「司法反動」下の労働裁判闘争

……東京争議団結成25周年を目前にして……

[1985.11.22-24.東京地方争議団共闘会議/第24回総会議案書 第4章「分野別総括(その1)]

はじめに

 司法反動に関する共同行動は、個別の際どい局面を迎えた争議の共同行動として構築されており、その域を脱し切れてはいないものの、本来は、労働事件の当事者集団として結成された東京争議団にとって、加盟組織全体の共通の課題です。また、司法救済を求める薬害、公害その他無数の市民事件当事者と共闘しうる点からも、東京総行動とともに、争議団運動の背骨というべき戦略的な基本行動のひとつ…… ⇒全文を読む

一、東京争議団の運動経過から

 東京争議団が結成されたのは、1960年安保闘争直後、労働運動の谷間でのことでした。
 世にいうケネディ・ライシャワー路線の下、米日反動の一体となった権力は、1960年安保闘争で発揮された日本労働組合運動のおそるべき戦闘性を早期に削ぎ落すべく、拠点崩し、さらには未然防止の活動家排除へと攻撃を集中してきました。
 結果として、労働裁判も激増…… ⇒全文を読む

二、司法反動攻勢の概略

 戦後司法反動の出発点は、アメリカの反共世界戦略との関係で、トルーマン・ドクトリンの発表された一1947年初頭ないしは1949年のレッド・バージ、1950年の朝鮮戦争下における半軍事支配下の状況に求めなくてはならない…… ⇒全文を読む

三、権利意識の問い直しから歴史的総反撃へ

 たとえば、読売新聞見習社員で組合未加入であった滝沢正樹記者は、読売新聞従業員組合の支援をも得て、1955年に解雇無効確認の仮処分裁判を起し、翌年には勝訴しました。ところが、会社は職場復帰を認めず、「自宅侍機」の命今を出したので、さらに就労請求め仮処分を求めました。この請求は地裁で却下、高裁でも2年後の1958年に却下となりましたが、地裁の本訴で1949年に和解が成立し、解雇撤回・依頼退職・解決金百万円となりました。就労請求却下理由の概略は、「雇用関係は存在していても、被雇用者をどこに就労させるかは経営権にもとづくものであって、それは被雇用者の権利ではない」という…… ⇒全文を読む

四、国際的にみた日本の労働裁判制度

 カペレッティ教授の指摘は、一般市民事件を中心とするものですが、日本の最新のニュースにも、ホテル・ニュージャバンの火災賠償請求事件における「示談」の実例があります。
 本年2月7日付の毎日新聞は、「進まぬ訴訟の“裏”で、露骨、横井流の切り崩し」という見出しをつけて、この状況を報しました。すでにご1年目になる訴訟で、係争中の8遺族のうち4遺族が、「生活もやっとこだし、……涙をのんで示談にした」のです。
 東京争議団とも共闘関係にあるカネミ油症事件の第1陣は、最高裁係属2年ですが、被害の発生以来17年、初審の提訴以来通算15年目にも…… ⇒全文を読む

五、市民事件との連携は、すぐれて階級的な戦略課題

 一方ではロッキード裁判の長期化の下で、政界のボス支配が続いています。他方では、病人や働き手を奪われた遣族が、救済されないまま、一家ぐるみ・親族ぐるみの長期裁判を余儀なくされています。
 この許されざる状況そのものの中にこそ、東京争議団の最大かつ最高の戦略課題が横たわっているのでは…… ⇒全文を読む


(関連)祝「日本裁判官ネット」発足:改革提言

以上。


「総行動の教訓」に続く
(「独占と権力の対応」)

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