タイにおける米学者の不敬罪による逮捕・起訴と学問の自由をめぐって

2025年4月8日のCNNの日本語版オンラインページに掲載された記事「タイで活動する著名米国人学者、不敬罪で起訴 禁錮刑の可能性」(https://www.cnn.co.jp/world/35231523.html)よれば、「 タイで活動する著名な米国人学者が8日、王室を侮辱した罪で起訴されたことがわかった。禁錮刑を科される可能性がある。外国人が同国の厳格な不敬罪への抵触を問われるのは異例。/タイ中部のナレスアン大学で講師を務め、同国の軍事および政治に関する分析記事を執筆しているポール・チェンバース氏は同日、裁判所に出廷し、正式に起訴された。/(中略)/チェンバース氏の弁護士によると、地方軍司令部が訴え出たことで、逮捕状が先週発行された。不敬罪に加え、コンピュータ犯罪法に基づく訴追も受けているという。/チェンバース氏は、シンガポールの政府系研究機関「ISEASユソフ・イシャク研究所」のウェブサイトに軍再編を知らせる内容を掲載したとして告発された。本人はすべての容疑を否認している。/(略)」

ポール・チェンバース氏については、タイランドニュースは、「ピッサヌロークのナレースワン大学で国際関係の特別顧問および講師を務める学者で、1993年からタイに在住。アジアの民軍関係と民主主義を研究し、世界的にもその見識が評価されています。著書に『Khaki Capital』や『Praetorian Kingdom』などがあり、特にタイの軍事体制に関する論考で知られています」(「米大使館「深く懸念」タイ不敬罪で起訴の米学者は保釈認められず」2025年4月9日配信:https://www.thaich.net/news/20250409hx.htm)と紹介している。

以下に掲載するのは、タイのおける不敬罪(刑法112条)の監視、不敬罪による弾圧者の支援などに取り組む、タイの学者や弁護士が運営するサイト「112WATCH」に掲載された、タイ人学者・カノクラット・ラートチョーサクル(Kanokrat Lertchoosakul)氏に対するインタビュー「ポール・チェンバース事件と不敬罪法をめぐり学問の自由を語る」です。
(編集部)

【112WATCHビッグ・インタビュー】
カノクラット・ラートチョーサクル、ポール・チェンバース事件と不敬罪法をめぐり学問の自由を語る

https://112watch.org/kanokrat-lertchoosakul-on-academic-freedom/
2025年7月4日

(翻訳・要約:編集部)

112WATCHはタイ人学者カノクラット・ラートチョーサクル(Kanokrat Lertchoosakul)にインタビュー、ポール・チェンバーズ(Paul Chambers)事件とタイの不敬罪法をめぐる学問の自由の現状について語ってもらった。

 

112WATCH:タイにおける学問の自由の現状、特に政治的にセンシティブな問題に関して、 どのように評価するか?

カノクラット:30年近くアカデミズムに身を置いてきたが、この10年間は、学問の自由に対する制約がこれまでで最も厳しい時期だと言える。特に、”君主制”、”軍隊”、”人民政治”といったテーマの研究や議論に関してだ。私が若い研究者だった1980年代後半から1990年代にかけて、タイは比較的民主的な指標が高く、学問の環境は自由に満ちていたことを覚えている。選挙で選ばれた政府、軍、政治制度、草の根運動への批判を含め、幅広く政治制度について議論し、研究する場があった。それは君主制にさえも及んでいた。ただし、君主やその後継者に直接言及することは、不敬罪法により禁じられていたが。この時期にタイ社会は、研究、論文、書籍、記事、その他の著作物など、社会の知的成長を促す豊富な学術成果の恩恵を受けた。

しかし今日、私たちはその逆を目の当たりにしている。このような自由を守ろうと主張する学者の中には、非難や多大な障害に直面している者もおり、タイ社会のほとんどの学者が、このようなテーマに関する研究を行ったり発表したりする際に、沈黙するか自らを検閲する道を選んでいるほどである。これらの問題に関する学術的な研究を行うことは、不可能ではないにせよ、極めて困難になっている。ましてや、議論のための公開フォーラムを開催する可能性は、今や障害や問題だらけである。

112ウォッチ:第112条はタイの学界における学術研究、教育、言論にどのような影響を与えているか? 近年、特に若い学者や学生に関して、112条の及ぼす影響力は変化したと思うか?

カノクラット:刑法第112条に基づき起訴された事例や、112条に基づく不法行為の定義を、法律に明記されていない皇族や、より古い歴史的時代、さらには間接的な言論(裁判所は王制に言及していると解釈する可能性がある)にまで拡大した裁判の判決から、これらの要因はすべて冷ややかな影響を及ぼしている。

ほとんどの学者は、批判に直接、間接に関わることは厳しい結果を招くことを学んだ。このことが、今日のタイにおける学問の不自由な雰囲気を作り出している。それ以上に、学問の自由を束縛するメカニズムは、今や112条そのものをはるかに超えている。刑法が出発点ではあったが、それに関連する文化や価値観は、研究、高等教育機関、学術ネットワークの構造に浸透している。これには、高等教育・科学・研究・イノベーション省、大学評議会、業績評価システム、研究費配分、ヒト研究倫理承認の手続きとプロセス、出版プロセス、学位論文の審査と評価などが含まれる。

一方では、研究しない、フォーラムを開催しない、王制に関連しそうな内容を教えないという選択をする学者も見られる。もしそれらのことをしようとするなら、細心の注意を払わなければならない。一方では、指導教官がこれらのテーマを支持しないため、若手研究者はこれらのテーマを避けざるを得なくなっている。指導教官は、こうした学問分野を研究したいと主張する学生を指導する場合には、その結果について、強い警告を発しなければならないのだ。

私は、このようなテーマを研究しようとしていた何人かの修士課程の学生たちと悲しい経験をした。私が指導教官や審査委員を務めた多くの学生たちの論文は、その多くが非常に優秀であったにもかかわらず、審査委員会が学位論文を広めることを許可しないと決議したため、出版することができなかったのである。図書館に行っても、これらの論文のタイトルは見つけられない。論文自体はそこに保管されているにもかかわらず、である。例えば、”高校の歴史教育における王室ナショナリズム”とか、”中学校の公民科教育における権威主義的文化”とか。さらに昨年は、112条事件の政治難民について研究したいという学生がいた。彼は親戚や友人に政治難民がいるため、豊富な一次情報を持っており、関連するデータや資料にアクセスできることを十分意識していた。しかし指導教官として、私はその学生に次のことを伝えなければならなかた。第一に、論文審査委員会を見つけるのは容易ではないかもしれないこと、第二に、最終的に論文が無期限公開禁止になる可能性があること、つまり、精魂を傾けたにもかかわらず、公に発表できる論文がないという残念な結果になるかもしれないこと、第三に、論文を書くにあたっては、言葉遣いに細心の注意を払い、委員会メンバーや彼自身の安全のために、法律の専門家に審査してもらわなければならないことである。

112WATCH:ポール・チェンバーズの最近の論争は、政治評論に携わる学者が直面する広範な圧力をどのように反映しているか?

カノクラット:ポール・チェンバーズ教授の事件は、タイにおける学問の自由の危機と刑法第112条の威力を示す最も明確な例だ。まず、この事件は112条の施行に重大な欠陥と歪みがあることを浮き彫りにした。研究者は、最終的には無実であるにもかかわらず、起訴されただけで人生のすべてを失う可能性があるのだ。これには、職業上のキャリア、家庭生活、自分の選んだ場所で暮らす自由も含まれる。

第二に、112条が恐怖心を煽る効果を持っていることは、ポール・チェンバーズの所属する大学が、彼を最初から保護することなく、法的手続きが進行中の段階で、無実と推定されるにもかかわらず彼を処罰し、後に彼に課された過度な処罰を是正することも修正することもなかったことで証明された。

第三に、政治学会やほとんどの学術ネットワークを含む専門家団体は、本件をほとんど無視し、行動を起こしたのは一部の学者グループと一部の市民社会組織(彼ら自身の交渉力は限られていた)のみであった。

第四に、この事件は、第112条の施行が研究者に対して、広範な恐怖を植え付ける上で非常に効果的であったことを示すものであろう。

112WATCH:学者が法的・政治的報復を恐れることなく、論争の的になるようなトピックに取り組めるようにするためには、どのような制度的・社会的変革が必要だと考えるか?

カノクラット:主な提案が2つある。ひとつめは、112条を完全に廃止することだ。たとえ改正したとしても、この法律を悪用して罪のない人々の権利を侵害する抜け穴をふさぐことは極めて困難だからだ。ふたつめは、タイの教育・研究機関の方向性を変え、権利と自由を重視するようにすることだ。これは、タイの学術研究を改革し、タイ社会において問題のある構造や制度を変革するのに役立つ、質の高い研究や新たなイノベーションを生み出すことができるようにするための最も重要な方策である。

カノクラット・ラートチョーサクン(タイ・チュラロンコーン大学政治学部行政学科准教授)

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