皇室情報の検証① 〈象徴天皇教〉と憲法をめぐる問答

「さま」(「皇族譜」消滅)から
「さん」(「戸籍」入り)へ

天野恵一

─天野さん、仕切り直し、新しいスタートの1回目ですから、この「問答」のモチーフをまず……。

天野 ハイ、マスコミに流れる大量な皇室をめぐる情報、最近はスキャンダルともいえるものすら少なくなってきていますが、それは「芸能ゴシップ」のごとく消費されていますが、本当は大変政治的な性格を持ったものだと思うんです。その国家の政治という点での政治的意味を批判的に解説する。その問題意識の中心は〈象徴天皇制(教)と憲法〉です。人権・民主主義・絶対平和主義原則の戦後憲法を内側から破壊するものとして存在している〈象徴天皇教〉。それがどのように具体的に作動しているのかをマスコミ皇室情報のこまかい検証を媒介に明らかにする「問答」をめざしたいです。

─わかりました、もう少し勉強して質問せよという偉そうな注文もあるようですから(笑)。私なりに準備して、そうしたモチーフに、できるだけそった質問を考えますね。

天野 そんな「偉そうに」言ってなんてないよ。

─イエ、私の耳にはチャンと届いております(笑)。だから、今回はかなり事前読書をしてきましたから。本当ですよ。
「眞子」さんついに結婚しましたね。大バッシングをはねのけて。やはり、ここに至るまでのマスコミ大騒ぎ報道の検証から始めるしかないですね。ジャ始めてください。

天野 マコ騒ぎ、どの切り口から入ったらいいのかナー、情報多すぎて……。

─天野さん、週刊誌山盛り、雑誌も新聞もたくさん。ここに持参しているのだけでも大量。本当にゴクロウなことですね。でも私は、眞子さんヤッターという気分です。「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」をも、乗り越えて自分の意思を貫いて、皇室からキチンと脱出した。快挙と思いませんか。「小室」バッシングより、彼女の意思の強さへの共感の拡大が、マスコミの報道の内容からも読み取れませんか。

天野 ストップ。あんまり単純な話にしないで。

─でも、そこがこの件の、重大なポイントでしょ、戦後憲法、象徴天皇制下のはじめての快挙なんだから。

天野 ハイ、ハイ、あなたの気分は尊重しましょう。それじゃここから行きましょう。私が今回一番アキレタTVコメンテーターの発言。「TV朝日」のモーニングショーの社員のコメンテーター「玉川」なにがし、「ネット右翼」にバッシングされ続けていると自分の報告している、自称自由(個人)主義者のこの人が、こう発言しました。「結婚」をつたえる報道の時です。彼はあなた同様、マコが人権を奪われた存在であることに同情しつづけていたわけですが、バッシングをハネのけて、結婚へ突き進んだマコを「尊敬する」。だからテレビなどのマスコミは民間人になった彼女を、これからは「さん」で呼ぶのだが、私個人は「さま」と呼び続ける。そう宣言したのです。

─ウソー、そんな人の発言と、私の気分を同列で論じないでください。天野さんにさんざんもまれたから、皇室への「敬語」報道の問題は、私にも理解できています。あなたが読めっていうから、ジャーナリスト中奥宏の『皇室報道と「敬語」』、1994年に出た三一書房の新書、なんとか探して読んできもしたから。「さま」で呼び続けてきたことが異常というしかない、私だって、今はそう思っていますよ。天野さん、『THEMEI 100規制概念をぶち壊せ!』という辞書のような奇妙な本で、「天皇(制)」の解説をかいているでしょう。2016年に晃洋書房から出版された。こう書き出されてますね。
 「わたしたちの日常生活の中で眼にする天皇とは、新聞やテレビなどのマスコミの中での、国家儀礼の中心にいる人物である。いつも笑顔を振りまきながら、有難い『お言葉』なるものを発している存在である。そして、天皇とその一族についてのマスコミの『天皇報道』にはやたらと『ご』や『お』の文言が付けられている(「お言葉」!)。まったく不自然であるが、『皇室は敬うもの』であり、そのためには敬語は最上級のものを使うべしというルールが、近代のマスコミの世界を百年一日のごとく支配し続けている。その点は神聖なる『神』ではなく、『人間』を宣言した戦後の今日でも、基本的な変化はない。もちろん戦後社会は法律的根拠は、まったくない。この点に天皇『制』とはどういうものかが、いちばん正直に示されている」。この言葉も、私の胸にストンと落ちますよ。

天野 私が売りつけもしなかったのに、よく探して読みましたね。

─私だって、努力してるんですよ、ワカリマスー(笑)。

天野 そうしたマスコミの姿勢の裏には天皇主義右翼の脅迫や暴力の体験からくるタブーの意識が貼りついてもいるわけですよね。殺された人もいますからね。そして「さま」「さま」づけの報道は天皇一族を平等な人間として扱わないという宣言でしょう。
 憲法十四条にはこうあります。
 「すべての国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地によって、政治的・経済的又は社会的関係において、差別されない。/華族その他の貴族の制度は、これを認めない」。「門地」てのは「家柄・家系」でしょうから。この条文と、一・二条の「世襲」の「天皇」を「日本国の象徴」とする規定は、まったく矛盾していると思いませんか。「主権者」である私たちにとっては「十四条」の方が、まったく大切な条文ですよね。

─でも一章も憲法の条文でしょう。どうするの?

天野 なくしていく努力をするしかありませんね。存在しているうちは、解釈論議をするならば人権規定への破壊力を強めないように、できるだけ天皇の機能を無力(ゼロに近づける)ように解釈するしかない。政府もマスコミも、反対の事をやり続けているわけですね。
 もう一度2人の婚姻届が提出された10月26日の報道に戻りましょう。『朝日新聞』の夕刊1面にこういう「おことわり」が書かれていますね。「秋篠宮家の長女眞子さまは婚姻届けを提出し、皇室を離れました。今度は『眞子さん』と表記します」。
 「さま」から「さん」へ、「臣籍降下」宣言ですね。こういうことがあたりまえだと思っているんですかね。なんで「さま」「さま」だったのか、身分がちがったというわけでしょう。

─「臣籍降下」?

天野 「現人神」天皇一族は「臣民簿」である「戸籍」には入っていない。天皇家の身分登録法「皇統譜」。そこから「降下」(おちる)というわけです。戦後は「皇籍離脱」と言われるようになったが、同じこと。「戸籍と国籍」の批判的検証をしている遠藤正敬は、『天皇と戸籍──日本を映し出す鏡』(筑摩書房、2019年)で、こう書いています。
 「今日、『臣籍降下』ということばを使うとなると、現行憲法に置ける『国民主権』の原理に抵触し、戦前の『一君万民』を思い起こさせ、復古的な空気を煽るものとして忌避されたのであろう。だが『皇籍離脱』という表現では、離脱した天皇族の『籍』の行き先が不明であり、尻切れトンボではないか。『民籍降下』とでも読んだ方がまだしっくりくる。もし『降下』という表現が、右のような理由で現行憲法の秩序にふさわしくないというのであれば、そもそも天皇制とは我々にとって何なのであろうか」。

─神様の一族の「皇統譜」から〈落ちる〉ていうのは同じことなのね。

天野 そう「臣民」は公然たる差別、「国民」は隠然たる差別。そういう違いはあるだけ、身分制による差別は同じ。あなたが、さっき、読んできたといった『皇室報道と「敬語」』、新聞社の中でも、「朝日」「毎日」などで「敬語」報道を少なくし、なくす努力をしてきた記者たちの努力のプロセスがレポートされている、中奥宏さんの本には、かつて「マコ」の母、民間から「神々の一族」入りした「キコ」の時から、逆に「さん」(戸籍消滅)から「さま」(皇統譜入り)へのマスコミ大騒ぎがレポートされていたでしょう。「『紀子さま・紀子妃殿下』になった」大騒ぎが。
 「マスコミが、なぜ、これほどまでに皇室を大報道するのかということの理由は、もちろん単に金儲けだけではない。『明治』代から、皇室・天皇家は唯一絶対のものと教育されてきた人たちが報道の原型をつくり上げ、それにのっとった報道が今日までつづけられているからである」(傍線引用者)。

─今でも、何も変わっていないのね、戦前から。

天野 そうです。そこがポイントです。「小室」バッシングから「キコ」非難の〈スキャンダル〉ぶくみという点にのみ着目して、何か大きな変化が皇室報道に生まれているような主張が、やたらと多いわけですが、「スキャンダル」でバッシングする心情と論理を支えるのも〈皇室・天皇家は唯一絶対〉でしょう。「マコ」ガンバッタすばらしい派、この間マスコミ多数派になりつつある心情の方も、「唯一絶対」の皇室制度そのものを正面から批判するのとは逆のものに支えられているでしょう。「あんなお嬢さんが出てきて時代に対応している皇室ステキ」てのが記事を支える基本トーンでしょう。

─待って、私のは、それとは違うのよ。天野さんの皇室制度への原則的批判は理解してます。確かに、本当におかしな身分差別制度だもん、彼女を尊敬するから「さま」を続けたいなんてトンチンカンとは次元が違うでしょ。皇族であろうがなかろうが、「さん」であたりまえです。赤ちゃんや子供の時から「さま」づけ、いい大人が、おかしいですよ。

天野 ハイ、そこまで、今回は。どうなってんの、あなたが聞き手でしょう(笑)

*初出:『市民の意見』188号 2021.12.1(市民の意見30の会・東京発行)

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