土方美雄
初めてのヤスクニ・レポート その2
前号よりの、続きです。
これまでも首相らの靖国参拝に対しては、一部の宗教者による抗議行動が行われてきたが、広範な労働者・市民が直接、抗議行動へ立ち上がったということはなかった。ところが今回(1982年)の8・15は日曜日ということもあって、礼拝と重なるため、キリスト者側の動員が極めて困難であるといわれていた。
そこで私の属する靖国問題研究会では「『戦没者追悼の日』と靖国公式参拝を認めない8・15市民行動」を広範な市民団体に対し、1日共闘方式で呼びかけることにした。しかし実際のところ、正直いってどれだけ集まるのか、雲をつかむような話でもあった。
抗議行動への肩すかし
その抗議行動の模様を中心に、当日の靖国神社周辺において何が起こったか--それをしばらく再現してみたい。
「『戦没者追悼の日』と靖国公式参拝を認めない8・15市民集会」は同日午前10時半から、水道橋の労音会館会場で開かれた。呼びかけ団体である靖国問題研究会をはじめ、南部朝鮮史研究会、朝鮮問題を考える日本人の会、沖縄研究会、琉僑舎、アイヌ解放研究会、ルポルタージュ研究会、大田区職労青年部の8団体と個人、計25名が結集。12時に集会を終了、散会したが、参加者の多くは個人の意思で靖国神社周辺へと再び集まった。
前後するが、午前9時過ぎ、靖国神社境内では「英霊にこたえる会」の主催で、第7回目の「全国戦没者慰霊大祭」が行われた。出席者の中には、1000余名の一般会員にまじって、徳永参議院議長、原環境庁長官、田中竜男自民党総務会長、三原衆議院、板垣参議院議員をはじめとする自民党の国会議員多数、それに新自由クラブの田島衆議院議員らの顔が見られる。また自衛隊からは矢田統合幕僚会議議長以下、陸海空三幕僚長が出席している。
井本台吉同会会長は「本年4月13日、政府は我らの要望にこたえ8月15日を戦没者追悼平和祈念の日と決定、ご英霊に感謝と追悼の誠を捧げる諸行事を行うことになった。現在、我が国に対する国際社会の期待は日増しにたかまり、国民は比類のないほどの自由と平和の恩恵を享受しているが、これも諸英霊が命をかけて祖国を護られたからだ」と挨拶した。
10時、神楽殿前では宝井馬琴の提唱で毎年開かれている「日本の声 英霊にありがとうの集い」が始まる。白鳩会の協賛による白鳩約300羽が、子供たちの「ありがとう、英霊」のかけ声と共に、一斉に空に放たれる。右翼の装甲車も続々、結集し始める。10時50分ごろ、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の面々が集団で参拝。その数は中川科技庁長官、安倍通産相、桜井外相の3閣僚を含む総勢120余名–と発表されたが、実際には秘書等の代理参拝がかなり多かったようだ。
集団参拝の後、同会の竹下登会長、橋本竜太郎幹事長、村上正邦事務局長と、「英霊にこたえる議員協議会」の長谷川峻会長とが共同記者会見を行う。
「私は衆議院議員、公人であり、記帳は衆議院議員とした。しかし、公私をあげつらうことなく、素直な気持ちで英霊に対して感謝の意を捧げることがこの会の趣旨である。こちらに参加されなかった議員の方々もそれぞれ地元の護国神社にお参りされていることと思う」とは竹下会長の弁。
11時50分、すぐ近くの日本武道館において政府主催の「全国戦没者追悼式」が開かれる。今回は天皇が風邪のため欠席。皇太子夫妻がその代理として出席、さまざまな論議を呼ぶこととなった。出席者数は7353名で、その内、遺族は6368名。会場にいた人の話では、皇太子は終始、キョロキョロとしておちつかず、おおよそ「威厳」とは縁遠い存在であったという。式典の模様は靖国神社境内にも特設のスピーカーで流され、まさに「一体感」を狙う。式典は12時50分に終わり、会場から参列者の群れが境内にむかって流れ始める。
このころまでには8・15市民集会の参加者も大半、大鳥居周辺に集まってきている。道路を隔てて反対側の歩道には、礼拝を終えて駆けつけてきたキリスト者の顔も見える。時計は1時を回るが、やってくるはずの首相の車は影もかたちもない。
青い乱闘服に身を固めた機動隊の姿は今回はまったくなく、少数の制服警官が要所要所に、立っているのみ。何か、変だ……とは思ったが、その時はすでにあとの祭りだったわけだ。公私の区別をいわないという首相に、たとえ一声でも、抗議の意思表示を行おうと集まった志を同じくする人々は、大鳥居前から他の進入路へと散り始める。しかし同時刻、鈴木首相はじめ、箕輪郵政相、小川文相、初村労相、世耕自治相、伊藤防衛庁長官の五閣僚はすでに到着殿から集団参拝を強行していたのだ。
そのことが誰からともなく伝わり、人々が大鳥居前へと戻り始めた時、それを追い抜くようにして首相、閣僚らの公用車が走り去っていった。人々はそれぞれ用意してきたゼッケンや、布や手ぬぐいにスローガンを書いたものなどをひろげ、声の限りに抗議の意思表示を行う。
靖問研の会員でもある沖縄出身のT氏は着物の両袖を脱ぎ、ジュバンに直接書きつけた「沖縄で住民を殺した奴も死ねば『英霊』なのか!琉球人は糾弾する!」とのスローガンを、走り去る車にむかって突きつけた。あたりが騒然とするなか、警官や参拝者が集まっている。参拝者のひとりが「俺も沖縄人だが……」と前置きして、T氏に食ってかかる。
T氏はそれに対し、久米島や南部戦線、北部の住民疎開地で行われた日本軍による住民虐殺の事実をあげて反論する。男は一瞬、言葉につまり、「それは許せないことだが……今さら殺された人が生きかえるわけではない」といたって歯切れが悪い。
そうしている内に、集まってきた人は歩道をはみ出すほどになり、警官の規制で大鳥居前へと移動させられる。「英霊を冒とくするな」「反対する奴はソ連か中国へ行け」「非国民」などと時折ヤジが飛ぶが、それも威勢が悪い。キリスト者の女性がヤジを飛ばした男と論争を始める。
「お国のために死んだ人を祀るのがなぜ悪い」という平均的参拝者の声を代表するかのような主張をする人物と先のT氏、それにカトリックの信者であるI氏との激しいやりとりが続く。論争はかつての戦争が日本の侵略戦争であったか否かに絞られるにつれ、遠巻きにしていた人々はひとり、またひとりと減り、ついにはその人物とI氏が歩きながらの論争となった。
私は3時から全電通会館で開催される「第9回靖国国営化阻止八・一五東京集会」で司会をやることになっていた関係上、その場を離れたが、あとで聞けばI氏はその人物と喫茶店に入り、延々と2時間も論争を続けたという。
ともあれ、一矢報いたとの感はあった。首相の車はひと握りの抗議者におびえ、武道館を出るといったん靖国通りを市ヶ谷方向へと走り去り、大きくう回して、北門から境内へと入ったのだという。まったく、とんだお笑い草ではないか。抗議行動への肩すかしをくらわそうとした権力のたくらみは逆に、大鳥居前での大論争をつくり出す結果となったのである。
以下、続きます。