天皇・皇族が動き、問題は解決から遠ざかる

                     桜井大子

10月1日、マスクをつけた天皇と皇后が車から手を振っている。栃木県で開催される第77回「国民体育大会 いちご一会国体2022」開会式出席のために、栃木入りした時の映像だ。いつの間にか天皇・皇族たちの活動は開始され活発化している。

今年初め、皇族やその側近、宮内庁職員・皇宮警察などの新型コロナ感染報道も続き、全国の感染者数が2万5000人を超えていたころ、たとえば天皇誕生日は祝賀行事の縮小や宴会・茶会を中止するなど、活動の自粛が続いていた。しかしまだ感染者数1万人前後という春頃から、秋篠宮夫婦は歴代天皇陵参拝やイベント出席と、かなりの頻度で外出を始めていたし、女性皇族たちの活動も目立つようになっていた。

そのころの天皇・皇后はまだまだオンライン参加が多く、天皇「四大行事」の一つである6月に滋賀県で開催された「全国植樹祭」もオンライン参加だった。しかし8・15「全国戦没者追悼式」に参加し、9月19日には英エリザベス女王の国葬に参列したあたりから活動は復活・活発化しつつある。

エリザベス女王の国葬は、報道によれば参列するのは世界各国の「王族、元首、首脳ら」ということだった。天皇・皇后はどういう立場で出向いたのだろうか。天皇は王でも、元首でも、首脳でもない。ならば「ら」に含まれるのだろうか。しかし、天皇は間違いなく王あるいは元首に相当する者として参列しているのだ。違憲甚だしい。

多くの人が反対・抗議し、国会内でも批判の多かった安倍「国葬」には、皇族7人が参列し、天皇は使者を送った。そして、国葬に参列した外国首脳らのうち7カ国の国王や元首たちと個別会見している。ヨルダンのアブドラ国王、トーゴのニャシンベ大統領、コモロのアザリ大統領、カタールのタミム首長、パラオのウィップス大統領、ベトナムのフック国家主席、スリランカのウィクラマシンハ大統領だ。なぜこれらの国家元首たちであったのかはよくわからない。しかし少なくとも、10分程度とはいえ個別に皇居・宮殿に招待し、「国葬」への参列に対して感謝の意を表したという(共同通信)。なぜ「国民」の代表でもない天皇が海外からの参列者に礼を述べるのか。これらの天皇の元首然とした行為は、なんの批判もなく当たり前のことのように伝えられる。

しかも「国葬」については世論は反対意見が7〜8割。そこで国と「国民統合」の象徴である天皇が海外からの参列者に対して感謝の意を表するとは、どういうことか。世論を分けた片方の論に天皇が立ち、「国葬」が権威によるお墨付きであるかのように見せる。それは政府のやり方に反対・抗議する多数意志を無視することを是とする天皇の意志表明ともなる。結局天皇たちの関与は、あの横暴極まりない非民主的なやり方によって強行された「国葬」と安倍政治までにも正当性を与えんとするものでしかないのだ。それで正当化できるはずもないことは当たり前だ。さらに言うならば、「国葬」自体が平等主義に反し、多くの反対の声を踏み躙っての強行という非民主的な儀式である。それに16億もの税金が使われる。反対の声が大きくなって当たり前だ。そこに天皇が使者を送り、皇族が参列することで、この対立がおさまるというような話はあろうはずもない。しかし天皇たちの活動が活発化することには、少なくともそのような機能が期待されているのだ。

そして10月22日には、「第37回国民文化祭(国文祭)」と「第22回全国障害者芸術・文化祭(芸文祭)」開会式出席のために、天皇・皇后が沖縄訪問するという(共同通信)。このイベントは徳仁が皇太子時代から「隣席」してきた行事で、2019年の即位と同時に天皇行事に加えられ、「全国植樹祭」「国民体育大会」「全国豊かな海づくり大会」とあわせて天皇の「4大行事」の一つとなった(参照:「基礎情報「国民文化祭」)。

徳仁天皇が、明仁の皇太子・天皇時代からの「沖縄に寄り添う」姿勢を引き続き演じ続けるしかないことは間違いない。しかしその天皇の行為によって、沖縄地上戦で被害を被った人々の現実が、日本国家に併合され捨てられ利用され続ける、米軍基地被害で苦しむ人々の現実が好転するのかといえば、まったくそうではない。また、自衛隊や米軍基地周辺、国境離島などを対象とする「土地利用規制法」が施行されたばかりで、沖縄では、基地周辺の住民や反基地運動の監視を合法化するといった新たな危惧が生じているが、それらを解消できるものでもない。むしろ天皇たちによる慰撫行為は、そういった諸問題の根本的な解決とは逆向きの、現状維持を図る力としてしか機能しない。かといって、天皇によって問題が解決されるような社会は論外ではある。

要するに天皇は動くべきではないし、沖縄の歴史に心を痛めるのであれば、天皇制を廃止に導く努力を続けるしかない。天皇制を廃止し、安保条約見直し、米軍基地を撤去する。最終的にこれらを実現できるのは政治であり、政府を動かす人々の力だ。私たちにできることは何か、現実を変えていく努力の内実は何か、考え動くしかない。この思いを共有する人たちとともに模索していきたい。

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