土方美雄
中曽根首相による「靖国公式参拝」への道 その8
ここで、自民党「合憲」見解が出されるまでの経過をふり返ってみたい。83年7月の中曽根の「合憲」根拠づけ指示から、自民党政調会内閣部会内の靖国問題小委員会が動き始めるまでの経過は先(83年)のレポートで書いたため、ここではくり返さない。
同小委は「憲法学者や宗教関係者から広く意見を聞く」とのタテマエから、9月28日から6回にわたって、計13人の口述人から意見を聞くが、その内容は全く公開されていない。ただ、300頁にもおよぶ公開録を秘密裏に入手したという人の話や、各種の新聞報道などを総合すれば、その内容はおおむね次のようなものだったようだ。
9月28日第1回公聴会
・江藤淳(東工大教授)公式参拝に賛成
・田上穣治(一ツ橋大名誉教授):賛成
9月29日第2回公聴会
・井本台吉(英霊にこたえる会会長):賛成
・渋川謙一(神社本庁事務局長):賛成
・阿部美哉(放送教育開発センター教授):賛成
10月5日第3回公聴会
・真弓常忠(皇学館大教授):賛成
・竹花光範(駒澤大教授):賛成
・林修三(元内閣法制局長官):反対
10月12日第4回公聴会
・力久隆積(新宗連常務理事):反対
・豊田英世(全日仏総務局長):反対
10月13日第5回公聴会
・井門富士夫(筑波大教授):反対
・天野武一(元最高裁判事):ノーコメント
10月19日第6回公聴会
・前田正道(内閣法制局第一部長):反対
以上、賛成7名、反対5名、ノーコメント1名・・の色分けとなる。
この内、その発言内容がわかっているものに関して、ピックアップしてみる。
江藤淳(賛成)
神道指令は米占領軍が日本人を団結させる力を持っている神道の祭祀に鉄槌を加えようとしたもので、これが現憲法20条と89条に姿を変えて表されている。その後、占領終結が近づくにつれて、神道指令の趣旨が占領軍自体によって緩和されているにもかかわらず、法制局の見解はそうした流れにすら逆行するものだ。
井本台吉(賛成)
公式参拝は儀礼的行為で、宗教的活動ではなく習俗。
渋川謙一(賛成)
憲法の20条3項の禁止する宗教的活動と、同2項のいう宗教上の行為とは分けて考えるべきで、公共機関による参拝などの宗教上の行為は許されると解すべき。
阿部美哉(賛成)
儀礼は公共のための宗教で、信仰は個人の宗教。共同体的な儀礼は憲法が禁止するのではなく、公の存在を守るため必要。 阿部氏は、その根拠として、米の宗教学者ロバート・N・ベラーの提唱する「シビル・レリジョン」(市民宗教と訳されることが多い)に求め、「シビル・レリジョンは宗派的な教会宗教と区別され、国家の首長はその私的な宗教的見解にかかわらず、公的な資格にある限りはシビル・レリジョンのもとで働くことになっている。その記念物、儀礼式典の典型的な例としてはアーリントン国立墓地やメモリアル・ディ(戦没将兵記念日)などがあげられる。ベラーはシビル・レリジョンをアメリカン・シントイズム(アメリカの神道)と呼んでいる」と、述べている。
この阿部氏の主張に関しては、多くの宗教学者からベラーの主張を故意にネジ曲げているとの批判があがっている。これ以降、靖国推進派の中で、「靖国神社は日本のシビル・レリジョン」との主張が頻繁に使われるようになったことは確かである。戸村政博氏は「市民宗教は国家の宗教で、その神は共同体、教義は共同体のために死に至るまでの忠義、最大の魅力はそれが個人の宗教とは抵触しないということだろう」と、ある会合で指摘されていたが、すなわち、国家神道の古い理論をハクライの思想でメッキしてみせたというところに、阿部氏の主張のユニークさがあるともいえる。
林修三(反対)
公式参拝は習俗化しているということで、片づけられる問題ではない。靖国神社は明らかな宗教団体であり、憲法20条との関係から公式参拝には疑義がある。可能な方法は靖国神社の宗教性をなくすこと。
この主張に関しては、自民党靖国委員会の奥野誠亮委員長との間で、激しい応酬があったという。
奥野 憲法を改正しなくても、解釈でいい方法があるのではないか。ちょうど自衛隊を合憲としているのと同じように・・。
林 いや、解釈にも限界がある。今だって社会的にはもう、首相が靖国神社にお参りしていると思っている。なぜ、それでは足りないのか。
奥野 足りない。国家社会の代表者が代表者としてお参りできなくては、本当に国家の独立は維持できない。将来、事があったら、いったいどうなるのか。
以上が公聴会での、筆者が知り得た限りの一部始終である。
自民「合憲」見解には、その冒頭に「学識経験者の意見を徴し、次の結論を得た」と明記されている。しかし、見解には5人の口述人の反対意見はまったく反映されていない。10月26日に開かれた小委員会の世話人会で、奥野委員長は「法制局は300代言で、いつも同じことをいっている。他の反対者は国家護持を心配しているようだが、公式参拝とは別の問題だ」と豪語したといわれている。これが「各界から広く意見を聞く」の実体であり、政府見解の見直しを行うための官房長官の私的懇談会にしても、同様のことがくり返される公算が大だ。
以下、続く。