佐野通夫(即位・大嘗祭違憲訴訟の会呼びかけ人)
2018年12月に提訴した私たちの裁判は数奇な経緯をたどりました。私たちが一体のものとして提起した差止と国家賠償請求を裁判所は勝手に分離し、差止については、東京地裁など大規模裁判所にのみ設置されている行政部の担当とし、そして、口頭弁論を開くこともなく、私たちの請求を却下しました。第2次訴訟についても、同様に差止と国賠を分離し、差止について、納税者基本権と人格権についてさらに分離するなどの違いはありましたが、納税者基本権に基づくと裁判所が判断した訴えについてはやはり口頭弁論を開くことなく却下とされました。
そして、国家賠償請求が地裁で今年1月31日に棄却されたことにより、今、私たちは控訴審に取り組むわけです。この裁判の流れを考えるだけでも、日本における天皇制の強さ、主権在民の弱さを感じてしまいます。本来、民主主義国家における裁判は、それが建前であるとしても、対等な当事者が弁論を闘わせ、それを聞いて主権者の代理人である裁判官がどちらの言い分が正しいか判断するというものであるはずです。しかし、現実には書面を提出させ、それを裁判官が読んで、上から判断を下す、裁判権も行政権も天皇に由来した大日本帝国憲法下の天皇制国家のように、行政訴訟は別個のものとし、庶民には行政に文句を言わせない。そんな姿が浮かんできます。
身分制を廃止したはずの日本国憲法に、1条から8条までの天皇制規定が残り、そしてそれを多くの人々が疑問に思わない社会になっています。30年前の「代替わり」の際には、何千という人々が「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟に取り組みました。私たち事務局の弱さもありますが、現在の控訴人の数は30年前の即大訴訟参加者と桁が1桁違います。皇位継承者が東大に推薦入学で入るかもしれないということには少し騒いでも、そもそもそんな子(成人したようですが)が「様」付けされて、ニュースで報道されること自体を不思議に思わない社会です。82億の人々が暮らす、200近い国があるこの地球の上で、10カ国ほどだけが王制を持っていて、世界の大多数の人は王制などなくて当たり前に暮らしているのに。多くの国では民衆の力で王制を廃止したのに。
私はもちろん、天皇制廃止論者ですが、1条から8条までを有する現日本国憲法下での闘いは、その憲法を守らせることだと思います。「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行」え!(第4条)。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束され」ろ!(第76条第3項)
日本の中では我々は少数に見えるけど、世界の中では我々(王様を認めない者)が多数です。正義は我にあり!
初出:『即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS』no.23, 2024/10/1
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控訴審第1審の傍聴へ!
⚫︎11月12日(火) 東京高等裁判所 101法廷 14:00〜
*控訴人・一審原告、支援者のみなさま、ぜひ傍聴においでください。
*30分前には裁判所前にお集まりください。法廷前行動を予定しています。
*当日は、控訴人および弁護団による意見陳述を予 定しています。
*法廷終了後、日比谷図書文化館(日比谷公園内)に 移動して、報告集会を持ちます。