連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態(その7)

『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』:ティル・バスティアン(著)、石田勇治、星乃治彦、芝野由和 編訳(日本版1995/11)

『アウシュヴィッツの嘘』:元ドイツ軍の中尉、ティエス・クリストファーセンが1973年に発表した短い回想録の題名。参照➡『アウシュヴィッツの嘘』の内容をなぜ正確に報道しないのか

『ガス室』妄想ネタ本コテンパン

1999.2.12

 今回もまたmailのやり取りの再録です。

 前回に続いて出た新たな質問に答える準備をしていたら、またしても、私が「ガス室」妄想症候群の診断を下した『対抗言論』(退行減論)の高橋亨さんが、「アウシュヴィッツのガス室」とかいう長いmailを送ってきました。ざっと下まで矢印を飛ばすと、おやおや、参考資料に拙著『アウシュヴィッツの争点』が載っています。しかし、我慢して少し読むと、拙著を読んだとは到底思えない内容です。昔から「心ここにあらざれば、見えども見えず、聞けども聞こえず」と言います。これは「読めども読めず」なのでしょう。

 もう一つ、日本語の文献が、たった一つですが増えていました。しかし、これは、これまでのたったの一つの本、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の「編訳者」が書いた引き写しの学生論文程度のものですから、本当に出典が増えたとはいえません。他の読みにくい小さな英数字の文献名を無理して読むと、なんと、全部がアウシュヴィッツ博物館のホームページではありませんか。

 これでは、本多勝一程度の言論詐欺師の「取材」よりも、お粗末という他ありません。ブンヤ用語では偉そうに「裏取り」「複数の取材源」などと言うのですが、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の中心的な下敷きは、アウシュヴィッツ博物館の管理係のダヌータ・チェックが1960年代から、ぼつぼつとまとめた『アウシュヴィッツ・ビルケナウ集中収容所の事件年譜』ですから、出所が同じなので、「複数の取材源」とは言えません。『アウシュヴィッツ・ビルケナウ集中収容所の事件年譜』に対する批判としては、拙著『アウシュヴィッツの争点』に記載した資料「アウシュヴィッツでの最初のガス殺人/神話の創世記」などがあり、「何らの証拠書類をも示していない」シロモノです。

 要するに、高橋「ニュルンベルグ・コピー」検事さんは、いくら掘っても証拠が出てこない穴を掘り続けているのです。しかし、おそらく根は純情な高橋さんを、こんな症状にしてしまたのは、私の用語で言うと、アカデミー業者とマスコミ業者でしょう。

 さて、準備中だった原稿に戻ります。高橋さんが奢り高ぶって、私にケチを付ける論拠に挙げていた唯一の日本語の本、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』については、すでにその「本体部分」のガッカリするくらいの超(チョウ)超(チョウ)短さと、出典明示のない「お粗末さ」を指摘しました。下記のブックレットと比較するために、白頁と余白をギリギリ差し引いて、より正確に勘定し直すと、正味96頁でした。

「本体部分」が96頁というのは、最近流行のブックレットにしても短い方です。手の届く位置の本棚にあった『平和憲法を世界に』(影書房、1991)を引っ張り出して、物差しを当てると、厚さ僅か6ミリですが、 112頁あります。正味も96頁あります。ただし、普通の雑誌のサイズですから、1頁は同じく16行でも、1行は44字で、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の42字より多くなっています。

 たとえば日本で、この程度の出典明示もないブックレットを1冊読んだだけで、「そもそも南京事件とは」などと論ずる大学教授どころか、新聞記者風情ぐらいでもいたら、直ちに物笑いの種になり、一生、その業界では馬鹿にされ通しで、生意気な口はきけなくなるでしょう。それと同じことを、どこの何者か分からないネットサーファーの高橋さんがやるのなら、まだしものこと、「哲学者」の肩書きで高齢の久野収さんまでを名ばかりの「編集委員」に担ぎ出し、戦前のフランスの反ファシズム運動時代の1935年創刊『金曜日』(ヴァンドルディ[Vendredi])の歴史までを偉そうに引き合いに出させて(『月刊金曜日』93.8.27)、お人好しの一般市民から巨億の前納金を集めて発足した『週刊金曜日』誌上(96.8.9/23)で、肩書きは宇都宮大学教授、それも歴史学教授がやってのけたのですから、これは唖然、愕然、呆然、茫然、惘然、寒心の至りという以外にありませんでした。

 一番の元凶は、これらの歴史学教授です。私の用語ではアカデミー業者です。

 その名は笠原十九司(とくし)。これまで一度も聞いたことのない名前ですが、いわゆる左翼出版の大手、大月書店刊『日本近代史の巨像と実像』シリーズの3で、これも僅か16頁ながら「南京大虐殺の真相」を担当していますから、「左翼」出版業界では、この問題の専門家と目されているのでしょう。それを受けてか、SAPIO(98.12.23)では「大虐殺『肯定派』の重鎮が『否定派』に反論」(TOKUSHI KASAHARA)を載せ、「[PROFILE]1944年群馬県生れ。東京教育大学文学部卒。中国近現代史専攻。著書に『南京難民区の百日』『南京事件』ほか多数」と紹介するなど、こちらは「右翼」なのでしょうか、野次馬商業主義でしょうか、ともかく、こちらでも今や国際級の「悪役?」主力選手扱いです。

 この大学教授こと、アカデミー業者は、私より7歳ぐらい若いので、戦後の「マルバツ」教育の産物であることは間違いないでしょう。この手の上昇志向の強い戦後偏差値エリートは、今や「ホンマ狂」の異名が一番通りの良い言論詐欺師、エセ紳士の名を戦前からほしいままにしてきた朝日新聞の元ゴロツキ記者、本多勝一の良い鴨にされてきたのです。「鴨」の由来を知らない若い人もいるでしょうから、一応説明すると、昔は狩猟で野鴨を獲物にすると、その場で農業用具の鋤を鍋代わりにして食べたようです。それが今の「スキヤキ」の元祖で、その時に葱を入れたのです。そこで、「鴨が葱を背負ってくる」から、短縮用語「鴨葱」ができて、次には「鴨」だけに単純化されたもののようです。

 さて、実質短めブックレット『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』については、すでに、その内容の一部への驚きと批判を記しましたが、この本の「編訳者」代表、石田勇治(ゆうじ)は、奥付によると、「1957年生れ。東京大学教養学部助教授(ドイツ現代史)」の肩書きで、「主要著書」として、ドイツ語の本が1冊、日本語の「共著」が2冊、「主要訳書」に「共訳」が1冊あります。この本は1995年出版なので、その時には38歳ぐらいですから、この年で、この肩書きで、まだ単独の著書がないというのは遅すぎます。お得意のご様子のドイツ語の勉強に時間を費やし過ぎたのでしょうか。業界でのし上がる機会を伺いつつ、かなり焦っていたと推察します。

 それは少し言い過ぎじゃないか、などと、心配なさる向きも、おありでしょう。ところが、この助教授、様、様、に関しては、『マルコポーロ』廃刊事件の直後、1995年2月初頭に、電話で大変に失礼な対応をされ、決定的な心理分析資料を得ながら、今まで、特には、お返しもしてこなかったのです。

 以下は、1995年6月26日に出版した拙著『アウシュヴィッツの争点』(p.253-254)の一節です。


「『マルコ報道』[中略]日本のマスメディア報道のお粗末さの典型」[中略]

『サンデー毎日』(1995.2.19)も『マルコ』記事の評価を簡単な電話取材でごまかした。

「『中吊り広告を見てすぐ買ったが、驚いた。不正確な記述としかいいようがない』というのは、ドイツ史が専門の石田勇治東大助教授。『タネ本はすぐに分かる。ロンドンで出版された「ロイヒター報告」という本で、これはネオナチのバイブル(後略)』」

 本人に直接たしかめたところ、『ロイヒター報告』そのものを読んでいるどころか、実物を見てもいない。ドイツ語の見直し論批判本の名を2つ挙げただけだった。こんなズサンな肩書きだけの談話記事で、西岡が「ネオナチのバイブル」を引き写して作文したかのような印象が作りだされているのだ。

 石田はさらに、「歴史研究の立場からすると、論争はまるでない」としているが、論理矛盾もはなはだしい。本人が「2冊持っているドイツ語の本」そのものが、論争の存在の立派な証明である。論争とは、権力御用、学会公認の公開論争だけを指すのではない。


 以上の部分は、『マルコポーロ』廃刊事件の直後に、記者会見資料として作成した手作りニュースの一部を、さらに『創』(95.5)への寄稿に連載し、最後に拙著に収めたものです。

 ここでは書きませんでしたが、この「本人に直接たしかめた」時の電話では、かなり長い時間話しました。『サンデー毎日』記事に「助教授」とあったので、きっと私より若いとは思っていました。私の同窓生の大学教員の中からは当時、学部長も出ていましたし、とっくに皆が教授になっていたからです。しかし、20歳も若いとは思いませんでした。私の子供の世代ですから、いわゆる「キレやすい」のは仕方ないのかもしれません。

 ともかく、気を使って、優しく諭すつもりで話していたのですが、この時、石田助教授、様、様、は、私が非常に優しく「ネオナチのバイブル」こと『ロイヒター報告』そのものを読んでいるかどうかを確かめた際に、ついつい慌てて不用意に、「持ってない」と答えてしまったものですから、その後はシドロモドロで、困り果てていたようでした。私がさらに、それでは『ロイヒター報告』については何で知ったのかと聞くと、上記のように2冊のドイツ語の本を持っていて、それを読んだというので、私は、またも優しく、なだめすかすように、その2冊のドイツ語の本の題名を聞きました。

 この本の『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の題名は直訳ですが、ドイツ語では後の方の「アウシュヴィッツの嘘」の前後に、クオーテイオション・マークが付いています。そのドイツ語、Auschwitz-Luge(Lugeのuの上に点が2つ、「ユー・ウムラウト」と呼ぶ)の内のLuge(リューゲ)の発音が、はっきりしなかったこともあったので、私は、スペルを確認しました。その際、私が、ゆっくりと「ああ、リューゲですか」と言った途端に、石田助教授、様、様、の、堪えに、堪えていたであろう屈辱感が、格好の噴火口を見付けたのでしょうか、いきなり、「あんたは、ドイツ語も知らないで」と、大声でわめき出したのです。

 私は、すぐに、また、なだめすかしながら、私が、その時に手元に持っていた英文のパンフレットの原題、『アウシュヴィッツの嘘』(Auschwitz-Luge)(u同上)と同じ単語の配列なのに、どうやら逆の意味で使われているようなので、一応確かめたのだと説明しました。こちらの『アウシュヴィッツの嘘』の方は、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも簡単に紹介しました。原題のドイツ語は英語版にも記されていますが、ドイツ語の原本は手元にありません。これは歴史的文書ですが、ドイツ国内では現在、事実上の国禁の書です。著者のクリストファーセンは、その後、亡命生活に疲れたのかドイツに戻って逮捕され、獄中で故人となりましたが、アウシュヴィッツ収容所付属のゴム成分を作る草の試験栽培農場に勤務していた傷痍軍人です。自分の経験に基づいて、いわば命懸けで、「ガス室は嘘だ」という趣旨の禁断の告発をしたのです。

 その後に確認できたことですが、ドイツ国内では、このクリストファーセンの『アウシュヴィッツの嘘』のことを逆に「嘘」だとして、「嘘」の対象を入れ替えるキャンペーンが張られていたのです。ともかく、石田助教授、様、様、は、「ネオナチのバイブル」と決め付けた『ロイヒター報告』そのものを読んでいるどころか、実物を見てもいないし、クリストファーセンの『アウシュヴィッツの嘘』のことも、まるで知りませんでした。

 私は、大学でドイツ語を「第3外国語」に選びましたが、授業はサボってばかりいたので、単位が取れないというよりも、期末試験を受けもしませんでした。その後、『資本論』の勉強を始めてから、やはり原語に当たる必要があると思い、結果的には、ドイツ語、英語、フランス語、ロシア語、日本語は2種の、隣の頁か1頁めくれば比較できる学習資料『5か国語資本論』(ただし1 巻のみ13分冊)限定300部を発行しました。この希代の珍本は、残部が最後の3部のみとなりましたが、わが「インターネット個人書店」で特価販売中です。お確かめ下さい。ともかくドイツ語は、『資本論』1巻の切り貼りができるくらいにはよめます。もちろん、すらすらではありませんし、発音は、普及版のリートに出てくる単語以外は不勉強ですが、一応の検討は付きます。

 というわけで、石田助教授、様、様、の、失礼極まりない対応には、少しは、お返しをしなければならなかったのです。

 私は、大学などのことをアカデミー業界と呼びますが、自分が所属してきた業界のことも、平等に、マスコミ業界と呼んでいます。別に「大学憎けりゃ教授まで憎い」という立場ではありません。どの業界にも平等に「憎まれ愚痴」をきいています。

 アカデミー業者の失礼な一例としては、別途、やはり「ガス室」問題で私を創価学会系雑誌『パンプキン』で誹謗中傷した同志社大学教授、様、様、の渡辺武達にも、「学問的素養がない」などと表現されました。この様、様、も、上記の2人の様、様、と、ご同様に、1,2冊のデタラメ本しか読まずに、「ガス室」問題で鼻血ブーとなっていました。

 それが偉そうに「学問」を騙るのですから、これまた、唖然、愕然、呆然、茫然、惘然、寒心の至りです。

 私は、アカデミー業者ではなくて、マスコミ業者の端くれでしたが、少し遅目の35歳で、最初の本『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(1974)を出しました。

 長さは、折からのオイルショックで紙の値段が高騰中、切り詰めて本文 300頁、1頁に18行、1行に45字です。巻末リストの「引用した本」だけでも60冊の文献を見比べました。洋書は6冊しか載せてませんが、どれも論点を絞って探した分厚い本ですし、一応、国内で入手できる日本語の関係書は全部見る努力をしました。私は、それが当然のことだと思っていました。拙著『アウシュヴィッツの争点』でも、同様の努力をしました。これと同じことを「大学の歴史学の」教授、助教授、様、様、が、まるでやらずに鼻血ブー。それを「左」出版社が、またまた鼻血ブー。何も知らない読者は、当然、鼻血ブー。最早、呆れているだけの場合ではありません。

 長くなり過ぎたので、中身への批判は次回にします。以上。

以上で(その7)終わり。(その8)に続く。