連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態(その21-2)

SWC-Blackmailに屈した小学館『週刊ポスト』2.後半

1999.11.12


『アウシュヴィッツの争点』(p. 303-309)

「反ユダヤ主義」批判は妥当か、5年前に来日して実態調査

 日経は、問題の全5段広告掲載の2週間後、『英文日経』と通称される『ニッケイ・ウィークリー』(93.8.9)の論説欄の最下段に、縦24センチ、横19センチの「手紙」という2重線のかこみをもうけ、実質的な謝罪文を発表した。大見出しは「反ユダヤ主義と広告」である。すでに紹介したサイモン・ウィゼンタール・センターのラビ(教師)、アブラハム・クーパー名による抗議のほかに、「日本ユダヤ人協会」などからの抗議の手紙を3通のせ、それにこたえるかたちの『英文日経』副編集長(国際第2部次長)勝又美智雄の名による文章で経過を釈明し、「日経が今後、反ユダヤ主義に対して今まで以上に気を配ることを改めて確認します」とむすんでいた。

 産経新聞の記事にも、「島正紀・日本経済新聞広告整理部長の話」という事件直後のみじかい談話記事がそえられていた。「日本経済新聞では、出版物の広告については、表現、出版の自由を尊重し、そのまま掲載することを原則にしている」という態度表明だった。

 つづけて、「第一企画出版社長の話」という、つぎのようなみじかい談話記事もあった。

「著作の内容は、ある特殊な大財閥の計画について書いたもので、ユダヤ人全体に対する批判ではない。今のところ抗議はない」

 たしかに第一企画出版の本は、いわゆる「おどろおどろ」型である。わたしの好みではない。しかし、ロスチャイルド財閥の死の商人としての歴史は、日本人にもくわしく知ってもらう必要がある。

 藤井昇の著書『日本経済が封鎖される日』からの再引用になるが、ユダヤ人ジャーナリストのレニー・ブレナーは『現在のアメリカのユダヤ人』という近著で、「ユダヤ人は世界の人口の3パーセント以内だが、百万長者の4人に1人はユダヤ人である」と書いているそうだ。「財閥」やら「百万長者」やらについての情報は、もっともっとくわしく報道されるべきだ。その意味では、今後もおおいに「表現、出版の自由を尊重」してもらう必要がある。その日本経済新聞の「原則」が、なぜ、たった2週間で一変したのだろうか。

 日経幹部や関係者の話を総合すると、サイモン・ウィゼンタール・センターは弁護士を立てて、日経が謝罪に応じなければ「不買運動を展開する」などと、おどしまくったようである。わたしの手元には、サイモン・ウィゼンタール・センターの「予約購読部(ニューヨーク)」の責任者が8月2日づけで英文日経社長あてにだした手紙のコピーがある。手紙の主旨についてはみずから、「予約購読のキャンセル」と「迅速な予納金の日割り計算によるはらいもどし」をもとめるものとしているが、その理由として、問題の広告が「ナチス・ドイツの殺人的政策にみちびくもの」とし、日経に「ジャーナリズムの義務」を問いかけている。この文句は、クーパー名による公式の抗議よりもてきびしい。

 わたしの手元にある「予約購読キャンセル」の手紙のコピーは、たったの1通分である。だが、ほかならぬ日経が事件の約五年前にのせていた記事(88.6.21)によると、サイモン・ウィゼンタール・センターは、「ニューヨーク、ワシントンなど北米5カ所に支部を持ち会員が36万人いる」。アメリカのユダヤ人が金融界に強い支配力を持っていることは、これも「周知の通り」の事実であり、その国際的な金融界こそが『英文日経』にとっての最大の客層である。たったの1通でも、36万人の組織の代表からの手紙だから、これは相当におどしのきく1通だったのではないのだろうか。

 しかも、日経の編集部サイドでこの問題を担当し、署名いりで実質的な謝罪文を書いた国際第2部次長の勝又美智雄は、すでに1部を紹介した約5年前の[ロサンゼルス20日=勝又記者]発の記事(88.6.21)の執筆者でもあった。つまり、相手の組織力と対日戦略をいちばん良く知っていたわけである。記事の大見出しは「反ユダヤ本はブームだが悪意・反感は少ない」なのだが、サブタイトルのほうが重要である。「米ユダヤ教教師、来日し実態調査」なのだ。

「経済大国日本の国際世論への影響」を重視し「交流」を予定

 調査した「教師」は、すでに名のでたアブラハム・クーパーである。

 記事の主要部分を紹介すると、まず、「米国内には日本でユダヤ陰謀説が流行し始めたことに反発する動きが出ており、調査を担当したユダヤ教教師は『日米摩擦の新たな火種になりかねない』と警告している」というのだ。これなどは「日米摩擦」という虎の威をかりた「おどし」ではないだろうか。なお、「ユダヤ教教師」とか「ラビ」というと、いかにも宗教家とか聖職者とかの感じだが、さきにも紹介した武装テロ組織、JDL(ユダヤ防衛同盟)のボス、メイア・カハネも「ラビ」だった。そのうえ、アメリカと二重国籍でイスラエルの国会議員でもあった。カハネは湾岸戦争の実力行使直前に暗殺されたが、その最後の死にかたまでが血なまぐさかった。

 勝又記者が「関係者の話を総合しての印象」をまとめたなかには、つぎのような「憂慮」の声がはいっている。

「欧米のタネ本の焼き直し版が日本でヒットした結果、韓国でも翻訳出版の動きが出始めたり、欧米、中東で反ユダヤ主義者を勢いづかせている」

 クーパーは日本での実態調査を土台にして、つぎのような「予定」を立てていた。

「クーパー師は、近くこうした調査結果をまとめて関係団体、議員らに連絡する。同時に『経済大国日本の国際世論への影響が大きくなっている』ことを重視、今後、米国や日本でユダヤ人問題のシンポジウムを開催したり、日本人をユダヤ人家庭に招くなどの交流を呼びかける」

 国際的な背景としては、当時から急速に展開しはじめていた東西冷戦構造の崩壊現象があった。アラブ・イスラム圏へのソ連の影響力がうすれる状況のもとで、財政と貿易の双子の赤字をかかえるアメリカは、あらたな世界市場支配の計画を模索していた。そのさい、これまでアラブ諸国の団結に打ちこむ分断のクサビの役割をはたしてきたイスラエルが、逆に、のどもとにささった魚の骨となる。アラブ諸国は、イスラエルを支援する国にたいして、いまなお「アラブ・ボイコット」を継続しているのだ。イスラエル、またはシオニスト勢力はこの状況下で、従来はアラブびいきがおおかった日本を、なんとかして自分の方の味方にひきよせようとしている。「おどし」と「交流」、またはアメとムチの対日工作が、クーパーの「反ユダヤ本実態調査」の背景をなしていたのだ。

 日経新聞の「反ユダヤ本」広告が問題になったのは、クーパーの実態調査旅行からかぞえて5年後の1993年7月末のことである。

 偶然の一致か、その2カ月ほど前には、読売新聞(93.5.21)の「論点」欄に「外務省中近東アフリカ局審議官」の肩書きの野上義二が登壇していた。論文の見出しは「低俗な『反ユダヤ』観を排す」である。「一時下火となったかに見えた『反ユダヤ』出版物が最近また目につくようになってきた」という書きだしで、このような出版状況が「日本人の無知を証明しているようなもの」と結論づけている。

「ホロコースト」物語についても、つぎのような見解をしめしている。

「ナチによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)は誇張だなどという議論は、エルサレム郊外のホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)を訪ねてみればいかにひどい議論であるか一目瞭然(りょうぜん)である。日本は知的に隔絶されたガラパゴス諸島ではないはずである」

 外務省の審議官が新聞紙上で出版物の批判をすること自体にも、いささか疑問があるが、内容も一方的で、おそまつだ。しかも、その掲載紙がタカ派、というよりも「ヤクザをつかったおしうり拡張販売」で世界最大の部数にのしあがり、その勢いを駆って「改憲」のキャンペーンをはっているだけに、いやな感じをうけざるをえなかった。このところの外務省の「海外出兵」に関するタカ派ぶりと呼応するような事態なのだ。

 ところが、その翌年の1994年に発行された『ユダヤを知る事典』を見ると、冒頭にこう書かれていた。

「1988年、日本の出版事情を憂慮したアメリカ・ユダヤ人委員会は、日本政府に申し入れをした。これを受けて外務省は、同年9月『ユダヤ人問題』と題して、日本書籍出版協会、出版文化国際交流協会を通して、出版界にその要望を伝えた」

 つまり、野上審議官の文章は、決して個人的な作文ではない。また、サイモン・ウィゼンタール・センターのラビ、クーパーの調査報告は、その年のうちに「アメリカ・ユダヤ人委員会」を動かし、日本政府、外務省、出版界へとフィードバックされていたのである。


 私は、当の『週刊ポスト』の坂本・現編集長とも旧知の関係にある。次回には、関係者の人物像をも紹介しながら、さらにこの「周辺事態」の奇々怪々な有様を解剖したい。

以上で(その21)後半終り。(その22)に続く。