連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態(その9)

『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』:ティル・バスティアン(著)、石田勇治、星乃治彦、芝野由和 編訳(日本版1995/11)

『アウシュヴィッツの嘘』:元ドイツ軍の中尉、ティエス・クリストファーセンが1973年に発表した短い回想録の題名。参照➡『アウシュヴィッツの嘘』の内容をなぜ正確に報道しないのか

『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Gaskammer編)

1999.2.26

 前回記事の(gasung編)発表以後、VergasungkellerとGaskammerの関係を見直していたら、もしかすると、これは私の新発見ではなかろうか、と思える重大な問題点に気付いた。もしもそうだとすると、私は、この実に面白い新発見(?)に関して、『週刊金曜日』の南京事件問題連載記事(わがホームページ「本人陳述」参照)の出席者と、amlメーリングリストで「論争」と称する口喧嘩を挑んできた高橋さんに、かつて中国共産党が使った「反面教師」という称号を奉り、感謝を捧げるべきであろう。

 だが、その新発見(?)の意味を説明するのには、いささかの手順が必要となる。なお、以下に出てくる「証拠文献」については、手持ちの何冊かの本に、現物の写真コピーがあるので、その確認と出典については、後に整理して掲載する。

 当面はまず、デタラメ本の典型、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の訳文に添って、問題点をあきらかにしていく。この本には、前回も紹介したように、「ガス室(Gaskammer)」という用語が出てくる。それを含む「日本の読者へ」(p.11)の、つぎの部分を、もう一度、ここにも引用する。


 これまで封印されていたモスクワ国立中央特別文書館の関連史料も公開され、ガス殺の手法と焼却の手順までが欠落なしに解明されつつある。こうした文書の中では「ガス殺(Vergasung)」あるいは「ガス室(Gaskammer)」ということばも使われているし、青酸ガスがガス室の中で殺戮目的に使用されたこともうかがえる。また、ガス室の施工に携わった職人の作業日誌までも発見されているのである。


 前回も、魔術師の幻惑の手法を指摘したが、この文章の構造は、まさに霧(ガス)が掛かったように曖昧模糊としている。「こうした文書」と総称されるものは、「これまで封印されていたモスクワ国立中央特別文書館の関連史料」と、そのままでイコールなのであろうか。それとも、「これまで封印されていたモスクワ国立中央特別文書館の関連史料も公開され」たので、「こうした文書」が「欠落なしに」なったのだろうか。これがまず分からない。要するに、意識的か無意識的かは分からないが、それぞれの個別の文書の位置付けを特定し難いように、最初から、まやかしの魔術が、ほどこされているのである。

 また、原著ではVergasung, Gaskammerとしか書いていないものを、日本語の編訳者が、「ガス殺(Vergasung)」とか、「ガス室(Gaskammer)」として、勝手な解釈を押しつけること自体が、言葉による幻惑の手品なのである。

 前回検討した Vergasungと言う単語は、ニュルンベルグ裁判の時から、「ガス殺人」の意味だと主張されていた。何も新しい発見ではなかった。ところが、魔術師は、あたかも、それが最近のプレサックによる「モスクワ国立中央特別文書館の関連史料」の発掘による決定的新発見であるかのように、観客を幻惑したのであった。ニュルンベルグ裁判は、裁判とは名ばかりのお芝居で、反対尋問をも許さなかったのだが、それにしても、「殺人」の根拠として、デゲシュ社の「殺虫剤」使用説明書そのものだけでは具合が悪い。そこで、何とかして、別の「殺人用の部屋」の証拠を探さなければならない。デタラメ本の順序に従うと、つぎに出てくる単語は、Gaskammerである。

 ところが、上に引用した「『ガス室(Gaskammer)』ということばも使われている」という『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』(p.11.「日本の読者へ」)の文脈自体が、出典も出所頁も不明のデタラメ振りの典型なので、Gaskammerの前後の文脈どころか、証拠となる出典そのものも確かめようがない。だが面白いことには、本文の方ではなくて「訳注」の方に、それが出てくるのである。原資料は「左官職人」の「1943年3月2日の作業日誌」であり、引用部分は、「『ガス室(Gaskammer)でのコンクリート打ち』を行う」となっている(p.166)。上記の引用部分「『ガス室(Gaskammer)』ということばも使われている」は、「日本の読者へ」という見出しの中にある。明らかに後に書かれた文章であるし、その文章を著者に注文したのは「編訳者」であろうから、「編訳者」は、原著の不備に気付いて追加を注文したのかもしれない。ともかく、奇妙な構造の訳本である。

 その奇妙な構造ゆえに、本文の76頁の方では何らの説明もなしに、いきなり、Gaskammerではなくて、「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」となっている。出典は、「アウシュヴィッツの収容所建設本部」から「ベルリンに報告した書簡」となっている。このくだりにも、やはり、出典も、出所頁も記されていない。

 このVergasungkellerという単語が入っている文書(以下、「Vergasungkeller文書」)も、すでに、ニュルンベルグ裁判で活用されていた。ニュルンベルグ裁判の証拠番号では、NO-4473.である。新発見でもなんでもない。デタラメ本における記述の前後関係から判断すると、この部分の既述は、NO-4473.も含めて、プレサックの『アウシュヴィッツの火葬場/大量殺人の機械工場』(p.55-75)からの部分的な引き写しと判断できる。

 ところが、すでにVergasungkeller文書ことNO-4473.は、ニュルンベルグ裁判でも提出され、後述のように、その証拠番号を示して、見直し論者が詳しい検証をしているにもかかわらず、デタラメ本『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の著者は、この証拠を示す前に、つぎのような意図的または口真似の「仄めかし」をしているのである。

「[アウシュヴィッツ博物館の]こうした史料は、ナチ国家の命令書、書面、公式表明には、『ガス殺(Vergasung)』と言う言葉が一度も使われていない、というしばしば出される誤った主張を覆す。例えば、……」

 これだけを読めば、ホロコースト見直し論者は、アウシュヴィッツ博物館が公開している文書すら見ずに、「ガス室」を否定しているという意味に取れる。しかも、最後の言葉の「例えば」とくると、いくつもある証拠の中から、一つだけ紹介しているのかな、とも思える。ところが、一つも一つ、これ一つしか、Vergasungkellerと言う単語が出てくる文書は存在しないのである。

 先に引用したデタラメ本(「日本の読者へ」p.11.)の順序に従うと、 Vergasungのつぎに出てくる単語は、Gaskammerであるが、上記のように出所頁不明のデタラメ振りの典型でもある。だからして、これを直接検討することは不可能である。「訳注」の方のGaskammerで検討するしかないが、これも上記のように、部屋(kammer)は部屋でも、何の部屋だかまるで分からない。この単語をめぐる議論は、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも紹介したアメリカ人の工学博士、バッツの本『20世紀の大嘘』(初版1976)でも、3頁(p.120-122)を要しているほどの複雑な問題をはらんでいるが、バッツは、ニュルンベルグ裁判の証拠番号を示しつつ、詳細に検証している。

「ガス室(gas chambers)」についての文書証拠を検証する部分で、バッツは、Gaskammerという単語と、Vergasungkellerの関係を、つぎのように説明している。([ ]内は私の注記)。

「ここで問題になっている概念[上記のように英語ではgas chambers]に当たる慣用的なドイツ語はGaskammerであるが、ガス室(gas chambers)と訳されたNO-4473[ニュルンベルグ裁判の証拠番号]の単語は、 Vergasungkellerであり、ライトリンガー[ガス室実在を主張する絶滅論者]もこれを、ガス穴(gassing cellar)と誤訳した」(p.120)

 実は、ニュルンベルグ裁判の当時から、この単語の英語訳の「ガス室(Gas chamber)」が妥当か否かが、議論になっていたのである。そういうことなので、Gaskammerという単語と同時に、Vergasungkellerをも説明する必要がある。

 上記の引用部分の「訳文」を繰り返すと、以下の一行だけである。

「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」

 とりあえず、この「訳文」のままで検討するが、おそらく、これだけでも、「アウシュヴィッツの収容所建設本部」とベルリンの担当者の間では意味が通じたのであろう。しかし、第3者にはVergasungkellerが何を指しているのかが、まるで分からない。私は、ここでわざと「訳文」と表現したのだが、そもそもが、先にも指摘した通り、デタラメ本の典型、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の原著ではVergasungkellerとしか書いていないものを、日本語の編訳者が「ガス室(Vergasungkeller)とすること自体が、言葉のごまかしなのである。

 ともかく、こんなことで、どうして、「凶器が特定された」と判断できるのであろうか。具体的な物的証拠との関係は、まったく不明なのである。「疑わしきは罰せず」が、刑事事件の基本常識である。それなのに、このたったの一行で、反対尋問もなしに、「英語のGas chamber」[大量殺人用]の存在が認定されてしまったのである。

 私は、ここでまた、わざと、「英語のGas chamber」と表現した。少しややこしくなるが、ガス室実在論者は、以上のように、ドイツ語の慣用からするとGaskammerであるべき「英語のGas chamber」に対して、Vergasungkellerをも、それに対応すると主張しているのである。くどいようだが、上記の2つの「証拠文書」のGaskammerとVergasungkellerについての主張を総合してみると、ガス室実在論者は、その双方が、ともに「大量殺人用のガス室」だと主張していることになる。逆に言うと、ガス室実在論者は、ドイツ語の「大量殺人用のガス室」の呼び名が、2つあると主張しているわけである。

 確実なことは、第2次世界大戦中にイギリスの国営放送局BBCが、ヨーロッパ大陸にも届くように、「英語のGas chamber」によるユダヤ人虐殺についての噂話を放送していたことだけである。つまり、放送などによる言葉の上での「英語のGas chamber」は確実に存在していたが、それに対応する実物の存在は確かめられてはいなかったし、それを表すドイツ語も「確かめられてはいなかった」のである。こう言うと驚くだろうが、これは間違いないのである。「確かめられてはいなかった」からこそ、膨大な押収文書の中から発見した「意味不明の文書の切れっ端」が、「重要な証拠」とされたのである。ガス室そのものともなれば、ホロコースト見直し論者、または、[これは当人たちの嫌う攻撃的な表現ではあるが]「ガス室否定論者」の考えによれば、それは存在しないのである。

 ではまず、Vergasungkeller とは何か。工学博士のバッツのドイツの技術用語による解釈によると、第1には、「気化穴」[拙訳]となる。上記の報告書のアウシュヴィッツ第2収容所、ビルケナウの場合、バッツは、出典の文献名(008 USSR; Central Commission)を明示して、コークスや石炭が燃料と推定している。この推定の当時には、まだ鉄のカーテンが存在していたので、実地調査の裏打ちはない。バッツは、この本では、あくまでも上記のように「ドイツの技術用語」にこだわって考えている。「この本では」としたのは、最近になって、「別の部屋」ではないかという意見を述べているという耳情報があるからである。この耳情報にまつわる後日談は長くなるので、次回に紹介する。

 さて、まずは「気化穴」の前提で考えると、死体焼却炉には、燃えやすいようにする気化のための場所があったと考えられる。バッツは、コークスの場合を特定して、燃えているコークスに空気を送って「コークス焼窯ガス(coke-oven gas)」、続いて、水蒸気を送って「水ガス(water gas) 」を作るとしている。具体例としては、ポーランドのルブリン[とあるが、収容所名はマイダネクではないのだろうか]の収容所にあった「石炭燃料(coal-fired)の火葬場」も挙げている。以上の論証には、いくつもの文献が挙げられているが、それは省略する(p.121)。

 この点に関しても、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の編著者は、「訳注」の8で、ヴィルヘルム・シュテークリッヒ著『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』の旧版『アウシュヴィッツ神話』(1979)だけを引き合いに出しているが(p.166)、シュテークリッヒの本のこの部分には、アメリカ人の工学博士、バッツの本『20世紀の大嘘』(初版1976)が出典として明記されているのである。偉そうに原点に当たっているような振りをする割りには、実に、せこい、ごまかした方をする「助教授」たちではある。

 その上で「助教授」たちは、「気化穴」の可能性についての主張に対して、つぎのように記している。

「アウシュヴィッツの焼却棟の燃料はコークスが使われており、燃料のガス化装置は必要なかった」(p.166)

 しかし、この主張の論拠は明示されていない。以上の両者の相反する見解については、現在のところ、私の手元には追加の材料がない。それぞれから、さらに論拠を示してもらうしかない。

 ところが、以上のような主張の日本語、英語、ドイツ語の比較を行っている内に、非常に面白い事実を発見した。何度も同じ資料を見ていても、それ以前に得ていた予備知識や思い込みが邪魔をして、なかなか気が付かない問題点が、よくあるものだが、これも、その一つである。

 まず、先に引用した『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の中の、Vergasungkellerに関する文書の「訳文」を、さらにその前まで含めて、引用し直す。前述のように出典は、「アウシュヴィッツの収容所建設本部」から「ベルリンに報告した書簡」となっている。

「第2焼却棟は、言語に絶する困難と極寒にもかかわらず、昼夜を分かたぬ作業の末、施工上の細部を除いて完成した。焼却炉はエルフルトの製造メーカー、トプフ・ウント・ゼーネ社の主任技師プリューファー氏の立ち会いのもとで点火され、申し分なく稼働している。死体置場の鉄筋コンクリートは凍結のために型枠がまだ取り外されてないが、ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」(p.76)

 この最後のくだり、「死体置場の鉄筋コンクリートは凍結のために型枠がまだ取り外されてないが、ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」という部分を、原文と比較すると、かなり違っているのである。まずは、前半の終りの「……ないが、」は、「……ない。」と切れている。ここは、それほど意味が違ってくるわけではないが、その後の順序は、続けるならば、むしろ、「……ないが、それはさほどの問題ではない。その目的のために(またはより意訳的に「その代用として」)Vergasungkellerが使えるからである」と訳すべきなのである。以下に紹介するドイツ語の原文のhierfurは、大型の独和辞典にやっと単独の項目がある程度で、「そのために」の一行の訳例しかないが、furは、英語のforと同じで、「代わりに」の意味を持っている。

 この比較検討の上では、バッツの本の方には、ニュルンベルグ裁判で提出された英語の訳文だけしかないが、ドイツ語を併記しているシュテークリッヒの本の英訳が手元にあるので、非常に役立った。一応、原文を示すと、つぎのようである。[Umlaut省略]

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung noch nicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.

 ニュルンベルグ裁判の書証として提出された英語訳をも示すと、つぎのようである。

 The planks from the concrete ceiling of the cellar used as a mortuary could not yet be removed on account of the frost. This is , however, not very important, as the gas chamber can be used for that purpose.

 以上の文中の、「その目的のために(またはより意訳的に「その代用として」)Vergasungkellerが使えるからである。(da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.)」という部分は、前述のように、日本語版『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の訳文では単に、「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり」となっている。死体置場の「目的のために」、または「代わりに」「代用として使える」という意味の方は、完全に欠落している。この意味の欠落は、この際、誤訳では済まされない。曲訳である。「代用として使える」ということは、つまり、「死体置場」とVergasungkellerは、本来は、別の目的を持った部屋であるし、さらには当然、別の部屋であるし、「鉄筋コンクリート」が「凍結のために型枠がまだ取り外されてない」[「から使用できない」が省略されていると判断できる]「死体置場」とは違って、「死体置場」としての代用が可能だということである。

 ところが、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の「訳注8」では、つぎのように説明しているのである。

「アウシュヴィッツのガス室は収容所内の隠語として「死体置(Leichenkeller)」と呼び慣らわされていたが、この書簡の差し出し人は、第2焼却棟の第1「死体置場」をうかつにも「ガス室(Vergasungkeller)」と言い換えている」(p.165-166)

 つまり、同じ部屋の名称の「言い換え」だと主張している。この「訳注」の執筆者は、LeichenkellerとVergasungkellerとが、同じものだと主張し、報告者が、その「隠語」[を使へとのヒトラーの極秘命令]を忘れて、「うかつにも……言い換えて」しまったのだと称しているのである。

 ところがまずは、この「隠語」説についても、何ら出典明示がない。これで何が「訳注」かと呆れてしまう。しかも、この「隠語」説そのものにも、もともと何らの物証もない。「呼び慣らわされていた」などと断定的に記す根拠は、何もないのである。このデタラメ本の構成から見れば、「隠語」説も、または同じことだが、Leichenkellerを「ガス室」とする説も、やはり出典明記はないが、その源は、すでに紹介済みのジャン=クロード・プレサックの著書、『アウシュヴィッツの火葬場/大量殺人機械工場』(1993)以外にはなかろう。

 このプレサック説については、すでに、前回紹介したフォーリソン著『プレサックへの返答』があり、拙訳『偽イスラエル政治神話』でも論じられている。詳しくは次回の(Leichenkeller編)で紹介する。上記の「言い換え」説の特徴は、その部分でプレサックが直接ふれていないVergasungkellerをも同時に論じてしまったことである。「編訳者の」の助教授たちは、これで「串刺し」と力んだのであろうが、これは、将棋などの用語で言えば「差し過ぎ」である。そこで、はてなと、私の頭脳が刺激を受けたのである。

 もう一つの、キーワードというよりもキー文字は、たったの1つの小文字の「s」だった。上記の「代用」論とともに決定的な重要性を秘めていそうなのは、日本人が見逃しがちな「複数」と「単数」の違いである。上記のように、英語訳の方では、the cellar used as a mortuaryと、明白に単数の扱いになっている部分が、ドイツ語の原文では、Leichenkellersと、複数になっているのである。

 拙訳『偽イスラエル政治神話』で、私は、つぎのような訳注(p.339)を付けていた。

訳注1. ここでガロディが例に挙げているプレサックの原著の65頁では、chambre a gaz (la Leichenkeller 1)[ガス室(遺体安置室1)]となっており、その隣が、vestiaire(la Leichenkeller 2)[更衣室(遺体安置室2)]だという主張になっている。

 つまり、私には、Leichenkeller と設計図に記された部屋が2つあるという予備知識があった。プレサックの原著には、設計図の写真も入っていた。だから、上記のドイツ語原文と、英語の訳文を、ワープロで入力する際の作業で、いやでも気付いた「s」1文字の刺激が、それらの予備知識と衝突して発火したのである。

 プレサックは、2つある「死体置場(Leichenkellers)[複数]」の内の1つが「殺人用ガス室」だと主張している。しかし、上記の報告書の時点では、その複数について、同じように、「鉄筋コンクリート」が「凍結のために型枠がまだ取り外されてない」と記しているのである。そうすると、Vergasungkeller[単数]は、何だと言うのであろうか。

以上で(その9)終わり。(その10)に続く。