連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態 (その44)

米大使館前キャスター修行に米学生作曲とガルブレイス『満足の文化』持参

2000.12.3

随時追加「編集長日記風」木村愛二の生活と意見
2000年11月26日から

 パレスチナ内戦に関して自らは何らの直接行動に出ず、このところ、ホームページ記事やメール上でのみ赤軍派などの政治屋を半気違い扱いしている。もともとは行動派の私としては、やはり居心地が悪い。実は、かなり前から、1960年安保闘争以来の懐かしき赤坂はアメリカ大使館前にて、英語のインターネット放送キャスターの修行を兼ね、ほとんどは手持ちの活字の読み上げによる初の英語演説をしようかと計画していた。しかし、手持ちとは言っても、分厚い英語の原書から目星の該当箇所を探し出し、それを街頭演説向きに、老眼でも読める大きさの拡大コピーにするのは、結構、時間が掛かる。最初の台詞ぐらいは自前でと考えている内に、絶好の音楽が入手できた。流行りのナプスターとかによるものではない。米軍放送からである。

「手集計」(Hand count)の戯れ歌を武蔵野警察署前で実験

 録音したのは、多分、11.23.勤労感謝の休日であろう。「多分」と書くのは、1面が30分のテープに毎日続けてニュースを録音するから、日時を特定し難いのである。某電気大学と理解するが、その大学の学生が作った歌という説明で、「ハンド・カウント」を繰り返す軽やかなメロディの戯れ歌である。もちろん、賑やかな伴奏付きである

 早速、翌日の24日、武蔵野警察署前での昼休み演説の際、「マイク・テスト」代わりに使った。単1電池を10本使う巨大ラジカセ「ドラム缶」は、最初に音量調整をしないとワウル。ギリギリ一杯の音量まで上げる間、「ただいま……」などとしゃべるのは面白くない。音楽で始めてみたら、結構、いける。雰囲気も絶好。広報担当の副署長が制服姿で入り口に顔を出し、ニコニコ挨拶していた。もちろん、演説も冴えに冴えた。演説の内容は別途、武蔵野市の税金横領事件に関する不祥隠し独自捜査シリーズで発表する予定。

アメリカの選挙の論評にガルブレイス『満足の文化』持参

 どうせなら、この前座の音楽に続けて、アメリカ大使館前での演説の冒頭に、最近の話題沸騰の大統領選挙に関しても、ひと味違う論評をしなければ気が済まない

 そこで本日、武蔵野市の中央図書館から、ジョン・ケネス・ガルブレイスの著書、『満足の文化』(CULTURE OF CONTENTMENT)を借り出してきた。奥付を見ると原著のCopyrightの年が1992年で、日本語訳の発行日は1993.9.25.となっている。私が当時、新聞の書評を見て注文した本である。題名の方は、うろ覚えだったので、著者のガルブレイスによるデータ検索をしたのだが、この本の中に「人口の半数が大統領選挙に参加せず」(p.173)などとあったことを覚えていた

 わが家の唯一の宅配紙、『日本経済新聞』(2000.11.18.夕)の「あすへの話題」欄では、「詩人・弁護士」と欲張った肩書きの中村稔が、「少数者支配体制」と題して、「投票率は5割強だから、」「どちらも」「有権者のわずか4分の1の票を集めたことによって、アメリカの最高権力者として世界中の国々に圧倒的な影響力を行使することになると思えば恐ろしい」などと記していた

 この中村の論評が、これまで目に止まったアメリカ大統領選挙批判の中では、最も鋭いものだった。しかし、『満足の文化』以外にもアメリカの政治体制に関する文章を沢山読んでいた私にとっては、まだまだ物足りない。ガルブレイスは、「貧困者にとって投票は無意味である」(p.171)としている。『満足の文化』という題名そのものも、独特の皮肉である。アメリカでは「下層階級が『必要』とされる」(p.45)のだとも論じている

 つまり、あれだけの馬鹿騒ぎをする「アメリカ民主主義」なるものは、同じギリシャ語源の言葉で比較をすれば、デモクラシーというよりもデマゴギーと形容した方が実態に近いのである

 以上の問題点を英語に直すのは、私には難しいが、これも修行である。明日、天気予報では晴のようである。その後は、天気が崩れるらしい。最早、背水の陣か、2000.11.27.(月)、初の英語街頭演説に立つ。やるぞ!

以上で(その44)終り。(その45)に続く。