皇室情報の検証―〈象徴天皇教〉と憲法をめぐる問答㉑ 『読売新聞』の「女性〈系〉容認・推進」提案をめって

 天野恵一

--エーと。戦後憲法と八月革命説の説明を力を込めて始めた前回の続きを、天野さんは予定して来たんでしょうが、天皇夫妻は7月6日にモンゴルへ行ってるし、硫黄島に行って広島ヘも、さらに愛子を連れて沖縄へ、戦後80年の「慰霊巡行」もスタートしてますよね。この間のマスコミの皇室情報は、こうした問題であふれています。
さらには、今国会での統一案の成立を目指すとされていた、「安定的な皇位継承」の為の「与野党協議」は、結局、統一案をキチンとまとめられず、また流れてしまいましたね。ただ、ギリギリの5月15日に『読売新聞』が提言の大キャンペーン。この保守派メディアの女性天皇積極的容認論は、女性(女系)天皇賛成派が保守層の中にも広く増大している事実を、あらためて印象付けていますね。当然、右派(国体派)の強い反発も、改めて露出しています。
やはり、この動きの問題、女性(系)天皇制をめぐる問題にもどって、今回は論じてもらいたいと思います。繰り返しでウンザリという顔してますけど(笑)。

天野 そんなことありませんよ。『読売』の提言は状況の大きなシグナルだと思いますから。しかたない(笑)。いきましょう。
『読売』の提言の政治的性格については、断固たる「万世一系」(女系天皇否定)派・右派の機関紙と化している『正論』の「皇位継承の論理」特集(7月号)を読むとわかりやすいので、それを紹介しながらいきます。

--あの「読売新聞は0点」という八木秀次さんの論文名を背表紙に刷り込んだ、あの特集、読めっていうから、読んできましたよ。
でも、何か新しい主張があるわけではないでしょう。

天野 もちろん、主要論点はまったく同じ。正しく『読売』の政治的ねらいをよく読み抜いた上での反撃ではありますよ。読売社説は、女性宮家の創設については各党の意見が概(おおむ)ね一致と書いているが、「これは事実誤認」という八木の主張には根拠がある。皇族女性が結婚後も皇族として残りうるという制度(案)は、宮家にその女性がそのまま残るという事柄であるからです。今、皇族である娘たちに結婚後も皇族としての活動をしてもらいたいという希望から、彼女一代のみの制度としてプランされていることは、ほぼ間違いありませんよ。
「女性皇族の婚姻後の皇族身分保持」というその制度改革と、旧い宮家を念頭に置いた「皇族に属する男系男子の養子縁組を認める」という制度改革の提案を軸に論議されてきたわけですから。

--その念頭に置かれている旧い宮家についても説明が必要ですね。

天野 ハイ。敗戦で占領軍(主に米軍)に事実上、皇族の縮小が強制されたわけですね。この戦争を推進した制度にとんでもない予算が使われていたわけですから。
1947年、伏見・閑院・梨本、久邇(くに)、賀陽(かや)、東伏見、朝香、竹田、東久邇の各宮家の人々が、皇籍を離脱して民間人になったわけですね。ついでに、2021年の有識者会議には「久邇、賀陽、東久邇、竹田の4家系」には「20代以下の未婚の男系男子が少なくとも10名はおられると思われる」との資料が添えられていた。

--ナニ、それ。

天野 もちろん、この天皇の血が入った男と皇族の女性を結婚させれば、男系天皇の血の連続性を守った天皇制は維持できるという含みがあることは誰にでもわかるでしょう。結婚の「強制」?

--でも、そんなにスッキリしていないんでしょう?

天野 ここも、皇族になった男系男子に皇位継承権を与えよなどと誰も主張していない、から始まる八木の読売社説批判の言葉を引いておくね。

本人には皇位継承権は与えないとしている。その子の皇位継承権の有無については言及がなく、その後の論議次第では継承権を得ることも期待されるが、それはあくまで、読売のいう「国民の理解」がないとできないこと。与野党の協議でも自民党はこの世代には皇位継承権を付与すべきと主張しているが、他党に明確な主張はない。

自民党も八木も、次のステップで「皇位継承権」付与を実現したいんだろうね。だからくっついてほしいとは思っているわけね。強く。

--やっぱりグロテスクね。

天野 ハイ(笑)。でも、私たちが問題にすべきなのは、竹田恒泰の「君は日本を誇れるか―読売新聞は提言を撤回せよ」というタイトルの読売社説批判。「この主張は、将来的に皇室を廃絶することを目指す日本共産党の主張と、完全に一致している。読売新聞は『皇統の安定』『皇統の存在を最優先に』などと、耳心地のよい文言が散りばめられているが、質が悪い。皇室の廃絶を目指すのであれば、堂々とそう書けばよいのである。その点、しんぶん赤旗の方が論理明解で矛盾が無い」という方だと思う。あの共産党の、女性(系)天皇容認を通した象徴天皇制容認論への論理的な矛盾だらけの転換を「将来的皇室の廃止論」とのみ強弁し、『読売』がそれと同じだと断罪している。
私たちも『読売新聞』の女性(女系)天皇大歓迎論の主張が基本的に共産党の主張と同一であることには、やはり注目していかなければならないと思う。

--護憲論の立場から皇室典範を改正せよという線で一致してますね。このラインが全く象徴的に国民的多数派。こうした『朝日新聞』路線に『読売』も合流したわけですね。

天野 ハイ、私も、この『読売』の主張を手にして、かつての靖国神社をめぐる問題での『読売』の主張を思い出しましたね。

--エッ、それって何。

天野 正確な記憶でなくなっていたので、少し調べなおしました。
2013年12月26日、安倍首相が突然に靖国神社を参拝。アジアからのみならずアメリカからも強く反発される状況になった時、『朝日』『毎日』『日経』などは強い批判、『産経』のみが強烈に安倍の「快挙」とたたえる状況下で、『読売』は2013年12月27日の「社説」で、腰の引けた批判をし、「国立追悼施設を検討すべきだ」というのが結論。『産経』同様の「靖国派」と思われていた『読売』の、この点での『朝日』などを追いかけたとも思える、反靖国派宣言ともいえる発言は人々を驚かせました。今回も、あの時よりはハデですが、かなり同じような事態だといえますね。

--フーン、そういうことがあったのね。これは、どういう状況の政治的シグナルだと天野さんは思うの。

天野 ウン、女性(女系)天皇論をめぐっては、4つの立場があったし、あると思うんですね。
①は、男の血の「万世一系」が天皇制。女系天皇に民間の男の血が入ったら、それは「国体=天皇制」の死を意味するという神がかり右翼の立場。②は、女性天皇が生まれ、そこに民間の男の血が入って女系天皇になってしまうのは、これだけ男の皇位継承者が少なくなっている状況を突破するためには、良いとは思えないがやむを得ない。③「女系」につらなる「女性天皇制」を作り出す方が象徴天皇制の国民的人気を作り出すためにはよい。むしろ、女性差別をなくす女性天皇制というイメージ操作が可能。積極的にそれを考えるべきではないのか。
この三つの立場のうち、『読売新聞』は①ないしは②の立場だろうと皆は思っていたが、いっぺんに③の立場を宣言したというところじゃないかな。
4つ目の立場は、家と血の差別原理である世襲天皇制が本当に問題にすべき大問題。差別を問題にするなら憲法2条の世襲規定そのものを批判的に問うべきであり、女性(女系)天皇制になれば「民主化」が前進するなんてことはありえない。もちろん、これは私たちの立場ですね。

--整理はよくわかったけど『読売』の主張が何故、今ごろ出てきたのかしら。

天野 リアルに判断すれば、イデオロギーのタテマエはどうであれ、象徴天皇制の安定的持続という立場で考えれば、「万世一系」という〈男の血〉神話のイデオロギーを根拠づけることにこだわる右翼の心情と論理が象徴天皇制の「安定的継承」の最大の障害になってきているという自己矛盾に権力者たちが気づき、イライラしだしたという状況の反映ではないのだろうか。共産党までうまく抱き込んだのだから、この線で一気に突っ走るべきだ、というリアル・ポリティクスの判断。

--愛子天皇もあり、ですか?

天野 イヤ、そのつくられた人気にはあやかりたいだろうけど、八木論文が「現在の皇室の男系継承の流れに位置づけられる悠仁親王殿下までの皇位継承の流れを『ゆるがせにしてはならない』との認識もない。女性天皇の即位を排除しないというのは、直接の言及がなくても、悠仁親王殿下を差し置いて愛子内親王殿下の即位を構想しているように見える。これは既に決まっている悠仁親王殿下の皇位を簒奪することを意味する」と叫んでいましたね。

--断じて許すまじ、という主張ですね。

天野 なんか、事をそこまで荒立てることは、とりあえずはないと思うけどね。

--でも、マスコミじかけの愛子人気の高まりと秋篠宮家(特に悠仁)バッシングは執拗に続いていますよ。

天野 ウン、そうだね。でも、どういうコロガリ方で落ち着くのか、予想は、意味ないね。
自覚的少数派として原則的天皇制批判を、とにかく持続するしかないね。

--まだ、少しはスペースがあるようだから、「八月革命説と憲法」のテーマで話そうとしてきた問題の入り口だけ、話しといて。

天野 ウーン、まいったな。前回で、八月革命説が作り出されたきっかけは、主役とされる宮沢俊義の方ではなくて、師匠の美濃部達吉ではないかというような話をしたと思うけど、「八月革命」というネーミングをしたのは、この二人ではない別人であるということは、記録されていますね。

--いったい誰だったんだっけ?

天野 当時の若き政治学者、丸山真男。

--ヘエー。

天野 「政治的には、それは革命というべきだ」とアドバイスしたらしいんだね。ここには、この戦後民主主義のチャンピオンでありオピニオンリーダーであったこの人のネックが集中的に示されているようにおもうんですよ。

--どうして。

天野 まったく民衆の動き(参加)のない〈市民革命〉って何なんでしょう。この時代、湧き起こってきた民衆運動の政治的リーダーは共産党でしょ。この時代の彼等のスローガンは「憲法よりメシだ」だった。メシが食えない状況であることの大変さは理解できるけど、国民主権憲法は、占領軍のプレゼントであって、日本の民衆が自分たちの権利として相互に理解しあうプロセス、自分たちで作り出すための積極的討論も運動も不在だった。
この事が決定的だと思う。
この恐るべきマイナスの歴史的事実に、「八月革命」という言葉がベールをかけてしまった。そして、占領軍の上からのプレゼントにすぎなかった事実を問題にするのは、戦後の平和・人権憲法を「占領憲法」、「ナンセンス」と非難するだけの右翼と改憲派という構図が生まれてしまい、民主・平和憲法の大切さを考える人々が、その事の重大さを考える回路を失ってしまった。
護憲派は、占領軍の方だって、日本の民主主義の歴史をそれなりに考慮し、憲法づくりの時に参考にした、というような事実をあげつらい、もちろん、これは事実そうだったんだけど、〈無条件降伏〉の占領下、米占領軍(マッカーサー)の指示とプランで、それが上から外から作られただけだったという、最も大きな歴史的事実を無視しようとする文化を創り出してしまった。

--私も、まったく「押しつけ」だったわけではないという弁明を改憲派の主張には対置すればいいと思っていたわ。それに、戦争のすさまじい被害から脱出できたばかりの時代だったから、人々はこの平和憲法を大きく支持したのでしょう。

天野 もちろん。でもそれは時代の気分。自分たち自身の問題として、九条の絶対平和主義も主権在民のデモクラシーも、個々人の人権尊重の原則も十分に考えて、そうしたわけではなかった。そういう憲法運動は、まったく不在だったわけだから。
〈天皇陛下万歳〉文化で、侵略戦争や植民地支配に突入していった事実とも、十分反省的に向き合うことなどなかった。

--なるほど。そこで、天皇制が占領政策によって残されたという事実が結び付けられるわけね。

天野 ハイ。憲法を「押しつけた」占領軍は、占領にあたっては、〈天皇陛下万歳文化〉という日本人の負の体質だけは、都合よく占領に利用するために残っていた方がよかった。天皇よりマッカーサーの方が上であることを、いろいろと政治演出する(天皇ヒロヒトがわざわざマッカーサーに会いにいって、そのシーンを大々的にマスコミに報道させる)方法で、占領をスムーズに(抵抗なく)展開することが目指された。
だから、ヒロヒト天皇は「退位」することも許されず、東京裁判には証人としてすら呼ばれず、そのまま使われたわけですね。日本の少なからぬ人々は、昨日の殺し合いの相手のボス・マッカーサーへの〈万歳〉に反省なしで本当に突入し、占領は思いのほかスムーズだった。

--マッカーサー宛のラブレターなんかも大量に残されているようですね。

天野 ハイ、この点は、後で具体的にふりかえるつもりですが、占領史研究者の仕事なんかが、かなり緻密に明らかにしていますね。

--わかって、きました。天野さんとしては、象徴天皇制自体が、占領軍によって力で押しつけられたことの方も強調したいわけね。

天野 もちろんです。敗戦君主国で、敗戦後に君主が残った国なんて、日本以外にはないんですよ。
当時のアジアの被侵略国はもちろん、国際世論(アメリカ人の声も含めて)は、あの戦争の元凶・天皇制を残すなんてことは、想定外だったはずです。
アメリカが、占領をうまくやる道具として活用するために残したんですよ。ヒロヒトも占領の道具になり切って、本当にスイスイと、なんの責任も取らずに延命してしまった。
ここまで政治的なハレンチドラマは、やはり、歴史上、まれではないですか。

--はい、“お怒り”はごもっともですが、締めていただけますか(笑)。

天野 〈絶対平和〉〈民主〉〈人権〉原理と、象徴天皇制原理という敵対矛盾を内包する憲法自体が、こうして占領軍(米)によって「押しつけ」られたわけです。
次回以降、こうした政治的プロセスについて、具体的な文献を紹介しながら、ゆっくり説明していきたいと思います。

*初出:『市民の意見』市民の意見30の会・東京発行、no.210, 2025.08.01

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