(訳者前書き)以下は、イスラエルのhaaretzのサイトに掲載された論評の日本語訳です。(訳者、としまる)
(haaretz)驚くことではないが、イスラエル人はガザでのジェノサイドを無視して平和を語りたがっている
ハニン・マジャドリ
2025年4月27日
数週間前、私はイスラエルの作家、詩人、ジャーナリストから、10月7日以降のヒューマニスト陣営の作家、活動家、知識人の文学作品を含む平和に関するアンソロジーの出版に参加しないかという誘いを受けた。
もちろん、私は平和を支持している。しかし私は、現時点では、ジェノサイドについての考察が平和についての対話よりも優先されると考えている。この2つの問題が絡み合っていることは明らかであるにもかかわらず。
これに対して彼女はこう答えた。確かに、私たちは招待状に「ジェノサイド」という言葉を含めなかったし、戦争についても言及しなかったが、、この言葉が俎上に上っていることは明らかであり、文中で言及することもできる、と。
この時、私はこうした欺瞞を支持することができなかったので、参加しなかった。
先を急ごう。最近、Peace Coalitionが主導するPopular Peace Conferenceの開催が報じられ始めた。この大会は昨年も開催され、シオニストの左派運動、市民社会組織、ヒューマニスト陣営とそのパートナーが一同に会し、エルサレムで2日間にわたって行われた。
大会のプログラムは興味深く、さまざまな講演や活動、戦後の復興や平和行進に焦点を当てたウッドストックのような魅力的な会議、 ナクバについての小さなイベントなど、興味深い内容だった。
私は当事者ではないし、この大会をジェノサイド大会や戦争大会と呼んでほしいとは思わない。人々に希望を与えなければならないのは明らかだ。しかし、今、この平和大会に参加するといち早く表明している人々の多くが、戦術的な理由か、あるいは現実の否定なのか、共感の欠如なのか、「隣人」の痛みに目を向けることができないといった他の理由からなのか、ガザで起きていることに直接言及することを拒み、一貫して人質のことだけを語り、戦争が「人質を家に帰さない」という理由だけで戦争に反対していることに私は気づいた。
平和はとても素晴らしいことだ。イスラエルのような国では、大多数がジェノサイドに賛成しており、ガザの人々の大量殺戮を巻き添え被害とみなしている。大多数の人々はパレスチナの人々と 彼らの生存権を認めていない。私は自分がどんな所に住んでいるのかは知っている。それにもかかわらず、占領や絶滅に関する議論は拒否するのに平和について話す機会には飛びつくこの陣営の論理について、自問している。
これは、2023年10月7日以前、「入植者の暴力」についてしか語ろうとせず、占領とアパルトヘイトについては語ろうとしなかった人々、1967年の占領についてしか語ろうとせず、1948年のナクバについては語ろうとしなかった人々と同じ論理なのだ。こうした人々は、まさにパレスチナが存在しない時にイスラエルの存在の権利に敬意を持って語る人々でもある。血が流され、不正義が横行しているときに、美しい言葉で自らを包み込む論理だ。
それゆえ、平和大会を開催することに異論はないとしても、私は参加することはできない(招待されたわけではないが)。今起きている恐怖を確認しない平和は、イスラエルの良心とその狭い利益に奉仕する鎮痛剤のような政治的幻想にすぎないからだ。
出典:https://www.haaretz.com/opinion/2025-04-27/ty-article/.premium/in-a-sur…