韓国のナショナリズムを嗤う毎日新聞の天皇ナショナリズムを嗤う

中嶋啓明

う~ん、さすが文鮮明!! 推せる!?

などという冗談はさておき、『毎日新聞』11月26日付朝刊の1面に目を引かれ、「オッ」と驚いた。

1面左肩という目立つ位置には、「天皇は平凡」との大きな文字が躍っていた。

2段見出しのこの記事は、旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)の創始者文鮮明が、韓国内で信者向けに行った説教の中で、日本の天皇を「平凡」と表現していたというものだ。韓国語で記された発言録を、毎日新聞が「確認・翻訳し、判明した」と誇らしげに書いている。

なんと大仰な!!

記事は、本記を1面だけでなく、分割して4面にも続きを載せ、本文だけで約140行もある。そして4面には、教団側の反応と識者のコメントをまとめたサイド記事まで仕立てた力の入れようだ。

記事によると、文鮮明は2002年2月19日の説教で、会場にいる信者とのあいだで次のようなやり取りをしたという(文=文鮮明、会場=会場の反応、「」内は原文通り、以下同)。

文「日本の天皇は賢い天皇か、平凡な天皇か?」
会場「平凡な天皇です」
文「平凡な天皇だから中心もなく、ぺちゃんこになって、流れている。何も誇れることがない」
文「文先生(私)はどうなのか。日本の天皇より賢くないか、賢いか?」
会場「賢いです」

この前段に美智子との結婚について触れていると思われるやり取りがあるので、ここにある天皇とは明仁のことを指すのだろう。

この後、記事では、同年6月11日の説教で、昭和天皇裕仁についても次のように言及したと記している。

「文先生(私)にとって日本国は一番の怨讐(えんしゅう)の国だった。日本の(皇居正門に架かる)二重橋を自分の手で断ってしまおうと考えた。裕仁天皇を私が暗殺すると決心した」

読んでみると、特別に大したことは言ってない。「暗殺する」とは穏やかではないが、天皇制国家日本に植民地支配された当時の記憶を持つ「韓国人」の中には、こうした認識や感情を抱く人も少なくないだろう。

単なる民間の一宗教団体の親玉が、内々の集まりで発した個人的な放言といった類のものだ。自己顕示欲丸出しの明仁天皇制に対する揶揄など、苦笑しか出てこない。

にもかかわらず、『毎日』がことさらに、さも特ダネを誇るかのように一面で報じたのは、改めて言うまでもない、統一教会絡みだからだ。

今、日本のメディアでは、統一教会が関連しているといえば、それこそ坊主憎けりゃ袈裟までかと、首をかしげたくなるような言説も横行しているように感じる。

確かに、日韓両国の権力の懐奥深く入り込み、利権構造の一角にしっかりと組み込まれている統一教会だ。メディアを中心にした批判的な監視の目が向けられなければならないのは当然だろう。

日本の「保守派議員」が統一教会と「接点を持つこと」に「矛盾」があるという。記事の主眼が、そこにあるのだということは分かる。

記事では、文鮮明の天皇認識だけでなく、「対馬」の「領有権」をめぐる発言についても注目。文が説教の中で「対馬」について「韓国の土地」と語っていたことを取り上げ、「韓国ナショナリズム」だと批判するのだ。

「対馬」にはカササギが生息しているが、日本にはいないから「対馬」は韓国の土地だ、と述べる文の発言を紹介した後、記事では、わざわざ次のように付け加えている。

『49年に韓国の李(イ)承晩(スンマン)大統領(当時)が対馬の領有権を訴えたことはあるが、韓国の領土だったことはない。カササギは九州北部にも生息しており、佐賀県の「県鳥」に指定されている。』

サイド記事で、北海道大大学院の教授で宗教社会学とやらを専攻する桜井義秀に「文氏の考えはコリアンナショナリズムの面があり、日本の皇室の伝統や国益、国民生活を考える保守思想ではなかった」と語らせ、本記を『韓国では、政治家が日本と対立する問題を「内向き」にナショナリズムをあおった表現で語り、支持を集めようとすることは珍しくない。文氏も韓国と日本で発言内容を使い分けていた可能性はある』と締める。

4面に付けられた3段の主見出しは「ナショナリズムあおる」。その脇にはサブ見出しで、「日本国は一番の怨讐の国」との文の言葉を、黒地に白抜きの文字にして大きく掲げている。

「ナショナリズムあおる」だと!? 『政治家が「内向き」にナショナリズムをあおった表現で』語るのは韓国の側だけか?

「政治家」だけではない。日本では、韓国と「対立する問題」ではもちろん、さまざまな場面でメディアが日々、率先してナショナリズムを「あおっ」ている。

折しも、中東カタールで開催されているサッカーのW杯では、日本代表が出るたびに全マスコミ挙げて「ニッポン! ニッポン!」と喚き立て、「日の丸」を乱舞させる。鬱陶しいといったらない!

天皇認識や「領土」問題等で、統一教会と日本の「保守派」の間にある矛盾を指摘する記事の意図は分からなくはない。

だが、『毎日』が、天皇や「対馬」をめぐる文の発言に飛びついたのも、自らのナショナリズム感情がくすぐられたからでは、と疑う。

メディアは、自らが足下の日本社会に充満させている「日本ナショナリズム」「天皇ナショナリズム」を見つめなければならない。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信』no.211,’23.01

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