オリンピック開会宣言と8・15の「お言葉」

天野恵一

東京オリンピックはついに開催されてしまい、多くの人々が不安の中で予測した通り、〈殺人五輪〉という実態が露出した(全国でコロナ感染は爆発的に拡大し、医療崩壊は現実のものとなり、入院できずに自宅に放り出された患者の中から、何人もの死者が続出するという)事態が全面化しているという状況下で、この文章を書き出している。

新天皇は、憲法上禁止されている、元首としての開会宣言を、celebratingを「祝う」を「記念する」と変更するという前例のない姑息な行為を伴いつつ、実行した。人々の動きと交流をできるだけストップさせることが必要な状況下での、政府とマスコミあげてのお祭り騒ぎの扇動である。天皇がこの歴史的にハレンチな愚行の名誉会長としての任務を果たしたことを、私たちは忘れてはなるまい。皇后雅子を欠席させるなどというかたちで、人々の「心配」や怒りによりそってみせるようなポーズの演出(それは「祝う」の言葉の変更と同じ)に私たちは騙されるわけにはいくまい。

〈殺人五輪〉の名誉会長(「国家元首」)としての政治的任務を、平然と天皇は実行してみせたのである。こういうスタイルで、コロナ感染拡大を必然可する菅義偉政権のオリンピック強行への大きな反発の声をやわらげ、「開催」肯定へ向き直させる政治的役割を十分に果たしたのである。

私たちが例年通り、「国家による『慰霊・追悼』を許すな! 8・15反『靖国』行動」として、抗議のデモンストレーションをつくりだした、8月15日の天皇・皇后出席の「全国戦没者追悼式」。そこでの「お言葉」のそれにも、昨年同様、コロナ感染拡大への心配の言葉を、織り込んで見せている。

私たちは今、新型コロナウイルス感染症の厳しい感染状況による新たな試練に直面していますが、私たちみながなお一層心を一つにして、力を合わせてこの困難を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。


こんな具合に。

マスコミは、こぞって、この天皇(夫妻)のコロナ「心配」政治的パフォーマンスの言葉を大々的にクローズアップしてみせている。

『女性自身』(8/31号)の記事のタイトルは、こうだ。「陛下『コロナを憂う』異例400文字 戦没者追悼式で、『慰霊と関係ない』批判覚悟のお言葉変更」。

この記事のラストには以下のごとき宮内庁関係者の言葉が紹介されている

〝国民をコロナ禍の苦しみから救済したい〟〝手を携えて危機を乗り越えてほしい〟というお気持ちが勝られたのでしょう。/批判や波紋も覚悟されてのご決断と思われます。/コロナに関するお言葉だけを増やすことはできません。限られた条件のなかで、ご自身たちの思いを国民に伝えるために苦慮されたご様子が見受けられます……
 

記事のシメの言葉は以下の通り。

両陛下が魂を込められた400文字が、より多くの人々に届くことを説に祈りたい……。

何を調子のいいことを語っているのか。

天皇がオリンピック「名誉総裁」として感染拡大(殺人)オリンピックの扇動役を政治的に演じながら、これの強行に、怒りと不安を強く感じている人々の「心配」によりそっているようなポーズを示す、オコトバ。これが政治的欺瞞(偽善)意外のなんだというのか。

〈「陛下」は、政府の要請を拒否できない立場にあるんだからしかたがあるまい〉。
こう同情してみせる声が、私たちの身のまわりにもある。

しかし、こうした同情論は、大マチガイである。

オリンピック憲章が「元首」の任務と規定しているポストに、天皇が座り、宣言を発する行為は、明白に憲法が禁止している行為である(第4条)。政府や都が要請してきても、拒否してみせればよい(いや拒否すべき事なのだ)。
 

私たちが、いま確認しておくべきことは、天皇は、憲法を越えた存在として、〈殺人五輪〉実施の責任者の一人となったという歴史的事実である。

*初出:「マスコミの中の天皇(制)論議⑨」『ピープルズ・プラン研究所 News Letter』no.74 2021.8

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