中嶋啓明
最近の天皇制に関する報道等を整理していたとき、知人に指摘されて再認識させられた。
2月11日の「建国記念の日」をめぐる「賛否両派」の集会やデモ等、イベントに関する記事がなかったのだ。
メディアではかつて、「左右両派」が毎年、催す集会などを、あたかもこの時期の風物詩のように扱い、双方の主張を、それぞれ物好きたちが声高に言い募る難癖の類とでも言うように、「どっちもどっち」と同じ行数、時間で“平等”に載せるのが恒例行事と化していた。ところが、いつのころからか、それがなくなり、紙面からその種の記事が消えた。
今年も、在京大手紙の最終版を見る限り、紙面に記事はなかった。
少し、過去の報道を振り返ってみることにした。
共同通信の配信記事を見たところ、集会等の記事が最後に配信されたのは2019年。「平成」最後の「建国記念の日」だった。
19年2月11日の共同通信は、当日の様子を次のように伝えた。
『平成最後の建国記念の日の11日、戦前は「紀元節」だった祝日に反対、賛成するそれぞれの団体が東京都内で集会を開いた。天皇の代替わりに関し反対派は「儀式に国費を投入すべきではない」と批判を強め、賛成派は「30年にわたり国民の安寧を祈られた天皇、皇后両陛下に心からの感謝をささげる」と決議した。』
だから翌年は「令和」最初の「建国記念の日」なのだが、「令和最初の」と枕を振ることはなく、以降、記事が消えて3年が経った。
ちなみに20年のこの日は、前年10月の「即位礼正殿の儀」で、徳仁が即位を宣言した際に立った「高御座」が、皇居から京都御所(京都市)に陸路で搬送されており、共同通信も『皇后さまが立った「御帳台」も一緒に運ばれ、京都御所で3月1〜22日、正殿の儀で使用した道具や装束とともに一般公開される』と伝えている。
『朝日新聞』でも、20年2月12日の社会面には「高御座」移送の記事はあっても、「建国記念の日」関連で賛否双方の動向等を伝える報道はなく、以降、この種の記事は消えた。
コロナ禍で社会の動きが止まったのは20年から。だが、2月の段階では、中国・武漢での流行が伝えられる程度で、まだ日本社会では他人事だった。日本はまだ、それほど社会的にとどめを刺されたわけではなかった。
右翼側のサイトには、当時の中央式典開催に関する報告が残っている。20年の当日にも式典は挙行されていた。にもかかわらずメディアは、反対派の集会はもちろん、「奉祝」側についても取り上げなかった。
『朝日』の過去の記事を繰ってみると、制定されて初の「建国記念の日」となった1967年はもちろん当日の朝刊で、賛成派の祝賀式典やパレード、反対派の抗議集会やデモ等を朝刊で紹介。夕刊では橿原神宮のある奈良県橿原市で行われた祝賀行事の時代行列をルポした一方で、各地の大学で行われた抗議の同盟登校や講演会などの様子を伝えた。翌12日も紙面では研究集会や声明などで反対の声を上げる歴史学者や学生らの動きを報じている。翌年も「奉祝」「反対」双方の動きを伝え、以降、これがメディアの恒例行事と化していった。
時代の特徴もあってか、69年の紙面では、東京で賛成、反対のそれぞれを訴える集会やデモが、「警視庁の調べ」で計12あったことを報じるベタ記事を脇に、「高校生700人デモ/70年へ組織拡大/反代々木系」と4段もの大きさの見出しを掲げた治安情勢の“分析”記事を載せ、反対派の動きを“解説”してみせている。
以後、中央の祝賀式典に初めて現職首相の中曽根康弘が出席した85年や、「日の丸・君が代」が法制化されて初の「建国記念の日」となった2000年など、何らかの「節目」に記事が大きくなることはあっても、完全に無視することはなかったようだ。
例えば2005年。「節目」ではなく、ニュースではないと判断したのだろう。それでも12日には、「建国記念の日で集会」とのベタ見出しで、双方に同じ行数ずつを割り振った計25行ほどの埋め草記事が紙面に掲載されていた。
こんな状況が続いていたのに、この4年間の4回はまったく報道されていない。
これが何を意味するのか。
先のような「風物詩」扱いや、治安情勢のまとめ記事であっても、あるいはたとえ「埋め草」の記事であっても、報じられていれば、少なくとも社会問題として、それがあるのだと認識するきっかけにはなり得るかもしれない。しかし、それがこの間、なくなった。認識するための機会さえ奪われてしまった。
メディア側の問題意識の低下なのか、歴史認識の欠如なのか。
一方でこの間、秋篠宮「家」の不人気と、それを追い風にして勢いをつけようとするかのような愛子天皇待望論の再台頭、週刊誌『SPA!』での小林よしのりの再展開に見られるような女系・女性天皇容認論の活発化なども気になる。
折しも『産経新聞』は3月5日、『皇位継承 保守層を意識/首相「先送り許されない」/自民、女系容認論に警戒感』と見出しに掲げる情勢“分析”を載せた。首相の岸田文雄が2月26日の自民党の党大会で、「安定的な皇位継承策」について「先送りの許されない課題」と述べたことに注目し、「党内では女系天皇容認論につながりかねないなどとして、議論を進めることへの警戒感もある」と書いている。
男系派としては「寝た子を起こす」(同記事)ようなことは、してほしくないようだ。
「建国神話」を奉ずる伝統主義右翼は、男系主義の神権天皇制の維持、復活強化を唱える勢力と親和性が大きいだろう。2・11をめぐるメディア報道の変化は、男系派の影響力の揺らぎ(?)とも関係があるのだろうか。
今後も継続して注視していきたい。
本欄としては、2月23日の徳仁の誕生日会見をめぐっても、何か書かなければと思っていたが、紙幅が尽きた。機会があれば、あらためて。
*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信』no.213,2023.04