戦前の亡霊を復活させるな

清水早子(沖縄・ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会)

沖縄戦の再来
1944〜5 年、太平洋戦争・沖縄戦の最中、当時、人口 5 万人の宮古島に旧日本軍は 3万人も駐屯していました。それは、大本営が宮古島での地上戦を想定していたからだと言われています。米英軍の空爆、艦砲射撃で宮古島は焼け野が原になり、多くの民間人の犠牲がありましたが、それ以上の多くの犠牲が、食料も医薬品もなくなり、飢餓によってもたらされたと聞いています。骨と皮になり、毎日兵士も次々と死んで行ったという記述もあります。「犬猫鳥みな食い尽くし 熱帯魚に 極限の命つなぎたる島」という短歌を元兵士が詠んでいます

進行する軍事化
1972 年の沖縄の「本土復帰」以降、米軍から引き継がれた航空自衛隊の通信基地はありましたが、2019 年陸上自衛隊の新基地開設、2020 年ミサイル部隊の配備まで軍備はありませんでした。2024 年現在、2000 名近い自衛隊員とその家族が駐屯しています。2024 年中に電子戦部隊の追加配備も明らかにされています。

九州から台湾国境の与那国島まで、琉球弧の島々がミサイル軍事要塞の諸島として軍拡が進められています。そして、ハード面の軍拡だけではなく、住民の生活領域、文化伝統、人々の内面にまで入り込んでくる「戦争の空気」を醸成するというソフトな支配が広がっています。

宮古神社参拝
2024 年 1 月 9 日、陸上幕僚副長ら数十人が集団で靖国神社を参拝した翌日の 10 日、陸自宮古島駐屯地の警備隊長ら約 20 人が公用車などで宮古神社を参拝していたことが分かったのです。隊長らは休暇を取っていましたが、制服姿で陸自のマイクロバスなどを使っていました。政教分離の原則を謳った憲法に違反し、宗教の礼拝所を部隊で参拝することを禁じた防衛省事務次官通達にも反する疑いがあります。その違反行為は国是である文民統制シビリアンコントロールを逸脱する行為となります。私たちは宮古島駐屯地へ抗議しました。

「黒鷹の勇士」慰霊碑
2023 年 4 月、宮古島沖で陸自の多用途ヘリコプターUH60JA(通称ブラックホーク)が墜落し、乗っていた第 8 師団幹部や宮古島駐屯地司令ら 10 名全員がなくなった事故から 1 年の 24 年 4 月 6 日、ブラックホークにちなんで「黒鷹の勇士」と刻銘された慰霊碑が、あろうことか、基地内に幽閉されるように取り込まれた住民の祈りの場「ウタキ(御嶽)」のそばに置かれました。事故の犠牲者を「勇士」などと表現することは、戦争の犠牲者を「英霊」と呼び、戦争を美化する行為と同様です。しかもそんな慰霊碑を、死を忌避する「ウタキ」のそばに置くなんて、沖縄の精神文化を全く理解しない行為です。これも、駐屯地へ抗議の申入れをしました。

「大東亜戦争」「英霊の御霊」という表記
陸自第 32 普通科連隊(さいたま市)の公式 X で、「大東亜戦争」 「英霊のご冥福」と表現していたことが 24 年 4 月報道されました。戦後、政府は太平洋戦争を指す言葉としてこの呼称を公式文書では用いていません。

旧日本軍は「天皇の軍隊」として戦うことを国民に強要し、犠牲者を「英霊」として戦争を賛美する道具としました。その戦前の空気を「亡霊」のように復活させようという意思が感じられます。

成人祝いに旭日旗と菊の紋章
2024 年 1 月に宮古島市各地域で成人祝いがありました。その各地域の集合写真を集めて市の広報紙 2 月号の表紙になっていたのですが、見てびっくりしました。陸自と空自の基地のある地域の集合写真には、成人した若者たちの背後に、大きな旧海軍の「旭日旗」、しかも「天皇家の菊の紋章」まで入っています。 「非核平和宣言都市」を目指す宮古島市の広報紙の表紙に、これも「戦前の亡霊」です。私たちは、宮古島市に抗議しました。

沖縄の伝統文化へ「侵入」する自衛隊
2024 年 6 月、沖縄各地で「海神祭」ハーリーが行われました。航海の安全と大漁を祈願する伝統行事です。ハーリー船競漕がメインイベントです。石垣島では、ハーリー競漕への自衛隊員の出場は「公務」であり、「漕舟訓練」「洋上訓練」であると自衛隊側が明言しているとの新聞報道がありました。宮古島の私の住居のある地区でも、地域に分散して住まいする自衛隊員がハーリー競漕に出るかもしれないという話が聞こえましたので、私たちは声明を会見して出しました。以下はその声明の結びの部分です。

「宮古島でも、基地機能の強化や軍備拡大の進む現在、このように、自衛隊がかつての日本軍に回帰・一体化するような風潮、戦前の総動員体制を想像させるような空気を、住民生活の中に持ち込ませることに私たちは反対します」

同じ頃、那覇市の第 15 旅団のホームページに旧日本軍第 32 軍司令官、沖縄戦における「南部撤退」を決定し、多くの沖縄県民を結果死に追いやった牛島中将の辞世の句を載せるということがありました。しかも、その句は「秋待たで枯れ行く島の青草は皇国の春に甦らなむ」と「天皇制の国が復活し、甦ってほしい」と皇国史観を滲ませています。

武器兵器の軍拡と共に、 「亡霊」のように私たちの暮らしの中に「侵入」してくる次の戦争前夜の空気、それを許さない声を上げ戦争を止める行動を起こしていかねばなりません。

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