国から集まるということがある、それで断られたんじゃないかと思います。

○森岡小委員 時間が参りましたので、終わります。ありがとうございました。
○保岡小委員長 次に、伴野豊君。
○伴野小委員 民主党の伴野豊でございます。
この小委員会に属させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
また、高橋先生におかれましては、本日は、お忙しい中、貴重なお話を賜りまして、本当にありがとうございます。

その中で、素朴な質問として二点質問をさせていただきたいと思いますが、その前に、私自身が皇室というものをどうとらえてきたかといいますか、私が育った家庭環境がどうとらえてきたかということをお話ししてから質問した方が質問の中身が御理解いただけるんじゃないかという思いで、少し語らせていただきます。

私の父は地方公務員でございまして、母は専業主婦、私なりに平均的な家庭で育ったと思っております。祖父母の家には昭和天皇のお写真はございました。しかし、我が家ではございませんでした。

そうした子供が学校教育を受けますと、私はもともと、きちっと早い時期に日本国憲法を大人が教えるべきだと思っているわけでございまして、とりわけ中学生がきちっと理解できる言葉で教えるべきだと思っているんです。例えば小学校へ行きますと、第一章第一条というのはとりあえず読んでみろということだと思います。中学校ぐらいに行きますと、例えば「天皇の地位と主権在民」という二行が載っておりまして、時折、この象徴というところが空欄になってみたり、あるいは主権というところが空欄になってみたり、総意というところが空欄になってみたり、要するに、空欄を埋めなさいという試験に役立つ日本国憲法を覚えるわけでございます。

では、そうした子供が天皇家に対してどういう思いを持つかといいますと、テレビを通じて、私なんかは、お正月になると国民に手を振られる方だというイメージがあったわけでございます。華やかで、多少お金をお持ちになっているのかな、皇室はいいなというぐらいに子供心に思っていたんです。それが、少しずつ社会がわかり、大人になってくると、国民はやはり、天皇家に夢や希望や理想を求める。一方で、それと背反するような親しみも求める、それがいつもさらされた状態で行われる。それを称してシンボリック、象徴と言っているような感じを見るにつけ、とりわけ皇太子様と同世代である私としましては、これは大変なお仕事だと、まあ仕事として見た場合ですね、思っていたわけでございます。

そうした中で、きょうの先生の、女帝ということを中心としてお話を伺う中で、私なりの素朴な質問をさせていただきたいと思うのです。

いろいろ御苦労があるわけでございまして、女帝でどうしていけないのかというようなことを思っております。とりわけ、ヨーロッパによくある伝統的な女帝国家を見るにつけ、私は成熟した国家のイメージを持っております。女帝を認めない国の方が前近代的、原始的とまでは言いませんが、私は女帝を認める国の方が成熟した国家のイメージを持っておりますが、そうした思いに対して、先生はどういうイメージとお考えをお持ちになっていらっしゃるか。

○高橋参考人 さきの教育のことについて私もちょっと感想があるのでございますけれども、それについて少し御説明します。

私は大学で今教えておりまして、特に、國學院大学のようなところは神道文化学科というのがございまして、そこで天皇の問題についていろいろ話しているわけでございます。東京経済大学も同じことです。まずまず天皇については知らない、何にも知らないと言ってもよろしいです。これは、憲法第一条で規定してある天皇というものに対して、学校教育の中でもう少しやはりきちんと教えるべきだというふうに私は思います。

ただしかし、現在のことで、今度学校で天皇陛下の名前を教えるとか、天皇についてもう少し詳しく教科書の中に入れるんだというようなことになりますと、これまた大きな問題になるということがございます。それでいつまでたっても載らないんだと思いますけれども、天皇の姿、先ほど私は、もっと議論してほしい、その議論の相手は、戦前の天皇の形ではなくて、もともとの象徴天皇というものを対象にしながら議論していただきたいと思うのです。これは、今は天皇に反対、賛成するというのは、どうしてもそちらの方に入ってしまいますものですから、基本をもっと象徴天皇の形に置いていただきたい。

そのことについて、学校の教育の中でやはりもっと教えるべきではないか。そうしないと、週刊誌とかテレビとかで、天皇のファッションとかあるいは格好よさとか、そういったものばかりやって、天皇のイメージが非常にゆがめられるというような点がございます。それが第一点。

それから、第二点の女帝の問題については、私も伴野委員と全く同じ感想を持ちまして、やはり現在は、成熟するしないというのはさておきまして、それからまたヨーロッパがあるからということではありませんけれども、今は側室はいないわけでございまして、日本がずっと皇位継承は男系の男子と言ってきたのは、側室、御側女官がスタビライザーになってきた、そういう歴史がございます。

ですから、今現在、一夫一婦制のもとで、必ずしも男の子が生まれるとは限ってないわけでありまして、やはり、そういう成熟だの何だのというより、第一子を天皇とするということは、これはもう極めてリーズナブルな考えではないかというふうに私は思っております。

○伴野小委員 ありがとうございます。
その上でまたお伺いしたいのですが、先生も御指摘されていましたし、先ほど森岡委員も御指摘されていましたが、私は、女帝でもいいと言った一方で、実際の困難さとして、やはり皇配殿下、プリンスコンソール、まあこの呼び方も私は工夫すべきだと思うのですが、やはりイギリス、オランダなんかが実際、本当にどうしていらっしゃるのかというのを徹底的に学ぶべきだと思いますし、選び方によっては、御指摘のあるように、国民から乖離した結果になると思います。

ですから、例えば、過去こういういいケース、いい皇配殿下のパターンと悪い皇配殿下のパターンというのを、もし御存じでしたら教えていただいたり、あるいはぜひどなたか調査されるといいんじゃないかなと思うのですが、いかがですか。

○高橋参考人 それは存じませんけれども、私はエリザベス女王が参りましたときにちょうど宮内庁におりましたという話をいたしました。そうしますと、このお二人の関係が極めて、エスコートするといいますか、女王を立てる立て方が非常にいいんですね。今のエリザベス女王の場合は、女王は七代目でございまして、やはりイギリスはそういう伝統があるんだなという感じがいたしまして、これが日本になるとやはり幾らかぎくしゃくするのではないかという感じもいたします。

それから、仮に今度女性の天皇が立って皇配を迎えるということになりますと、第一号ですから、先ほどマスコミのプライバシーの問題も出てまいりましたけれども、これは大変な騒ぎになるというふうなこともございます。

その点、ヨーロッパは同等婚の原則といいまして、大きい国家でも小さい国家でも、君主制の国家ならどんなときにでも同等な位である。今のイギリスの皇配殿下はギリシャの出身でございまして、大英帝国とギリシャですから、それは国を差別してはいけませんけれども、国家としては同等である。そういうようなシステムがちゃんと整っている。それから、先ほど申し上げましたドイツのザクセン公の話もございました。そういう風土があるところとないところと、それはやはり苦労すると思います。

どういう例かと言われましても、私はちょっと思いつかないのでありますけれども、例えば旧皇室典範の三十九条には天皇のお相手が定めてあります。これは御承知のように、五摂家、九清華家、皇族、それから特に定められた華族というような名前が載っておりますね。それは例えば一つの参考にはなるのではないかと思います。旧五摂家、久我家から選ぶとか、あるいはもとの皇族、今こういうところで果たして名前を挙げていいのかわかりませんけれども、十一宮家がございまして、それぞれ今現在末裔の方がおられますから、そういうようなところから選ぶとかということはございますが、皆さん全くの民間人でございまして、やはり難しいというふうに思います。しかし、難しいけれども、これをこのままほっておいては国家としての形といいますか、ほっておくわけにはいかないというふうに思いまして、私は、男女を問わず第一子が継承するのがいいのではないかというふうに申し上げております。

○伴野小委員 今の先生のお答えを聞いておりまして、やはり女帝を認めるということが日本国男子の日常的なレディーファーストを実践する第一歩かな、そんなふうに思って聞いておりました。ありがとうございました。

○保岡小委員長 次に、赤松正雄君。

○赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。
きょうは、高橋参考人のお話を聞かせていただきまして、いろいろ刺激的なお話でございました。象徴天皇制が日本の長い伝統の中で根づいてきているものだというお考え、わかっているようでいて、改めて、なるほどと思った次第でございます。

さらに、二つの点で日本の国会がきちっと議論すべきだという点も、大いに首肯するところであります。一つは、本来あるべき象徴天皇制というものについてしっかりと議論していく。もう一つは、皇位の継承の問題について、先ほど来お話がありますように、不安定な状況というものを克服するためにきちっとまたこれも議論すべきだ、こういったことを踏まえまして、一、二、御質問をさせていただきます。

先ほどもお話に出ておりましたけれども、さきの大戦の終わった後の国会における議論の中で、金森さんが、要するに、女性の皇位継承ということについては実に幾多の問題があると。あるいはまた、同じ答弁の中だと思うのですが、利害得失がいろいろあるので、それについて検討しなくてはいけないという意味のことを金森さんは言っております。先ほど来その幾つかが出ているわけですけれども、実に幾多の問題あるいは利害得失、その辺の代表的なものを、改めてもう一度、高橋参考人が考えられる、金森さんが言った、今の仕組みができ上がった時点における実に幾多の問題、利害得失の代表的なものを、利と害の点を指摘していただければありがたいと思います。

○高橋参考人 質疑してはいけないというふうなお話ですけれども、その利害得失ということについてもう少し御説明いただきたいんですが。

○赤松(正)小委員 その利害得失というのはどういう経緯で出てきたかといいますと、金森国務大臣が、いわゆる、女性天皇も将来の検討課題であるという含みを残しながらも、男系男子の基本原則を擁護する発言、答弁をしているんですね。その一番最後に言っているんですけれども、女帝ということになるとどうかといえば、歴代天皇のうち百二十何分の十という約七、八分に近い例外でありまして、よほどよく考えてその利害得失を見ていかなければならない。そういう意味合いでございます。

○高橋参考人 それは恐らく古代の天皇のときに、先ほど古代の女性天皇を立てた理由の中に、基本的には中継ぎ天皇なんですけれども、一つは、藤原家が、藤原不比等のところがずっと、聖武天皇を最終的には立てて、藤原家が天皇の外戚になっておったというようなこともございましたし、それから推古天皇のときは、蘇我氏と物部氏の仏教の戦いがありまして、その中で出てきたというようなことがございまして、自分のところに有利な人、女性の天皇を立てるとそういうふうにして利用できるというふうなことじゃなかったんでしょうか。古代の女性の天皇を立てた場合には、そういう政争がございまして、政争の中から何人か出ておりますので、そういうことが今後、将来そういうことがあっては非常にぐあいが悪いというような意味で言われたのかと思います。

○赤松(正)小委員 そういう流れの中で、例えばこういうことを言う人がいるんです。これは山口昌男さんですけれども、天皇は万世一系を日本人で固めるという前提があり、皇位継承者が例えば外国人と結婚する可能性まで排除しているということは、近隣諸国から奇異なものに映る。女性天皇を論じることは、そういった問題まで一緒に出てくるのではないか。女性天皇の論議は天皇制を根底から問い直すものだということをある雑誌の中で言っていますけれども、こういったたぐいの問題についてはどういうふうにお考えになりますか。

○高橋参考人 よくその問題について言っている人おられます。それから、ほかの王制のあるアジアの国とか、外国の王制、君主制のある国から、女性の天皇の場合、皇配を迎えたらいいのではないかというのを聞いておりますけれども、しかしこれは国民的な感情からいって、理論の上では、あるいは文化人類学者の方はそういうふうにおっしゃるかもしれませんけれども、果たしてそれが日本の伝統に合った皇位継承であるのか、あるいは象徴天皇としてのあるべき形なのか、みんなにそれが支持されるのか、その辺いかがでしょうか。私は、そういうのはやはり無理ではないかというふうに考えます。

○赤松(正)小委員 私も全くその点については同感なんですが、先ほど来申し上げておりますように、さまざまなこの問題をめぐって出てくる可能性というか、そういう論点を整理する意味で、どういう位置づけをこの発言は持っているのかなという思いがいたしましたので聞いてみました。

それに比較しまして、高橋参考人のおっしゃっていることは非常に明快というか、非常にわかりやすいという感じがするわけです。つまり、先ほどリーズナブルというお話をされましたけれども、第一子がともかく皇位を継承するのが一番わかりやすい。これはある意味で今の、平成十五年、二〇〇三年という日本の時代状況の中でそういう感じは非常に強くするわけですけれども、今度はいわゆる、これも古い考え方かもしれませんが、長男が家督を継ぐという日本の今日までの一般の伝統的な物の考え方というものについて、これをクリアするのはそう難しい問題ではない、そういうふうにお考えになっているわけですね。

○高橋参考人 そのとおりでございます。

○赤松(正)小委員 次に、先ほど森岡委員からも出ましたけれども、天皇の元首化という話でありますけれども、いっときそういう議論がかなり強く出た。それが少し後ろに引くというか、先ほどおっしゃったように、もう実質的にそういう役割を果たしているということもあって、後衛に退くと同時に、一方で首相のいわば大統領制の問題というものが日本の論壇の中に出てきているというか、国会の中でもそういう議論があるわけですけれども、この両者の相関関係といいますか、そういうことについてどういうふうにお考えを持っておられますでしょうか。

○高橋参考人 私は首相の公選制というのは共和制にやはりつながるのではないかというふうに思いますね。こういう例は世界でほかに、もしそれが実現するとなりますと、片っ方に君主がおりまして、片っ方に大統領のようなそういった公選をするということになりますと、果たして国家の形としては、理屈では直接公選制の方がいいんではないかというふうな形になりますけれども、実質的には大統領制になって共和制になるということになって、日本の国家の形が違ってくるんではないか。その場合に、お互いどういうような分担をするのかという問題もございまして、私、十分研究したわけではございませんけれども、難しい問題だな、そういうことは果たしてあり得るのかな、天皇の役割はどうするのかなというような感じもございます。

天皇の役割といいますのは、元首的な役割がございまして、儀礼的なもの、例えば皇室外交におけるもの、あるいは栄典を授けるとか儀式を行うとかそういったものがございまして、そういうものとの関係と共和制の大統領的なものと果たしてうまくいくのかどうかという感じがいたします。私は、無理ではないかというふうに思います。

○赤松(正)小委員 先ほど天皇のいわば皇室外交のお話の中で、伝統的に日本の大物政治家がついていっているということについては否定的な見方をなさいましたけれども、何か具体的にこういうケースがあったというようなことを想定しておられるんでしょうか。

○高橋参考人 想定しておるというんじゃなくて、毎回それは、元外務大臣がついていったり……

○赤松(正)小委員 いや、それはわかりましたけれども、済みません、中身の話でございます。

○高橋参考人 そういう方が現在ついておるわけです。ついておりますから、ますます相手国にとっては、そういった大物の政治家が来るんだから天皇と政治的な話をしてもいいんではないか。例えば、ありていに言えば、もう少し援助をしてくれとか、あるいはここのところをこういうふうにしてくれとか、そういう政治上の問題が出るんではないか、実際には出ないんでしょうけれども。

象徴天皇は基本的には政治には関与しないわけですから、果たしてそういう人が行くことが必要なのかどうか。むしろ、随員といいますか、そういった中は宮内庁だけで固めていって、あるいはそういう政治家的な人がいるんなら、もっと若い人とか、そんな大物の政治家で何々を経験したというふうな人じゃなくて、事務局的な人がついていったらどうかというふうに私は申し上げているんです。

○赤松(正)小委員 ありがとうございました。終わります。

○保岡小委員長 次に、藤島正之君。

○藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
時間も短いものですから、端的にお伺いしたいと思うんです。いわゆる象徴天皇という制度をとっているわけですけれども、象徴というのはなかなかわかりやすいようでわからないような面があるんですが、どういうイメージを持つのがいいのか、お伺いしたいと思います。

○高橋参考人 私は、先ほど申し上げましたように、過去から天皇というものは日本民族全体のまとまりにいる象徴としての天皇というふうな意味で使っております。ですから、日本の民族の代表といいますか、それがずっともう象徴的な存在としてあったというふうな意味で使っております。

○藤島小委員 象徴という言葉しか書いていないものですからあれなんですが、もう少し内容としてはどういう内容を考えるべきなのか。

○高橋参考人 私は先ほどの話の中で象徴天皇の要件というのを幾つか挙げました。基本的には、世の平らぎを祈ったり、それから国民とともにあったり、福祉について考えたりというようなことが天皇の役目として伝統的に続いてきた。それは、日本民族のため全体に天皇がそういったことを祈ってきて願ってきたという意味でございますけれども。

○藤島小委員 それでは、次に政治的中立性、外交問題に絡んで先ほどちょっとお話がありましたけれども、これについてもう少し御説明いただけますか。

○高橋参考人 そのうちの一つとして、私は皇室外交について取り上げたわけですけれども、平成の天皇の即位礼、大嘗祭、こういったものもやはり私は、大嘗祭について大変な議論がございまして、結局、最終的には公費で支出する、宮廷費の中で支出するということがあったわけですけれども、果たして、ああいうものが皇室の行事として、公的なものとしてあった方がよかったのかどうなのかと。私はむしろ皇室の内廷的な行事としてああいうものがあった方がいい。

けれども、国会の答弁なんか見てまいりますと、初めに、一九七四年ごろに法制局の方でも、あれは国の公式的な行事としてできないんではないかというような話がありましたが、だんだん論議をしていくうちに、あるいはせっぱ詰まっていくうちに、大嘗祭は公的なものとして支出されてしまったというようなことがございます。

よく国会などで皇室の長い伝統というようなことがありますけれども、私は、長い伝統という言葉は明治以降のことを言っているというふうに思っております。

大体百二、三十年前のことを伝統と言っていますが、しかし、天皇家は千数百年の伝統がございまして、それ全体のことを伝統と言っているケースは余りないんではないか。それがこの間の即位礼、大嘗祭のときの論議に見える、あるいは、長い伝統と言っても、それを指すのは明治以降の天皇制を指しているんではないか、そういうことがございまして、そういうふうなものを政治的なというふうに考えております。

○藤島小委員 天皇に責任が及ぶようなことのないようにという意味では、ぜひこれは中立性を保たにゃいかぬ、こう思うわけであります。
先ほど赤松委員からもちょっとお話ありましたけれども、その際、元首としての立場と首相公選制、これもなかなか魅力のあるものだと思うんですね、首相公選制も。
先ほど先生は、今の憲法上の規定からいくと無理じゃないかというようなお話があったわけですけれども、今の憲法における天皇の位置づけから首相公選制は両立しない、もし首相公選制をとるんならば憲法を改正しないとできないんだ、こういうふうにお考えなんでしょうか。

○高橋参考人 私は、憲法をきちんと勉強したものでもなくて、その点についてはわかりません。しかし、そういう例は外国の例を見てもございませんし、それから、首相公選制になりますと、日本は共和制になってしまうんではないかという感じを持ちます。詳しくは存じません。

○藤島小委員 では、もう一つ最後に、皇位継承の問題で、先生は、第一子であればもういいんだというふうに決めるべきだ、こうおっしゃっているわけです。我が国の今までの考え方、これも赤松委員からもちょっとお話がありました。かつて女帝もおられたというお話もあるわけですけれども、これはまさに例外的に中継ぎみたいな形でしかないんで、基本的にはやはり男系の男子が望ましいということだったんだろうと思うし、今も国民の大多数はそういう考えがあるんじゃないかな、こう思うわけですね。

よその欧州の国でも、男子が基本である、例外的に女子も可というところがあるわけですね。そういう意味で、我が国も、男子が基本的に継承する、しかし、いない場合とか病気でなれないといったようなケースは、例外的に女子もなれるといった方が望ましいんじゃないかなという感じはするんですね。

先生は、最初に生まれたときから天皇になるんだということでないと、身分が不安定、いつの時点で決まるかわからないと。これは、側室が多いとどんどん子供さんが生まれていくということはあるんですけれども、一夫一婦制だと、そんなに二十幾つも離れていきなりということはないわけでありますので、ほぼ見当はつくというようなことからすれば、私は、基本的には男子がなり、例外的に先ほどのようなケースの場合に女子がなれる、こういう規定の方がいいんじゃないか、これはむしろ今の国民感情的に合っているんじゃないかなという感じがするんですけれども、いかがでございますか。

○高橋参考人 私は、先ほど申し上げましたように、第一子の方が皇位は安定すると思います。
それは、天皇としての気持ちといいますか、昭和天皇と秩父宮の関係なんかを見ましても、やはり、昭和天皇に対しては、生まれたときから、本当にお小さいときから、みんな周りの者が、この人は天皇なんだというような鍛え方をするわけです。それで、秩父宮に対してはそうじゃないわけでありまして、この人は皇族だというふうに育てられる。そうすると、その兄弟の間で非常にそごが起きたりなんかすることがございます。

しかし、天皇の人格というものは、そういうふうに本当にお小さいときからこの人が天皇なんだということを言っておかないと、ただ単に血がつながっているとか何かであっては、やはりぐあいが悪いんだというふうに思うんです。それで、天皇の円満な人格といいますか、人を愛するだの、ああいう人格ができ上がっていくんだと思います。

それから、じゃ、次はどうなんだ、男の子が生まれるのか生まれないのか、そういう議論というのは私は天皇にはふさわしくないんではないかというふうに思いまして、第一子というふうに申し上げたわけでございます。

○藤島小委員 終わります。

○保岡小委員長 次に、山口富男君。

○山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。
きょうは、肌身で感じてこられた、また身近に接してこられた天皇家についてのお話で、特に、第一子が皇位を継承する問題というのは、法律改正にかかわる性格の問題として、私たちも検討していかなきゃいけない問題だというふうに承りました。

まず最初にお尋ねしたいのが、きょう冒頭に引用されました皇位の継承などを定めた皇室典範なんですけれども、これの旧皇室典範との法規範上の違い、この点を参考人はどのように押さえられていますか。

○高橋参考人 私、専門家でないから十分わかりませんけれども、少なくとも、皇位継承の憲法の第二条と皇室典範第一条の「皇統に属する男系の男子」というようなこと、それと旧憲法とは内容的には全く同じではないかというふうに思っております。

○山口(富)小委員 私は、旧憲法と今日の憲法というのは、やはり主権在民という点で明確な違いがあるというところを押さえておかないとうまくないと思うんですが、この点はいかがですか。

○高橋参考人 それは、もちろんそういうことです。ただ、私は、この部分だけをとってそういうふうにお話を申し上げているつもりでございます。

○山口(富)小委員 きょうは、象徴としての天皇については、歴史的な経験もあり、国民的ななじみもあるというお話でした。確かに、千数百年にわたって天皇家が続いてきたという長期的存在については、私も歴史研究の課題だと思うんです。きょう参考人も紹介されました今谷明さんなんかは、室町期の王権について、非常に政治的な激動の中でいろいろな多面的な姿を見せたというのを、歴史研究としても随分明らかにしてきたというふうに思うんです。

とはいっても、きょうも高橋参考人が強調されましたように、明治憲法体制のもとでの天皇との違いというのはきちんと念頭に置いておかないと混乱しますよというお話がありました。となりますと、今日の主権在民下の天皇制度というのは歴史上初めての経験なんですね。この点はどのように考えられるんですか。

○高橋参考人 主権在民の天皇というのはまことに初めての、それは当然のことでございます。

それから、さきに言われました今谷先生のああいう室町の王権につきましては、いろいろな議論がございまして、まだ必ずしも一定のきちっとした学説ではないというふうに私は思います。

ですから、象徴天皇の形としては、私が先ほど来申し上げているような形がずっと伝統的に続いてきたのだと思いますけれども、現在の国民統合の象徴、主権在民の天皇というのは、私はもう極めて当然なことだというふうに思います。

ですから、これは極端な例なんですけれども、一回、天皇のあり方についてもう少し、まあ、世論調査とか何かというのはありますけれども、これをすっきりするという点では、国民の投票と言うとなんですけれども、何かの折にそういったものを聞いてみてもいいんではないかというふうに思うんです。そうすると、その主権在民がはっきりする。それから、主権在民だと言っているから投票にしろという意見もございますけれども、それはきちっとやっておくというのもいいんではないかという感じがいたしますね。

○山口(富)小委員 私は、今の憲法の第一章が「天皇」で、一条から八条まで定められているんですけれども、第一条が、天皇の地位というのは主権の存する日本国民の総意に基づくという規定があって、第二条で、その地位については国会の議決した皇室典範が定めていくんだ、そしてまた、国事行為についても国民のために行うんだという規定があるように、天皇の条項そのものが、主権在民ということがきちんと据わった上での定め方になっているというのが日本国憲法の特徴だと思うのです。

それで、先ほどおっしゃっていました、憲法は、第六条、七条で、国事行為を十二項目にわたって非常に厳格に定めているわけですけれども、この厳格性についてはどういうふうにごらんになっているんですか。なぜ憲法がこういう形できちんとした定めを置いたのかという点、どういうふうに見ていらっしゃいますか。

○高橋参考人 それは、大日本帝国憲法の時代に、やはり天皇がいろんな大権を振るったというようなこと、それの反省からきていると思います。

御承知のように、GHQとの交渉の中でいろいろやりとりがございますけれども、この際、きちんと天皇のあり方というのは決めておいた方がいいというようなこともある。それから、それ以外は全部私的行為だという議論もありますけれども、そうではなくて、それ以外の行為もあるはずだ、全く私的ではない。それが、天皇の天皇としての地位、それに伴う行為、それが公的行為というわけでありますけれども、その三分説というのが大体基本的に、一般的に認められているような天皇の行為ではないか。

私が問題にしておりますのは、国事行為の十二項目について言っているわけではなくて、問題なのは、やはりその公的行為の拡大といいますか、それが問題ではないかと言っているわけでございます。

○山口(富)小委員 今整理なさいました国事行為、それから公的行為、私的行為。私は、憲法上でいいますと、国事行為しか定めておりませんから、それ以外は、公的行為という考え方を持ち込みますと、参考人もおっしゃったように、本来の姿から外れる問題が生まれてくる、そういうものを不可避的に伴いますので、やはり国事行為と私的行為という整理の仕方が一番憲法上の要請ではないかというふうに思うのです。

それで、先ほど、皇室外交にかかわって危惧のお話がありましたけれども、これはもう一度整理するような話になるのですが、この七条や六条で決めた国事行為の規定との関係ではどういう問題をはらむというふうにお考えなのですか。

○高橋参考人 それは先ほど来申し上げているように、皇室外交というのはそういったものとは外れたものだと思います。
ですから、それをすくうといいますか、行為として公的行為に持っていって、公的行為でそれを行っていく。しかし、公的行為も、国会の答弁なんかでございますけれども、これも内閣の助言と承認、内閣が責任を負うということになっております。

○山口(富)小委員 それからもう一点、元首論なんですけれども、憲法は元首の規定を置いておりません。それは、強いて言えば、内閣総理大臣が内政、外交の代表者でありますから、元首といえば内閣総理大臣に当たるというふうに考えていいと思うのです。先ほども参考人がおっしゃいました、国会での政府答弁があるようですけれども、この国事行為の十二項目からいきますと、そこからは元首論は導き出せないのじゃないですか。

○高橋参考人 それはそういう意見もございますけれども、実質的に、例えば外交官、大使の信任状とか奉呈状とか、それは天皇の名前が出ていて元首的な形をとっている。それに対して反対する方はそうであるかもしれませんけれども、少なくとも、皇室外交で、宮中晩さん会で天皇が国を代表してあいさつする、あるいは向こうに行ってスピーチを述べるというふうなこと、こういうことを考えますと、やはり元首的なことであって、憲法の条文というものは国民統合の象徴ということにしておくけれども、考え方、運用としては元首的なことであってもいいというふうに私は思います。
行為の三分説については、いろいろ意見が分かれることは存じております。

○山口(富)小委員 私が申し上げたのは、先ほど国事行為の十二項目を大変強調されましたので、そこから皇室外交が外れるというお話もありました。となりますと、そのことをとって元首的なものというふうにみなすのは、やはり憲法上無理があるというふうに考えて、今質問したわけです。この点は、多くの憲法学者が大体そういう物の見方をしていると思います。

それから、先ほど、天皇が即位に当たって述べられた言葉の中で、国民とともに、国民の幸福を願う、憲法遵守というところにキーワードがあるというお話がありました。これは、どうでしょうか、憲法の定めからいくと、どういうところを踏まえた発言というふうにごらんになっているのですか。

○高橋参考人 恐れ入ります。もう一度、最後のところを詳しく。

○山口(富)小委員 キーワードとおっしゃいましたので、確認したいのですが、憲法の中には天皇にかかわるきちんとした規定があるわけですね。そうしますと、国民とともにとか、国民の幸福を願う、それから憲法遵守、こういうものは憲法の精神からいくと大体どういうところと関連した発言になるんでしょうか。

○高橋参考人 それは憲法とのかかわりというようなことではなくて、天皇がおっしゃったのは、日本の長い伝統の中でそういったものが伝わってきているんだという意味で言ってきているわけであって、憲法とのかかわりではないというふうに私は理解しております。

○山口(富)小委員 時間が参りました。憲法遵守というのは憲法に書いてありますので、そのことだけ申し上げて、終わります。ありがとうございました。

○保岡小委員長 次に、北川れん子君。

○北川小委員 社民党・市民連合の北川れん子と申します。本日は、どうもありがとうございました。
私は、先生が帝王学のお話を言われて、今、男性、女性にかかわらず、帝王学というものを受けた場合は性差というものは余り関係ないのではないかなという立場をとっているんです。先ほど言われた第一子論なんですが、今、女性天皇説の議論が大きくなってきているんですけれども、私は、女性天皇論というのには慎重であるべきだという立場をとっているんです。先生が言われているきょうの第一子論は、男女平等論という面からではなく、維持をする、存続をする意味においての第一子論であるのかどうか、もう少し詳しくお伺いしたいのです。

○高橋参考人 さようでございます。
現在のままでいきますと、憲法にも定めてあり、それから国民が支持している象徴天皇の形が非常に不安定であるということで、先ほど来申し上げましたように、男子優先、女子も、いない場合は受け継ぐというような形よりも、第一子というふうにきちんと決めた方がもっとわかりやすい。
もちろん、天皇制を維持しておこうというために、そこからきている意見でございます。

○北川小委員 そうしますと、昨今、マスコミなどもこぞって、男女平等の時代になったから女性天皇というものは当たり前のようにあっていいのではないかという説に対しては、どのようなお考えを持っていらっしゃるのでしょうか。

○高橋参考人 それは、必ずしも男女平等だの何だので決めるということよりも、むしろ象徴天皇というものを安定して存置し続けるというような意味で私は言っておりまして、男女平等論で申し上げているわけではございません。

○北川小委員 では、昨今マスコミなどが伝えてきている男女平等論に国民の感情を持っていくという動きに対しては、参考人はどのような御見識をお持ちなのか、お伺いしたいと思うのです。

○高橋参考人 男女平等とか、それから男女平等を中心としたジェンダーの問題がいろいろよく出てまいりますけれども、そういうものは、私は、象徴天皇を論じる場合には、どうもそういうテーマで余り考えたくはないですね。

○北川小委員 では、参考人にとっては、ジェンダー論、性差の問題として見たという経験は全然ないということなんですが、そうすると、多分、高橋参考人の男性の目で見てきた象徴天皇の維持というところにきょうの全体的なお話がいくと思うのです。天皇制度が持っている家父長制とか、それから家制度の問題とか、それから先ほどおっしゃいました外国人の方との結婚は国民感情がというふうにおっしゃったのですけれども、高橋参考人は、いみじくも男性の視点であったという点において、女性の視点から見ての象徴天皇に対しての意見というものが昨今は出てきているということに対しての御認識は、どのようにお持ちになっていらっしゃるんでしょうか。

○高橋参考人 それは私は十分認識しておるつもりであります。少なくとも、私が言っているのは、男女の別の象徴天皇論を言っているわけではなくて、男の人も女の人もジェンダーに関係なく私の論を受け入れてくれるんではないか、私はこう思うんですよというふうに考えております。

ですから、もちろん私は男性ですから、ただ、男性の立場を意識しながら女性の天皇の問題について言っているわけではありません。繰り返しますけれども、女性の天皇であってもいい、つまり第一子でもいいというのは、象徴天皇がきちんと存続していくための装置として第一子論を言っているわけであります。私の話をどうお受けとめになってくださっても結構ですけれども、私は、外国人とかあるいは今はやりのジェンダー論とか、そういったものは余りとりません。

○北川小委員 配偶者に関して、もし女性天皇が誕生した場合に、その妙案はないということなんですけれども、女性の場合に、リプロダクツライツ・ヘルスといって、性の自己決定権というのが昨今は言われているんです。その点など、女性天皇が生まれた場合、その方が婚姻という形をおとりになった場合という設定になるんですけれども、そういう問題とか、それから、税金の問題、皇族の範囲が女性天皇では広がるということで、新聞などでもその情報というのは一部伝えられていっているんですけれども、この皇族の範囲の限定と税金との相関関係においては、どのようなお考えをお持ちになっていらっしゃるんでしょうか。

○高橋参考人 皇族がふえれば、それは公費から支弁されますから、それはふえるのは当然でありますけれども、第一子、女性天皇にする場合は、先ほど私が申し上げましたように、直系だけに絞るのか、あるいは傍系も入れるのか、この問題が難しくて、現在の皇室に合わせると、直系の場合は、皇族の場合は三世以下を王または女王と言います。ですから、二世までは親王、内親王と言うわけですけれども、日本の皇族は永久皇族制をとっておりますので、王も女王も内親王も親王もずっと皇族で続くわけですね。したがって、私は法律の専門家ではありませんから、第一子が継承するということが言えますけれども、それ以降、じゃ、どういうふうにしてそういう制限をやっていくかという問題は、非常に難しい問題だと思うんですよ。

ただ、少なくとも、戦後、十一宮家が臣籍降下した段階、そのときは宮家が、御承知のように、天皇の直系の秩父宮家、高松宮家、三笠宮家、三つに限られました。それが現在、八宮家にふえておりますね。たった五十年間の間にこういうようなことがありますので、そういう皇族の範囲の問題については、特に今度、女性の天皇ということになって、女性も皇位継承者とするという場合には、一人には限られないと思うんですね、複数の宮家がなきゃいけないんじゃないかと思いますけれども。そういう宮家の範囲をつくることは非常に難しいと思います。それは専門家のお立場でやはり考えていただくということだと思います。

○北川小委員 その場合に、退位の自由とか身分離脱の自由とか、天皇の人間性の部分ですね。天皇の機関の部分ではなくて、天皇の人間の部分での退位の自由とか離脱の自由とか、先ほど言いました性の自己決定権とか、天皇の内なる人間の部分での人権の問題というものに関していろいろな説があるというふうに聞いているんですが、高橋参考人はどのような説をお持ちでいらっしゃるんでしょうか。

○高橋参考人 私は、皇族はやはり特殊な立場にあって、そのために皇族に対して特権もございます。だけれども、例えば、選挙権とか、職業選択の自由とか、結婚の自由とか、そういうのはございませんね。それはみんな皇室会議などで決める。特に結婚なんかはそういうことになるわけですけれども、そういう制限がある。その制限の中で私たちは現在の皇族の方々に天皇制を維持していただくということを思っておるわけですから、特権等のかわりにそういう問題が起きても、そこのところの制限については、我慢していただくといいますか、理解していただくといいますか、そういうことであるというふうに思います。

結婚のことについてはよく言われますけれども、国民統合の象徴というのは、ある皇族が勝手に、じゃ、この人が将来の皇后になるんだということで、果たしてみんなの理解を得られるのかどうなのか。御承知のように、皇室会議というのは、皇族が二人入りまして、それ以外に、三権の長が入りまして、宮内庁長官、みんなで、国民の合意的な、国会の代表が入っているようなところでございますから、そういうところで認めれば国民の合意ということになるかもしれません。だけれども、勝手に自分の主張を通して、それで、はいというわけにはいかないんだと思いますね。

○北川小委員 今おっしゃった、天皇の特権の部分なんですが、それを言葉であらわした場合、参考人はどのように思っていらっしゃるのか、ちょっと御披露していただきたいんです。

○高橋参考人 その特権といいますと、例えば、皇位を継承する権利とかそういったことですか。

○北川小委員 今、高橋参考人が、特権と、それから天皇の内なる人間の、人権のバランスの問題だとおっしゃったものですから、天皇の特権というものをどのようにイメージというか、思っていらっしゃるのかを、高橋参考人が言われる天皇の特権とは何かを教えていただきたいという意味で御質問したんです。

○高橋参考人 それは、天皇がきれいなところに住むとか、別荘があるとか、そういった意味じゃないんですよ。それは、皇室経済法とか、それから憲法だの皇室典範だののところに書かれている特権でございまして、例えば、皇族にはきちんとした歳費をお出しするとか、それから、皇位の継承権があるとか、そういったことを言っているわけでありまして、日常の暮らしの中で特権があるとか、きれいな着物を着られるとか、そういう意味ではございません。ちゃんと法律にのっとった特権があるという意味でございます。

○北川小委員 ちょうど時間が参りましたので。どうもありがとうございました。

○保岡小委員長 次に、山谷えり子君。

○山谷小委員 保守新党、山谷えり子でございます。
きょうは、象徴としての天皇、皇位継承について、さまざまな視点からの分析、御指摘、ありがとうございました。ヨーロッパの王位継承制度などについての御説明もございましたし、また、特にジャーナリストとしての視点が非常に参考になりました。

さて、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」皇室典範一条。しかしながら、男系の男子が継承するということは、歴代、非常に苦しまれた部分があった、また側室の存在というのが大きかったというようなことでございましたし、また、男女平等という立場というような意見もあるということでございますが、私も参考人と同じように、皇位につく資格あるいは皇族というのは、基本的人権とは別に考えていくべきものだろうというふうに考えております。

共同通信と加盟社で構成なさった日本世論調査、七回の結果が、女子でもよいというのが、一九七五年、三一・九%から、二〇〇一年、七一・二%ということになっておりますけれども、サンプリング、どのような年齢、どのような数、どのような聞き方をしていらっしゃいますでしょうか。

○高橋参考人 サンプリングは三千人でございます。今はやっているRDD方式といいまして電話でやっているような、そういうあれではございません。それから、この加盟社は三十六社ございまして、日本全国をほぼカバーしているというようなことでございます。ですから、もちろん専門家の意見も聞いて、伝統的な会社ですから、極めて公平なやり方でやっております。サンプリングの三千人というのは、決して少ない数字ではございません。

○山谷小委員 年齢と、幾つぐらいの質問項目があるんでしょうか。

○高橋参考人 年齢は、たしか選挙権を有している人以上だと思います。

○山谷小委員 質問は何項目ぐらい。

○高橋参考人 これは、幾つかの世論調査、大体十一項目ぐらいございまして、このうちの二つとか三つとか、そういうことでございます。

○山谷小委員 わかりました。
天皇は、千数百年の歴史があり、自己犠牲の見本で、なされることの大きなことは、祭り、祭祀でございます。日本の生命観、伝統、文化そのもので、一体でもあるわけでございますし、皇后陛下が、皇室とは祈りであるというようなお言葉、私も深く深くかみしめるものでございますし、恐らく、多くの日本の国民が意識的、あるいはさらにもっと無意識のレベルでそれを感じているのではないか。そしてそれこそが、象徴天皇と一体として日本というものをつくっているのではないかというふうに思うわけでございますが、大きなお仕事の一つとして神事をなすということがございます。

例えば、カトリック界ですと女性司祭は認めていないわけですが、議論は始まっておりますけれども、それが基本的人権の侵害であるというような議論ではなくて、やはりそのような祈りというものと文化、伝統、歴史をつないでいくということとの絡みの中で考えていくべきだということだろうと思うんです。

参考人は大学で教えていらっしゃるけれども、若者は、天皇とか天皇制について教えられることもなく、したがって深く考えることもなく、テレビメディアなどで映される映像でしか考えていないと。ですから、決定的に一番大事なものが全く伝わっていないわけでございます。ヨーロッパでも、女性の王位はあるじゃないか、それから少子化だからいいじゃないか、こういうレベルで考えていいことではないというふうに思うんですね。

そうしますと、世論調査で恐らくどんどん数字は高くなっていくんだろうとは思うんですけれども、やはり、何か大切なものが欠けたままの世論調査に従っては、非常に誤っていく部分、危ない部分もあるのではないかと思うんですが、その辺はいかがお感じになっていらっしゃいますでしょうか。

○高橋参考人 私どもの会社でやっておりました世論調査について危ないとは思いませんけれども、そういう外的な影響を受けるのは、世論調査では当たり前のことだと思います。
それから、前で一つ祈りについてのお話ですけれども、祈りというのは、宮中三殿に上がったときの祈りということを皇后陛下が言っておるのではなくて、常に日常的に祈っているんだという意味でございます。ちょっと参考までに。

○山谷小委員 私もそれは十分に想像できますし、恐らく国民もそのように思っているのではないかというふうに思います。

日本文化というのは、過去を消し去る、否定するという形での発展はしてこなかった。これは、農耕文化、それから自然、太陽、生命観というようなものと深くかかわりがあるというふうに考えているわけでございますけれども、常に起源、オリジンに至るまで丸ごと、総体として、一体としてあることこそ、日本並びに皇室のオリジナリティーであるというふうに考えております。

そうして、その中でまた新たな意識、文化のステージを開いていくという形で日本というのは発展して進んできているというふうに思うんです。これは、アマテラスの形成に、また今日に至るまでの道筋に、さまざまな形に、文化的、宗教、民俗学的に見られるところだと思うんですが、私は勉強不足のせいかもしれませんが、議論としては余りなされてこなかった。この議論の部分を欠いては、やはり、豊かな象徴天皇として次の時代にバトンがつながれていくという部分で、非常に大きな欠落をもたらすのではないかというふうに思います。長年の宮内庁記者として、その議論のあり方、欠けている部分、あるいはこのようにあった方がいいのではないかと思われてきた部分というのがございましたら、お教えいただけますでしょうか。

○高橋参考人 私は、その議論の前に、あるものはやはり基本的な知識、これがないとやはりできないんだと思うんですね。

自分のことになりますけれども、私が初めて三十年ぐらい前に書いた本は「現代天皇家の研究」という本でございまして、それは講談社から出たんですけれども、憲法学者はそれは大変高く評価していただいた。

それは何かといいますと、宮内庁、宮中のことについてはほとんど知られていない。それから、取材しようと思っても拒否されてわからなかった。それを私は、実態はどうなっているのか、天皇の行幸啓があった場合は、こうこうこういうような警備がしかれるとか、こういう保健衛生をやるとか、憲法でこうは言っているけれどもこう、そういう実態論をずっと出しまして、岩波の「象徴天皇」もそうなんですけれども、天皇について余りにも知られていないんですよ。それがただ単に観念的に、先ほど来申し上げている戦前の天皇制をテーマにして、いや、こうなったら昔に戻るんだというふうな議論をしていたのでは、豊かな議論というのはできないと思うんです。

ですから、まず学校教育なり、あるいは実態をこうやって明らかにして、それをもとにして、それを財産としながら議論をやっていかにゃいけないというふうに思います。

それから、今の天皇陛下ですけれども、即位の後の記者会見で、言論の自由についてどう思われますかということに、言論の自由については堂々とやってくださいと言われたり、そういうような発言もございましたし、それから、天皇の論議というのは非常にタブーといいますか、言ったら何か起きるんじゃないか、こう言ったらぐあいが悪いんじゃないかというのが非常に重なっていきまして、それでタブーが起きます。一つ大きなタブーは、昭和天皇の御闘病のときでございました。それは、御承知のように、十五年前になりますけれども、あのとき大変変な現象が起きまして、紅白のまんじゅうがなくなったり運動会がなくなったり、そういういわゆる自粛ムードがありました。

そのときに天皇は、日付はあれしました、どこかへ書いてありますけれども、十月の十何日だと思いましたが、今の陛下は皇太子時代に、とにかくこういったタブーばかり言ったのではかえってぐあいが悪い、むしろそういった、父を、昭和天皇のことを思ってくださる国民の気持ちはわかるけれども、世の中全体が暗くなってはかえってぐあいが悪いから、タブーについては、そうおっしゃったかどうかわかりませんけれども、そういう自粛についてはもう少し緩めたらどうかというようなことも言っておられます。むしろ皇室の方から、今の陛下の方からそういうことを言っているという事実もございまして、もっと自由に皇室の論議というのはやっていく。

そのためにはやはり、例えば、基本的なことは学校教育でも教えていったらどうか、それからデータなんかももっと出していったらどうかというふうにも思います。私は、そういう意味で、いろいろな本を書いてきましたけれども、天皇の実態といいますか、そういうものについてたくさん書いてきたようなつもりでございます。

○山谷小委員 今お伺いしますと、本当にやはり戦争のトラウマというものが、さまざまな教育の場面でこのような形になってきている。恐らく、小学校からきちんと年齢にふさわしい教育的配慮を持った教え方というのがあるんだろうというふうに思います。
もっとお聞きしたいことがあったんですが、質疑の持ち時間が参りました。どうもありがとうございました。

○保岡小委員長 近藤基彦君。

○近藤(基)小委員 自由民主党の近藤基彦でございます。
いろいろな党の方々が今ちょうど一巡をされて、自由民主党に戻ってきたわけでありますが、ほっとしているのは、天皇制を否定するところが一つもなかったということで、その議論としてはもう既に終わっているのかなと。国民の総意に基づくという、できたてのころは、総意とは何だ、だれもうんと言った人はいないじゃないかというような乱暴な議論もあって、ちょっと国民投票でもしてみろなんという、冗談で言っている人もいるぐらいだったんですが、もう既にその議論というのはほとんどないんだろうという感想であります。

今、山谷先生の方からも話がありましたが、共同通信の大変おもしろいアンケートといいますか、この数字の変わりよう、これをどう見るかという。男女平等が進んだからこう変わってきているとは思えない。天皇制に関心が非常に高いことがこれによって象徴されるのかなと。

要は、長いこと皇太子殿下にお子様ができなかった。このままいけば、何代か続くうちには、あるいは一代か二代になるのかもしれませんが、このままなら天皇家が絶たれてしまうのではないか、そういった数字のあらわれ方なのかな。特に、九八年あたりから急激に、女子でもよいというパーセンテージ、逆に、男子に限るというパーセンテージが激減をしているという。もう既に、私自身は、女帝でいいのかなという国民的な合意は得られつつあるのかなと思ってはいるんですが、さりとて、男子に限るという数字が、まだ一年の調査では一五・三%。

明治憲法下において、男子男系に限る、井上毅さんが女帝を認めるような雰囲気の中から無理やり五原則をつくって持っていったというようなお話がありました。しかし、この一五・三%の人たちが男子に限ると思っているのは、実は、明治時代に男系に限るとした原則とはちょっと違うのではないかなと思うんですけれども、その辺、高橋参考人はどうお考えになりますか。

○高橋参考人 私も近藤委員と全く同じ意見でございまして、これは推測ですけれども、男系男子は明治のときはそれなりにやはり意識はあったんだと思うんですね。つまり、大日本帝国憲法の姿は、男の姿であったというようなことだと思うんです。

それから、万世一系のつくられ方も極めて男性的なそういったイメージがありまして、ですから、井上毅は、過去はそういうことがあるけれども、実はこうなんだ、女性天皇というのは例外なんだというようなことを言っておりますけれども、現在の一五・三%の中身は必ずしもそうではなくて、ただ、伝統的に日本人は男子で来たんだということで丸をつけられたんじゃないかというふうに思います。恐らくこの一五・三%の中身は、若い人じゃなくて年取った人の丸だというふうに私は思います。

○近藤(基)小委員 それならば、例えば今、男子男系のまま、いじらずに、皇室典範を変えずにいけば、天皇家が絶たれるということは、大変申しわけありませんが、今後、男子の親王が生まれてこなければという話で、まだお若いですから、可能性がないということはありませんので、否定するものではありませんが、現状の段階では、このままいけば絶たれるという話になってしまうということで理解していいと思うんです。

では、どうするんだという話になれば、天皇制を残そうということならば、もう既に、女帝はこのままなら認めざるを得ないという話になるんだろうと思うんです。そのときに、ではどういう形で女帝を認めていくのかというのがきょうの議論なんだろうと思うんです。

私は、高橋参考人の、第一子目ということは大賛成であります。こういう法律とかそういう決め事というのは、一番簡単に考えておいた方が一番いいのかなと思いますので。しかも、今、もう愛子内親王が二歳を過ぎられて、もうそろそろ本当の教育、幼児教育というものに入っていかなきゃいけない時代に、先ほどからおっしゃっている天皇としての教育を徐々にしていかなければいけないこの時期に、ですから、そう時間はないんだろうと思うんです。ですから、これは、あと五年も十年も先延ばしをしていいという議論にはならないと思うんです。

そうすると、憲法改正ということではなくて、皇室典範改正ということでありますから、法令改正という形なんですが、細かい点の規定がかなりあって、男子男系に限るという部分だけを外せば、あるいは第一子ということで書けばそれでいいということではなくて、皇族女子の結婚の規定も外していかなければいけないという形になるのかなと。ただ、皇太子、女性でも皇太子と呼ぶのかどうかわかりませんが、皇太子という形で規定すれば、そこは変えなくてもいいのかなという思いはあるんですが。

さりとて、先ほどから出ている配偶者の問題。昭和天皇から、一般民間人の女性を皇太后にお迎えをなされる。そうすると、今の皇族女子、内親王も、自由とは言いませんけれども、一般民間人の男子と御結婚ができるという形になるんだろうと思うんです。その辺の配偶者の規定ですけれども、それは国民合意、恐らく、国民総意というのが一番最初に、象徴天皇としてあるわけですから、ある種国民に認められなければいけない部分があるんでしょうけれども、これは男性が女性を迎えるのと、今の社会通念で、女性が、一般社会ではお婿さんをとるという話になるわけですけれども、その観念の違いが、まだギャップがかなりあるんだろうと思っているんです。

その辺の考え方は、今後、女帝を認めるということに関して、今の、いわゆる皇太子が一般の民間人の方をお迎えするのと内親王がお迎えするのと全く同じでいいのか。それは皇室会議の中での話になるのかもしれませんけれども、かなり国民の見る目が違ってくるのかな、初めてのことですし、その辺のお考えがもしあればお聞かせいただきたいと思うんです。

○高橋参考人 最初に私が時間がなくて申し上げなかったことなんですけれども、とにかく、皇室典範の改正は、秋篠宮がまだ三十七歳だからいいではないかというような問題ではないんですよ。今まさに近藤委員がおっしゃったように、それは五年先、何年先の問題ではなくて、もう愛子さんも二歳ですから、これはきちっとした定めがなくてはいけないというふうに私は思います。

それは近藤委員と全く同じでございまして、はて、その相手の問題ですけれども、これは、近藤委員も非常にお悩みになっておられますけれども、非常に難しい。だれが考えても難しい。だけれども、皇室会議の中で、先ほど北川委員のときにも申し上げましたけれども、大体合意に合うような方が来るというわけであって、皇太子がお相手を探したり、女性の天皇がお相手を探すのと全く同じで、最終的には皇室会議で決めるというわけでございますので、そういう感情のずれといいますか、旧家が婿をもらうと大変だなというような感じにはならないのではないかと私は思います。わかりません。

○近藤(基)小委員 時間なんですけれども、先ほど言ったように、余り時間がない話でありますので、これは早目に、どこで議論をしていったらいいのかというのは国会内の話でのことになるんだろうと思いますので、ぜひまた、この話は我々としてそう時間を置かずに進めていきたいと思います。
どうもありがとうございました。

○保岡小委員長 次に、大畠章宏君。

○大畠小委員 民主党の大畠章宏でございます。初めて憲法調査会で質問をさせていただきます。
今いろいろと御議論がございましたけれども、きょうは、象徴天皇制に関して大変わかりやすく高橋参考人にお話をいただきまして、大変ありがとうございました。

いろいろと高橋参考人の御意見に質問をしようと思いましたが、基本的なところを私なりに受けとめますと、継承問題については、第一子が継承するということにしてはどうか、生まれたときからの帝王学というのは大変重要だというお話、あるいは、やいばに血塗らざる伝統という考え方、また国民とともにという考え方等々、それから、特に天皇が外国に行かれる場合に大物政治家が同行するという慣習をやめたらどうか、非常に私は胸にすとんと落ちるお話がございました。基本的に、高橋参考人の御指摘に、私は個人的に賛成でございます。

そういう状況の中から、少し参考人には別な観点から象徴天皇制について質問させていただき、御意見を賜りたいと思います。

一つは、天皇の国事行為といいますか、国事行為と公的行為と私的行為があるというふうに言われているわけでありますが、その中でも、衆議院の解散、いわゆる七条解散と通常言われておりますが、第七条に、これが国事行為だと思いますが、「衆議院を解散すること。」こういうのがありますね。総理が国会で選ばれるわけですから、その総理が衆議院を解散するというのは、これはやはり越権行為じゃないか。

いわゆる六十九条のときに初めて総理が、総理といいますか、内閣の助言と承認により、衆議院を天皇陛下が解散することを宣言する。これが何か、理屈的に考えればそういうことであって、その中間で、総理が天皇陛下に衆議院を解散したいと思いますということを直言して、天皇陛下が衆議院を解散する宣言をするというのは、どうも憲法をつくられたときの前提条件とは違うことをしているんじゃないかという思いが私はするわけでありますが、高橋参考人はどのようにこの問題については考えられているか、お伺いしたいと思います。

○高橋参考人 私は専門家じゃありません、よくわかりませんけれども、今、大畠委員のお話に大変教えられるところがございました。

○大畠小委員 もうちょっと何か御意見を言っていただけるんじゃないかと思いましたが、小泉総理と同じようにはぐらかされたような感じもしますが。私自身は、やはり国会で選ばれた総理が天皇陛下にそういうことをするのはどうかなという考えを持っています。

二点目なんですが、元首とは何かという論議が過去にもありました。国の代表ということなんですが、首相公選制と天皇制との関係で、首相公選制を選択することは難しいんじゃないかという御意見を持つ方もおられるんですが、高橋参考人はこの件についてはどういうふうに考えておられますか。

○高橋参考人 それも先ほどから質問が出て窮するところでありますけれども、私は、やはり首相を公選制にするというのは、大統領制のような形、共和制のような形になって、日本の本来の形といいますか、象徴天皇を日本民族の象徴としてずっとやってきたというような形から幾らかずれてくるのではないか。それにしたことによって、またその象徴天皇の形が崩れてくるのではないかという憂いは持っています。

しかし、法律的な問題についてはわかりません。わかりませんが、果たして首相公選制がいいものかどうなのか、好きなのかどうなのかと言われますと、私は首相公選制は余り支持するものではありません。

○大畠小委員 それからもう一つ、過去にもいろいろ論議がございましたが、明治憲法から始まって現在の憲法に推移しているわけでありますが、我が国の君主制というのはどういう名前をつけた方がいいのか、これは過去にもいろいろな論議がございました。
君主制を分けますと、専制君主制とか立憲君主制とかいろいろ言われているんですが、どうもそこら辺があいまいでございますので。例えば、イギリスの場合には議会君主制という形で呼んでおられるようですね。日本の場合にはどういう称号をつけた方が一番わかりやすいのか、高橋参考人の御意見をいただきたいと思います。

○高橋参考人 それは過去のことでございますけれども、昭和天皇が言っておられたのは、立憲君主制というようなことで、君主制の中にもいろいろあるようでありますけれども、立憲君主制であって、自分は内閣なり統帥府が決めたことについては反対しなかったんだ、反対できなかったんだということになって、有名な開戦のときと終戦のときの御決断がありますけれども、昭和天皇、あの時代はやはり立憲君主制ではなかったかなというふうに思っております。

○大畠小委員 高橋参考人の最初の公述が非常にわかりやすくて、冒頭に、私自身もほとんどの指摘については賛成すると申し上げましたが、そういうことで、ちょっと時間がまだ残っておりますが、私の質問は終わります。

○保岡小委員長 次に、平井卓也君。

○平井小委員 自由民主党の平井です。
私、この調査会で大体いつもラストバッターになるので、もうほとんど聞くというような内容のことは余りないんですが、先ほどから、天皇家が今後続いていくためにも皇室典範を改正していかなきゃいけないということは、皆さん何となく思っているんですけれども、この日本の国の特徴として、なかなかそういうやらなきゃいけないことをすぐやるという国ではないので、恐らくこのままほったらかしになるんだと思います。

ほったらかしになるんだろうけれども、過去長い歴史の中で、恐らく天皇というのは、我々のナショナルアイデンティティーであり、いわば唯一の文化でもあるので、恐らくそこで我々日本国民の知恵が、ぎりぎりのところで出てくるんだと思います。なので、恐らく私は、このままずるずる何年かたって、後の日本人の知恵で解決されるような予想を立てているんですが、元記者の感覚として、今後これはどのような流れになるか予想されていますか、ちょっとお聞かせ願いたいと思います。

○高橋参考人 私も平井委員と全く同じ感想を持っておりますけれども、事皇位継承の問題については、先ほど近藤委員が申し上げて、それに賛成だと私申し上げたとおりに、こういう一番大事な根幹にあるものは、やはりそれは政治家としてきちっとやっていただきたいというふうに思います。大体、日本の場合は、ずるずる来て、これはぎりぎりになっての問題で、私は、女性の天皇、皇室典範の改正の問題では、現在ぎりぎりのところではないかという感じがいたします。

ただ、ここに偉い方がたくさんおられますけれども、ずっと戦後の内閣を拝見いたしまして、やはり天皇制について発言する、あるいは天皇制についていろいろ論議をするということは、安定しているときの方、吉田さんとか佐藤さんとか、今、中曽根さんはおられませんけれども中曽根さんとか、長期政権で安定しないとこれはできないというようなことがあって、それはなぜなのかわかりませんけれども、そういうふうに考えますと、現在はとてもそんなようなことは、ずるずる型になると思います。

ですから、安定した政権じゃなきゃできないのではなくて、それはひとつタブー視を除いて、オープンな議論をして、天皇の皇室典範の改正の問題についてはやはりきちんと形を整えていただきたいと私最後に申し上げましたけれども、そういう意味で言っているのでございます。

○平井小委員 国務大臣の任免権、任免等の認証というのは、確かに、陛下から認証されるということで、国務大臣もさらに気持ちの中で頑張ろうというようなことになるんだと思うんですが、今、認証のための助言と承認、任命の辞令があって、免官の辞令というのもあるわけですけれども、これは形式的ですが、内閣総理大臣が、だれそれさんを人事官に任命するについて右謹んで裁可を仰ぐんですよね。

この裁可を仰ぐという日本語がよくわからなくなるんです。この人だけはだめやと、ちょっともう一回考えてくれないかということを陛下が言われるというケースはないとは思いますが、例えば、この人でいいんですかぐらいまでは言うのか、それもないんだとは思うんですが。この裁可という言葉はどのように受けとめたらいいのかなというのは僕は今思ったんですが、何か御意見ございますか。

○高橋参考人 特にございませんけれども、やはり御許可をいただくとか御承認いただくとか、そういった意味ではないかと思います。
それから、今の裁可の点については、今の陛下は恐らく一切ないと思います。ただし、昭和天皇の場合は、これはよく言われているんですけれども、この人でいいかという例もございます。それから、気に入らないのはなかなか判こを押さないというのもございます。それを見て、それを読みながら侍従が、実はこうこうこうで、陛下のお気持ちはこうなんだ、あるいはこれは賛成していないんじゃないかというようなことを伝えた、そういう昭和天皇のチェックの仕方というような例はございました。恐らく、今の陛下はそういうことはないと思います。

○平井小委員 このあたりはもうすべて想像の話になってしまうんですが、私自身も、この憲法、まあ改正という形でこの調査会で検討している部分もあるんですが、天皇に関しては、現行憲法のままでどこか問題点があるかなというふうに考えてみると、私はないと思っているんです。

これも、過去のいろいろな議論を見ても、共産党さんまで含めて、ちょっとニュアンスは違うところはあろうかと思いますが、ここは変える必要がないというふうに言われているように見ているんですが、特に変える必要がないのであれば、象徴という言葉のあいまいさは私はあると思います。これは、英語で言えばシンボルなんですかね、そのシンボルを象徴と訳したんですかね、よくわからないんですが。

今の実態が象徴というふうに、私自身も天皇陛下が象徴だからというので象徴という日本語の意味を自分なりに子供のころに持ったような記憶があるんですが、この象徴天皇というのは、象徴天皇であるというその象徴的な行為を天皇陛下みずからしないということも含まれているんですよね。いかがですか。象徴たる行為をみずから決定してするということではないんですよね。

○高橋参考人 そのとおりでございます。

○平井小委員 高橋参考人は簡潔に答えていただけますので、ふだんなかなか持ち時間が足りないんですが、きょうは十分に議論の中身が進んだと思うんです。
天皇制の問題に関して言えば、私も憲法調査会の中できょう初めていろいろ皆さんの御意見を聞かせていただきましたが、やはりもう日本の国の文化であり、いわば唯一の文化である天皇制というものを我々がこれから守っていくということが大切だと思っています。
参考人、いろいろの議員の御協力もあり、お時間がありますので、言い足りなかったこと、もしくは最後に何かつけ加えたかったことがありましたら、御意見をいただいて、きょうの私の質問の最後とさせていただきます。
ありがとうございました。

○高橋参考人 最後に、言い足りなかったということではありませんけれども、昭和天皇の時代と平成の天皇の時代の皇室は随分変わっておりまして、私、今の天皇陛下の言葉を引用して随分象徴天皇のあり方について申し上げました。

それは、天皇陛下は、今の陛下ですけれども、この方は本当に皇太子時代から、私は宮内庁を担当しましたのは三十年ぐらい前ですから皇太子時代のことをよく取材しているんですけれども、象徴天皇の道というのは、先ほど私たくさんテキストがあると言いましたけれども、そのテキストをもとにして現代の象徴天皇のあり方をずっと考えてこられたというふうに思います。

昭和天皇は決してそれを考えていなかったというわけではございませんけれども、昭和天皇の場合はやはり途中から、元首にして政治を総攬するというようなことから、人間天皇になって象徴天皇になったものですから、なかなかその転換がうまくいかない。それから、転換は、御本人だけではなくて側近もうまくいっていないですよ。そういう問題がありまして、なかなかうまくいかない。今の陛下はずっと側近も御自身も、私は、恐らく今の陛下が自分のイニシアチブでこういうようなことを非常にやっておられるんじゃないかという気がいたします。

それで、一つお見舞いの例なんかを出しましたけれども、ああいう災害のお見舞いとか、いろいろな御発言にしても非常に自由にやっておられる。例えば今回の天皇のがんの手術の問題にしても、やはり機密性の高い、秘密性の高い宮内庁病院を選ぶんじゃなくて一般の病院を選ぶというようなこととか、初めからもう大腸ポリープがあっても全部公開する、今度入院するのを公開する、それからがんの検査をするのも全部公開する、結果も全部公開する。

確かに、昭和天皇の場合とそのシリアス度といいますか、その危険度なり何なりは違うということはございますけれども、基本的にはやはりそういうようなことで、みんなで議論してもらうというようなこともありまして、初代のきちんとした、きちんとした象徴天皇という言い方は失礼ですけれども、本当の形の象徴天皇は、今の陛下から始まったというふうに思います。

そういうことを体しまして、こういった皇室に対する議論、先ほど昭和天皇の御闘病のときのタブーの話もいたしましたし、それから、議論はもっと自由にやってほしいというふうに言っておる、そういう姿勢がありまして、それで現在の形に来ているというようなことを一つ御紹介しておきたいというふうに思います。

それからもう一つは、昭和天皇の時代はまるで神様のようなことがありまして、昭和天皇の例を言いますと、例えば、侍従の一人が、梅雨のときに晴れ上がった、きょうは久しぶりにいい運動ができますねというふうに昭和天皇に申し上げたら、昭和天皇は、いや、梅雨のときは雨が降ってもらわないと東北の農民が困るんだというので、日本全体を見回していた天皇のあり方というようなことをよく紹介される。

それは、あの方の場合は純粋培養でございまして、十三歳から二十歳まで御学問所で特に選ばれた方々と、七人の人と学習して帝王学を学んでいるんですけれども、今の陛下の場合は、本当に俗人の中に交わってそのお勉強なり何なりをする。その中で天皇としての徳を磨くと言うと大げさですけれども、そういうようなお気持ちになられる。これはやはり大変な御努力があるのではないかと思います。

そういうことを考えまして、今の象徴天皇のあり方について、今の陛下の言葉をいろいろ引用させていただいたわけでございます。

不十分な論議、あるいは御質問に対するお答えでまことに礼を欠いた部分もございましたけれども、初めてのことでございまして、試験に臨むような学生のつもりで来た次第でございます。

○保岡小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
この際、一言ごあいさつを申し上げます。
高橋参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。小委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

―――――――――――――
○保岡小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえて、小委員間の自由討議を行いたいと存じます。

一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたしたいと存じます。
御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをこのようにお立てください。御発言が終わりましたら、これを戻していただくようにお願いをいたします。
小委員の発言時間の経過についてのお知らせでございますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。

○奥野小委員 途中で席を外したりせざるを得なかったものでございますので、全部を伺っておりませんでした。したがって、そういう議論があったかなかったかも知らないんですけれども、天皇は、第一条に「日本国民の総意に基く。」という言葉があるわけでありますけれども、元首はだれかとかいう議論が絶えずある。元首という言葉がいいか悪いかは別といたしまして、外国の大使、公使を接受するのも天皇でありますし、やはり国民を代表する地位にあるのは天皇じゃないかな、こう思っておりますので、そういう考えを持っているということだけ明らかにさせておいていただきたいな、こう思います。

同時に、天皇は「国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と書かれておるのと、第八条に殊さら財産授受の制限規定が置かれている。国民の仰ぎ見る存在と規定しているのと、こういう細かいことまで国会の議決ということは、やはりこの憲法ができたときの経緯、天皇の財産を全部国に寄附させるというたぐいのこともあったりしたわけでございまして、また、そういう存在のあることを防ごうという気持ちがあったのじゃないかなという危惧も持つわけでございますけれども、ちょっとこれも両方考えますといかがなものかな、こんな思いもしているわけであります。

いずれにいたしましても、この憲法がどういう形で生まれてきたかということは、やはり新しい憲法をつくる場合に考えておかなきゃならない課題じゃないかな。

私は、明治憲法は、明治維新、あのような状況の中で生まれてきたんだと思っておりますし、また、今の日本国憲法は、アメリカが日本を軍事占領しているさなかにおいて制定されたものであります。私たちは、昭和二十年の八月でポツダム宣言を受諾して戦争は終わったと考えたわけでありますけれども、戦闘は終わったけれども、連合国軍が日本全土を軍事占領したわけであります。しかも、それが二十七年の四月二十八日まで続くわけでございまして、その際には、日本国の天皇及び日本国の政府の権限は連合国軍総司令部総司令官に従属すると一方的に宣言されたわけでございました。

したがいまして、連合国軍側から日本側に憲法草案を渡されて、それに対しまして、どうしても改正できないのはどこかと聞いたら、相手は全部だと答えているわけであります。しかし、てにをはの類で国民に理解しやすいような場合には修正は許されるだろうと答えてもいるわけでございまして、あの当時の状況を考えまして、今でも、例えば東京都知事その他が、憲法無効の宣言をすべきだ、こういう議論もあるわけであります。
私は、これだけ長くこの憲法のもとにおいて日本の政治が行われてきているわけでございますから、そういう宣言は適当でないな、こう思っているわけでありますけれども、そういうことも踏まえながら、私たちは、憲法改正じゃなくて新しい憲法をつくるという考え方で、昔からの伝統も踏まえながら、これからの日本の将来を考えながらつくっていく姿勢が大切だな、こういうことを小委員会の最初に当たりまして、私の意見として申し上げさせていただいております。

○中山会長 きょうは、日本の憲法の最初の項である天皇制についての参考人からの御意見と、それぞれ委員の御発言がございました。
こういった中で、各党、現在の憲法に規定された天皇制について反対論が述べられなかったというふうな参考人の御意見でしたが、私からもう一度各党に、天皇制を認めるのかどうか、これがこれからの審議をしていく上で非常に大事なことになるだろうと思うんです。
そういうことで、今までいろいろ日本憲法の草案を出されてきたこともある共産党の山口中央委員にも、ぜひ御意見を賜りたいと思っております。お願いします。

○山口(富)小委員 山口委員ですので。
中山会長からの御質問の前に少し、奥野委員から話がありましたので、その点だけちょっと述べたいのですが、憲法で定めている象徴というのは代表とは違いますので、そこのところは、代表する地位にあるというふうに読むことはできないと思います。

それから、八条での皇室財産にかかわる問題は、憲法が定めた公的な制度にかかわる問題として憲法上規定が必要になったというふうに思っております。
それから、中山会長がおっしゃいました、これからの議論で天皇制を認めるかどうかが重要な問題になるという話は、私は賛成いたしません。といいますのは、今は現行憲法について論議しているわけです。

それで、私どもは、象徴天皇の問題について言いますと、憲法の最高原理は主権在民ですから、その原理からいきまして、一つの家に象徴の地位を与えるということは、やはり矛盾をはらむ問題である。しかし、これは歴史の中で解決すべきことですので、今、それは憲法問題をめぐる当面の課題になっているものじゃないというふうに見ております。

といいますのも、各条文で非常に厳密に国事行為を規定しておりますから、憲法の条項に則してきちんとした仕事をしていただくということが今の憲法問題を考える上では大事になっている、そういうふうに判断しているんです。
以上でよろしいでしょうか。

○中山会長 山口委員から率直に御意見をちょうだいできて、ありがとうございました。
私のかねて考えておりましたこの日本の新しい国家像の中で、いわゆる首相公選制による首相、これが元首的な存在だ、また、天皇を元首にしたいという考え方の人がおられる、それから、象徴のままの天皇制でありたい、こういうふうなお考えの方もいらっしゃると思うんですが、そこいらのところは、山口委員は象徴という形が好ましいとお考えなんでしょうか。その三つのうちのどれが、山口委員からごらんになったら最も適切だと思われるのでしょうか。

○山口(富)小委員 私は、歴史の中では、なくなるのが一番、象徴規定がなくなるということを展望しております。
ただ、それは当面の課題でないという考え方でおりまして、その意味では、現行憲法の条項どおりというのが今の判断の到達点です。

○中山会長 ありがとうございました。
それでは、続いて社民党の北川れん子委員にお尋ねしたいと思います。
今、山口委員にお尋ねした同じことの項目で、どういう御意見をお持ちか、この機会に伺わせていただきたいと思います。

○北川小委員 私は、率直に言って、二〇〇〇年からこの衆議院の国会議員という仕事をつかさどる者としてここにいるわけですけれども、社民党の考え的には、天皇制や象徴天皇制に対しての議論をこの二年間したという経験はなくて、私どもが先ほど中に込めましたけれども、最近、女性天皇制の問題に対して勉強する機会があったという経験があります。そのことにおいていろいろ議論をしていく中で、女性天皇制というものに対しては慎重論という立場をとるということを先ほどお話ししたわけです。

次から私の考えになっているんですけれども、私自身は、やはり国民の総意が変われば象徴としての地位の意味も変わってくるのではないかというふうに考えておりますし、また、象徴天皇制というものが、一番近々の、きょう高橋参考人も、殊に昭和天皇の問題にフォーカスしないで、長い歴史の中での天皇制の維持という問題で聞いてほしいんだというふうにおっしゃいました。

私は、その立場はとてもよくわかりましたので、参考人と質疑をさせていただいたわけですけれども、時間軸を今後どういうふうに持っていくかという点においては、やはり象徴天皇制の問題は、主権在民の点から、また、女性という立場の人権の問題の立場から、いろいろとそごがある。そのそごがある部分において、そごがあるとした立場をとったものに対しては、総意で成り立っているからということで議論が活発化できない部分が、どうしても今生きている私の中にギャップがあるものですから、長い時間軸の中で、私自身は、象徴天皇制というものは制度としてなくなっていくといったことを希望したいとは思っています。

○中山会長 率直な御意見ありがとうございます。
きょうのお話で、参考人は、女帝の問題の結論をつけるのは皇室典範改正についてもぎりぎりのところに来ているという御発言がございました。これについてどのように北川委員はお考えなんでしょうか。

○北川小委員 私自身が、特権をお持ちの方の存在に対して特権を持たない形で主権在民だという私の立場で言うのはなんなんですけれども、日本国憲法の中で、殊に民法の婚姻制度の問題というのは、旧明治憲法下で規定された条文がそのまま生きているケースがあり、なかなか時代性が検証できなくて、そのことで婚姻制度の問題において女性が、それが一つは氏の選択制という話にもなったり、民法の中の七百七十二条の問題であったりと、条文的にも明治憲法下の問題を引きずっているという点があります。

私は、皇室典範を詳しく見たわけでもなく、皇室典範というものに関して持っているイメージというものは、日本国憲法から照らして、皇室典範というものの存在が余りにも違い過ぎている。そこのところで、私は、天皇の人間の側面としての人権というものが皇室典範でどう守られていくのか、守られるように改正すべきなのかという議論が、本当に多くの国民の関心のもとでできる状況に今の日本があるかといえば、なかなかそうではないならば、皇室典範を変えるということに関しては反対です。

○中山会長 ありがとうございました。
今の両党の御意見について、赤松委員はどのようにお考えでしょうか。

○赤松(正)小委員 なるほどなと思ったというのが率直な感想でございます。
今の日本国憲法に規定されていることと今北川委員がおっしゃったことは、明確にわかっているかどうかわかりませんが、言わんとされている意味はよくわかるというか、さまざまな側面で少し落差があるということをおっしゃりたいんだろうと思うんです。

それから、山口委員のお話についてさらにちょっと確認をさせていただきますと、要するに、当面は象徴天皇の仕組みというものは変える必要はないけれども、長い将来というか少し長いスパンで見ると、自分たちの物の考え方からすれば、これはやはり変えていくのが自然である、そういうふうに思っておられるということですね。

○山口(富)小委員 これは、私たちの考え方というよりも、憲法自体が、天皇の地位については、国民の総意ということで、国民の判断で変え得るという仕組みになっているわけですね。
ですから、私は、主権在民の規定との関係で、一つの家族に象徴の地位に置くということはやはり矛盾すると思いますから、それは今赤松委員が言われましたように、当面の問題ではないけれども、長い歴史というものを考えたときに、解消に向かうだろうというふうに考えております。

○仙谷会長代理 議論を抜けましたのでとんちんかんになるかもわかりませんが、お許しをいただきたいと思います。

といいますのは、きょう高橋参考人の御意見を伺っていましても、高橋参考人を非難するわけじゃないんですが、あえて大日本帝国憲法の第三条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」というこの条項にはお触れにならなかったような気がします。大日本帝国憲法の「告文」というところと「憲法発布勅語」というところを、私どもはもう一度ある意味で読み返して、考え直してみるべきではないかと思います。

この女帝の問題も、これは私の直感でありますから歴史的に間違っているのかもわかりませんが、天皇は神だという前提に立って論理を構成しますと、女性は汚れたものという、まだ相撲界なんかにもそういう考え方があるみたいでありますけれども、そういうある種の偏見というか間違った思考が、これは明治維新政府によって初めて生まれたのか、あるいはもう少し歴史的な淵源があるのかわかりませんけれども、神である以上は男でなければならない、そういうある種の思考方法が、皇室典範の男系の嫡子でないといけないんではないかというところにつながってきておるんではないかという気がしてならないわけであります。

したがいまして、私は、女性の天皇ができることに何ら痛痒を感じませんし、むしろ、現在のような象徴天皇制ということを前提にする限り、男性であっても女性であっても差し支えないということを考えますけれども、何ゆえに男性でなければならなかったのかということをもう少し考えてみる必要がある。明治維新政府の王政復古、そして、大日本帝国憲法になったときには王権神授説のようなものが出てきて、それで、すべての大権を掌握するというある種の虚構ではなくて建前のもとで、それが乱用されて第二次世界大戦に突入していったという、ここを我々はもう一度総括しないと、この女帝の問題というのもなかなか論理的に解きほぐせないんではないかなというふうな感じを持って、きょう聞いておったところでございます。

間違いがあれば御指摘をいただければありがたいんですが、女帝問題というのはどうもその辺に反対の意味でつながっておるんではないか、そんな感じがするものですから、もし御意見がございましたらお聞かせを願いたいと思います。

○奥野小委員 今、男系の男子が皇位を継承することの議論がございました。
私は、今この議論をするのはちょっと早いんじゃないかなというふうに考えている論者です。これは法律ですから、憲法の問題と離れて考えてもいいんじゃないかな。憲法には、男系という言葉は出ていませんね。ですから、まだこれからいろいろ、お子さんも生まれるでしょうし、とやかく言うのは早いんじゃないかな。

それともう一つは、女性が汚れたものという仙谷さんのお話は、私はそういう話を初めて聞きまして、そんなことはなかったんじゃないかなと思います。戦後、皇室典範をつくるときの、男子のみがいいのか女子でもいいのかということは、両論、いろいろな議論があったようでございます。その議論の中でも、今お話しになったような言葉は出ていないようでございます。

いずれにいたしましても、天皇が賢所にお祭りになっているのは天照大神でございますし、また、伊勢の神宮でお祭りしているのも天照大神でございますし、これは、日本国の最も中心的な存在であった方、これは女性でございますから、特に一層そういう感じがするわけであります。
いずれにいたしましても、ちょっとこの議論は私自身は早いと思っていますので、若干私の知っていることを御参考に申し上げまして、これでやめさせていただきます。

○仙谷会長代理 いや、女性に対するべっ視とか偏見的な、あるいは汚れというふうな観念があったかなかったかというのは、戦後の話じゃなくて、明治維新政府がいわば天皇を神にしたという、このときの感覚はそういうものじゃなかったのか、そういう私の感覚を申し上げたんです。

○中野(寛)小委員 私は、女帝の問題については、時期尚早かどうかという判断を、皇孫の中に男性がいないからとかいるからとかということで判断すべきことではない、むしろ、女帝が存在をするかどうか、それは、日本の国の天皇制と、そして男女が同じ立場に立つことなどを示す一つの国のあり方、国の哲学といいましょうか、そういうものを示す基本的なものだというふうに思います。

よって、現在の天皇家皇孫に男性がいるいないということとは全く無関係に、日本の国として天皇制のあり方はどうあるべきかという視点で考えて、女帝も当然認めると。認めるというよりも、それは男性であれ女性であれ、例えば長子が継承するということを単純明快に私は決めるべきことなのではないかというふうに思っておりまして、そういう意味では、皇室典範は憲法と同じタイミングで検討をし、論議をし、変えるべきものは変えていくということが正しいのではないか、こんな感じがいたします。

あわせて、例えば憲法七条のところでよく指摘されますが、四項「国会議員の総選挙の施行を公示すること。」ということが国事行為の中で書かれてありますが、国会議員の総選挙といっても、参議院の総選挙はないわけでありますから、参議院というのは半数改選でやるわけですから、そういう意味では、この三項に「衆議院を解散すること。」と書いてあるように、衆議院の総選挙の施行を公示すること、または参議院のと。これなどは明らかに矛盾した文言になっているわけであります。

また、第一条も「日本国民の総意に基く。」と。総意という言葉は、果たして一人残らずという意味なのか、過半数なのか。これなども理屈をこね始めますと、また矛盾だとか現実と合っていないとかという議論になってくる。いろいろなところにそういう意味で国語学的にもやはり整理すべきところはきちっと整理した方がいいと。

基本的に私は、女帝の存在も含めて考えるべきだと思いますし、それ以外のことについては、象徴天皇制については、国民の間に大変スムーズに、しかも好意を持って、敬意を持って受けとめられている、象徴天皇制というのは今後とも継続すべきものだというふうに考えております。

○保岡小委員長 他に御発言ございますか。
それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。
次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
午前十一時五十五分散会

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