反靖国〜その過去・現在・未来〜(39)

土方美雄

中曽根首相による「靖国公式参拝」への道 その11

ここからは、「靖国懇」報告書がまとめられて以降の、中曽根首相による靖国公式参拝強行に至る動きに、再び、戻る。現在、入手が極めて困難な、作品社刊『検証国家儀礼』の、戸村政博さんの担当個所「靖国問題の〈非宗教化〉と〈宗教化〉」からの、引用である。その間に、拙著『靖国神社 国家神道は甦るか』からの、二つのヤスクニ・レポートを、無理矢理、挟んでしまったため、記述的には、時系列が前後して、とてもわかりにくい文章になってしまったことは、反省している。所詮は、自分の文章を入れたいという、私の自己満足である。ゴメンナサイ。

ということで、以下は、戸村論文からの引用である。

こうして、「靖国懇」報告書は成った。政府は、(1985年)8月14日、首相の靖国参拝に先立って、「内閣総理大臣その他の靖国神社硬式参拝について」と題する官房長官談話を発表した。それは、従来の政府統一見解(1978年・80年)が、違憲の疑いを指摘したのは、この問題をめぐる社会通念の把握が不十分だったためとして、今回の公式参拝実施によって、政府統一見解が変更されていることを言明したものであった。「社会通念」は、今や新しい政府統一見解の機軸となるべき概念として浮上してきた。

すべての根回しは、用意された。83年7月の「合憲」検討指示以来の中曽根首相の執念は、いまや8月15日の公式参拝実施を待つばかりとなった。戦後の首相として初の「公式参拝」、一抹の不安は秘めながらも、中曽根首相は胸を張って「晴れ」の日を待った。

首相の自信を支えたのは、政府がひそかに実施した公式参拝問題アンケートであった。それは、賛成72パーセント、反対17パーセントで宗教儀式でも可とするもの45パーセントというものであつた。忘れ物は、アジアの世論調査であった。「靖国懇」が、それに触れなかったわけではない。しかし、政府関係者も国内問題として多寡をくくっていたふしがある。

1985年8月15日、午後1時42分、SPに守られながら、中曽根首相は官房長官、厚生大臣を伴って靖国神社に到着した。参列者の列から「バンザーイ、バンザーイ」の声と続いて拍手がわき起こった。「ハンターイ」の声とゼッケンは、たちまち警官に取り押さえられた。本殿での参拝の形式は、お祓いを受けず、「二礼二拍手一礼」を「一礼」に変更し、約10秒近く頭を下げた。そのあと、「内閣総理大臣 中曽根康弘」と記帳した。

「内閣総理大臣としての資格において参拝しました。もちろん、いわゆる公式参拝い゛あります。国民の大多数は公式参拝を支持していると確信しております」。首相は、記者団に囲まれた時、晴ればれとした表情でこう語った。

「ハンターイ」の声とゼッケンは、たちまち警官に取り押さえられたという、戸村さんの記述の、その取り押さえられたのは、おそらく、靖国問題研究会や反天皇制運動連絡会等が呼びかけた、実行委員会のメンバーである。しかし、そのK君をリーダーとする、取り押さえられたメンバーの中に、筆者(土方)は入っていなかった。筆者は、その現場の近くで、事態を見守る役割で、実行メンバーではなかったのである。あの時、K君らと共に、公式参拝絶対反対の声を、中曽根に対し、直接、届けるべきだったという思いと、後悔の念は、それから40年もたった今も、私の中にはある。

靖国問題研究会は、その年の闘いを、いわば最後に休会=事実上の解散の道を、辿ることになった。私は、その後、反天皇制運動連絡会に参加し、活動していくことになる。しかし、「一緒に決起することなくして、何のために、靖国問題研究会を結成し、活動してきたんだ」という、K君の声は、今も、私の耳に残っている。

また、実行委員会運動の中でも、その境内決起は、実行委員会の「平場」の中で、キチンと議論され、決定されたことではなかったので、疑問視する声もあったと、私の記憶違いでなければ、確か、そう記憶している。

私たちの実行委員会には、個人だけでなく、様々な大衆運動団体も、政治党派も、参加していた。それまで、党派主導の大衆運動では、「平場」ではなく、党派間のボス交で、重要な運動方針が決められることが多かったという反省点(それは事実、私も、かつて党派活動家の一人として、そうしたことを何度も、経験している)から、方針はすべて、「平場」で議論して決めるということが、徹底されていたのである。しかし、靖国神社の境内での決起は、その点ではどうだったのかという、指摘である。

大衆運動の原則という点でも、どうするべきであったか、その答えは、その後の実行委員会運動の中で、他の局面で、何度も、議論されていくことになった。

そうした、いわば、苦い思いを含んだ闘いでもあったということを、ここに、記しておきたいと、そう思う。

ということで、以下、続きます。

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