反靖国〜その過去・現在・未来〜(44)

土方美雄

最後のヤスクニ・レポート その4

靖国神社が戦後、自らの延命のためとはいえ、国家管理から離れ、一民間宗教法人へと移行したことで、皮肉にも、同神社の「本性」は丸ごと、占領軍の思惑とは、100%裏腹に、「信教の自由」の名の下に庇護され、そして、今日に至っているのである。

公的復権に向けた歩みと、その「挫折」

とはいえ、1950年の朝鮮戦争以降の、いわゆる「逆コース」の中で、靖国神社を本来の、あるべき姿(国家管理)に戻そうという動きが、主に日本遺族厚生連盟(現日本遺族会)を中心にした右派勢力によって、公然と押し進められるように、なっていった。

その第一の山場は、1969年から1974年にかけての、「靖国神社国家護持法案」の国会上程と、その挫折である。

日本遺族会の、度重なる要請に基づき、自民党が作成し、国会に提出した法案は、どう考えても、一宗教法人に過ぎぬ靖国神社を「特別扱い」するものであったため、当然のことながら、多くの宗教団体の猛反発を生むことになった。既存の仏教界やキリスト教各派はもとより、新宗教団体連合会から、日本最大の宗教団体といわれる創価学会までが、同法案に反対の意思表明を鮮明にし、集会やデモ、ハンガーストライキ等々、激しい抗議行動も、展開された。宗教界は、自民党にとっての「大票田」のひとつでもあったため、その反対を押し切って、同法案の採択を強行することは、政府与党=自民党にとって、極めて厳しい選択となった。

それに加えて、自民党が提出した同法案に対しては、そもそも、推進勢力の中に、根強い、不協和音があった。というのも、靖国神社という、歴とした宗教団体を、国営化しようとするのであるから、さすがの自民党も、「政教分離」「信教の自由」を掲げる憲法との整合性を図るため、靖国神社から、その宗教性を抜き、「特殊法人化」する必要があった。それでは、靖国神社の「三大根幹(伝統の神道祭式、神社のたたずまい、名称)」が守れないという不満は、その法案策定過程から、ずっとくすぶっていて、同法案推進に熱心な日本遺族会の賀屋会長が、「国賊」扱いされ、右翼に襲撃されるなどの事態も、水面下では、くり返されていたのである。

それでも、同法案は、1969年に国会に初上程され、毎年、提出と廃案をくり返した末、1974年、自民党単独で、衆院本会議において、強行採決されるが、参議院で廃案になり、以降、2度と国会に再提出されることは、なくなった。一体、何があったのか?

靖国神社の公的復権に向けての政策の、いわば大転換を担ったのは、1985年に、首相として、戦後初めて、靖国神社に「公式参拝」することになる、中曽根康弘である。彼は1972年3月。遺族会主体の「靖国法案成立促進大会」において、来賓として登壇すると、現在、国会上程中の靖国法案では、靖国神社が「名前は靖国神社でも、法律的性格は育英会とか図書館のような公益法人」になってしまい、それでは「日本の歴史と我々の子孫に対して、大きな間違いを犯す」ことになるのではないかと問題提起し、現在の靖国神社を丸ごと、国家護持するためには、憲法の「改正」が必要だとして、むしろ、その条件が整っていない今は、立法化を急ぐのではなく、靖国神社の国家護持をこぞって国民が支持するような情勢をつくり出していくことこそが必要であると発言し、法案の早期成立を後押しすべく開かれた大会での、その思いがけぬ発言に、場内はヤジと怒号が飛び交う事態になったという。

しかしながら、結局のところ、自民党は1975年以降、靖国法案の国会上程を断念し、日本遺族会を始め右派勢力もまた、その国家護持を最終目的としつつも、まずは首相・閣僚の同神社への「公式参拝」実現を目指していくという、運動方針の文字通りの大転換を、この「風見鶏」中曽根構想をなぞる形で、図っていくことになるのである。

1975年の8月15日、そうした右派勢力の外圧に押される形で、当時の三木首相は、靖国神社に「私人」として、参拝した。この時、三木が掲げた「私人」であることを示す三条件(参拝に際し、公用車を使用しない、記帳の際、肩書きを記さない、玉串料はポケットマネーで出す)は、しかしながら、その3年後の1978年、福田首相によって、玉串料のポケットマネー支出を除き、破られることになる。

1982年の8月15日には、鈴木首相が靖国神社に参拝、その際、首相はその参拝の公私の区別を、マスコミに答えること自体を、拒絶した。

こうして、首相(もちろん、多くの閣僚も)の8月15日の靖国参拝の、事実上の「公式参拝」化が進む中、1983年、中曽根首相は、靖国神社への参拝に際し、「内閣総理大臣たる中曽根康弘」が同神社に参拝したと、堂々と公言すると共に、靖国神社への公式参拝の「合憲」根拠づけを、与党自民党に指示した。

(以下、続く)

本稿は、土方美雄「戦争の出来る国・ニッポンと死せる自衛隊員の合祀、その時、果たして、天皇は靖国神社に参拝するのか」(『リプレーザ』第2期第8号, 2015年、発売元・社会評論社)の転載です。

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