土方美雄
中曽根首相による「靖国公式参拝」への道 その10
(前号からの続きです)
(1984年)4月13日、藤尾政調会長はや奥野靖国問題小委員長らは中曽根首相に会い、自民党総務会での決定を伝えると共に、「8月15日までに政府としての結論を」と要請、首相は「党見解を法制局に検討させ、早く結論を出すようにさせる」と答えた、といわれている。
翌日のマスコミ報道によれば、元内閣法制局長官や学識経験者による首相の私的懇談会を近く設置し、そこで政府統一見解の見直し作業を行うという方針を、氏名不詳(?)の政府首脳が明らかにしたという。
同17日の参院内閣委員会で、中西総理府長官が内藤攻委員(共)の質問に答え、「まだ十分私自身の考えはまとまっていないのが現状」とことわりながら、「玉串料は儀式をやってもらうという役務への対価であって、公金で玉串料を納めること自体が靖国神社への援助になるというのは理解しがたい」と発言、大騒ぎとなった。
翌18日、藤波官房長官は記者会見で、中西発言について、「現在はまだ、従来の政府統一見解が生きている」と発言。同日開かれた衆院法務委員会でも、中西発言に対する質問が相次いだ。
まず、住法相が稲葉誠一委員(社)の質問に対し、「私は現在国務大臣として従来の政府統一見解に従って行動する」と答弁。さらに、「見解が変わることもあり、その時はそれに従うのか」という質問に「そうです」と答えている。
中村巌委員(公)の質問に対しては、公聴会で反対意見を述べた前田内閣法制局第一部長が「現在の靖国神社は宗教法人であり、国がその運営に参与すること、あるいは国費を支出するようなことについては20条、89条の規定から見て許されないものと考えている」「閣僚の参拝に際し、公費で玉串料を支出するとその参拝は私的参拝であるということはできなくなる」と実に明解に答弁。反面、住法相は「法制局がそういう以上、そうなんだろう」式の消極的な答弁に終始した。
19日の衆院内閣委員会では、藤波官房長官、当の中西総務長官、茂串俊内閣法制局長官がそれぞれ、答弁に立った。
藤波長官は角屋堅次郎委員(社) の質問に答えて、「政府としては今後どうなるかは別にして、今のところでは政府統一見解は変わっていないが、同時にいろいろな角度から勉強もしていくようにしたいと考えている」と答弁。
鈴切康雄委員(社)の質問に答えた茂串長官は、「公的資格における靖国参拝というものは20条3項との関係で問題があるという立場をとっているが、この問題があるという意味は、政府としては違憲とも合憲とも判断していないが、違憲ではないかとの疑いを否定できない……という意味だ」等々、前日の前田部長より数段トーンダウンした発言に終始した。ちなみに、中西長官は「個人的な見解でまだよくまとまっていませんが……といったはずだ」と、完全に開き直った。
しかし、これ以上の野党のこの問題での追究は、筆者が議事録に目を通した限りでは、行われず、一切はウヤムヤに終わった。
20日、九段会館で開かれた英霊にこたえる会の第10回総会では、挨拶に立った英霊にこたえる議員協議会の板垣正事務局長が、「これから8月にかけて強力に推進すべき決定的な運動は、頑迷な内閣法制局見解を是正することだ」とぶち上げたのをはじめ、奥野氏に至っては身内の集会で安心したのか、「大東亜戦争は数100年にわたる欧米のアジア侵略に脅かされた日本が、それに歯止めをかけるためあえて立ち上がった戦争で、日本は敗れたが、アジア諸国は次々に独立した。この成果に私どもは誇りをもって、日本人としての自覚を取り戻したい」と、180度転倒した席史観を披瀝する始末。
21日、中曽根首相が春季例大祭が行われている靖国神社に参拝。「内閣総理大臣たる中曽根康弘が靖国の英霊をお慰めし、感謝するために参拝した」と言明。23日には「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバー159名(内、85名が本人)が集団参拝。この中には閣僚が八名参加していたといわれるが、氏名は不明(秘書等の代理参拝の可能性もある)。
名
21日の首相の参拝に抗議せんと集まった人々約20に対し、おそらく「生長の家」系と思われる公式参拝推進派14、5名が真っ向から対峙して「公式参拝実現」を叫ぶというかつてない緊迫した事態も発生した。もちろん、警官は推進派に全面協力、首相の車から一番よく見える一等地に推進派を移動させる。
4月30日付の「東京新聞」によれば、私的懇談会は6月からスタートの方針で、その人選が藤波官房長官と茂串内閣法制局長官とによって進められているという。政府統一見解の見直し=公式(もしくは公的)参拝「合憲」化にむけて、政府・自民党・推進派一体になったラスト・スパートの幕は切って落とされたのである。
闘う側の早急な臨戦態勢づくりが、国一刻を争うものとして、今、求められている。
