談合、出来レース、三文芝居の天皇誕生日会見

中嶋啓明

徳仁の誕生日の2月23日、宮内記者会との間で事前に行われた会見の内容が公表された。例によってメディアは、大きなスペースと時間を割いて、このニュースを伝えた。

1面ヘソに写真付きで「天皇陛下61歳/「コロナ禍の先に明るい将来」」と大きく掲げた『読売新聞』は、特別面1面のほぼ全面を使って会見の要旨を掲載。第二社会面に「若い人々の苦境危惧/天皇陛下61歳/コロナ禍」と3段見出しでうたった『毎日新聞』は、会見全文に一つの特集面全面を割いた。『産経新聞』はもちろん、会見全文を載せている。

メディアが注目したのは、コロナ禍で動きを封じられた天皇、皇族が、活路を見出そうと縋り付いたオンラインによる活動に対する徳仁の評価だ。

いくつかの新聞は本記のほかに、オンライン活動に着目したサイド記事を載せた。

『朝日新聞』の「オンライン織り交ぜ公務」は、名古屋大准教授の河西秀哉にこう語らせている。

「コロナ収束後も、オンラインを織り交ぜ、より広い領域で交流するスタイルが『令和流』となっていくかもしれない。」

あるいは『毎日』は、徳仁が会見でオンライン活動に触れた個所を、特別に抜き出し、「オンラインに手応え」と見出しを取ってサイド記事を仕立てた。

メディアはこの間、地方訪問の代わりにネット上で行う被災者らとの懇談などを「オンライン行幸啓」と名付け、新たな試みだとごますり続けている。

だが、こうした自画自賛、ごますり、オベンチャラも、やはり底の浅さは隠しきれず、当の徳仁らや宮内庁当局、メディアにとってはまだまだモノ足りないものでしかないのだろう。直接“触れ合う”ことのできない“オンライン行幸啓”ではやはり、目くらましの効果は半減する。統合力の点で地方訪問に及ばないのだ。徳仁自身「実際の訪問でなければ成し得ない部分はある」と語っている。

天皇、皇族や宮内庁側のそうした焦燥は、メディアの報道ぶりにも表れている。

『読売』はこの日の記事では、他紙のようにはオンライン活動を強調していない。誕生日を唯一社説に取り上げた『産経』(「主張」)も、重点を置かなかった。

『日本経済新聞』は、編集委員の井上亮が「コロナ下「象徴」を模索/「枠超えた発信」に期待も」とタイトルに掲げてこう書いた。

「ただ、オンラインは天皇、皇后両陛下と現地の双方向の交流はできるものの、多方向のつながりには難点がある。多方向とは現地以外の全国の国民が象徴の旅を見聞し、その存在と役割への理解を深めることだ。(略)両陛下と現地の人々の思いが国民全般に広がりにくい」。

井上は「それを補うのが(略)言葉かもしれない」と述べたうえで「旅で寄り添えない人々に、より個別具体的に触れるなど、従来の枠を超えた言葉の発信があってもよいのではないだろうか」と、今以上の違憲行為に踏み込むことを使嗾している。

在京大手紙など主流メディアとは別に、週刊誌が焦点を当てたもう一つのテーマはやはり、眞子の結婚スキャンダルをめぐる徳仁の反応だ。

『週刊文春』は3月4日号で「天皇がついに“裁断”/眞子さま小室圭さん結婚に「NO」」とタイトルに掲げ、『週刊新潮』は同日号に「天皇陛下が「眞子さま」に苦言!/「結婚には国民の納得が必要」」と打った。3月11日号の『女性セブン』は「眞子さまへ「聞く耳を!」痛烈注文/天皇陛下 「異例の祈り」は届くのか 全内幕/紀子さまは顔面蒼白。いよいよ「駆け落ち婚」するしかなくなった!」だ。

いずれも、徳仁の発言は、眞子に対して厳しい苦言を呈したとの趣旨のものだ。

「“意思を尊重したい”“見守っていきたい”といった、(略)あたりさわりのない」(『女性セブン』)発言をするとの事前の「大方の見方」(同)を裏切り、踏み込んだ物言いだったというのだ。

「他家のプライベートな事柄」(同)に介入し、「現行の制度では皇位継承に無関係である宮家の内親王の私的な問題に、陛下が触れられること自体イレギュラー」(『週刊新潮』)な今回の事態から確認できるのは、秋篠宮がいかに憲法まで持ち出して“リベラルな父親像”を取り繕おうとも、「個人」など頭の片隅にもない天皇制のいびつな実態だ。

ただ、そんなことは勝手にすればというたぐいの話でしかない。

それよりも私は、『週刊文春』の次の記述が気になった。

「天皇の誕生日会見は、約一カ月前に収録の日程が決まり、宮内記者会の幹事社が加盟各社に質問を募って準備を始めます。幹事社と侍従職が質問をすり合わせて、二週間ほど前には提出します」。

宮内庁担当記者の話として引用されたものだ。これまで何度も触れたような内容だが、この種の話は何度、聞いてもその都度、不快感を抱かざるを得ない。

記事によると、「当初、侍従職も「この質問は厳しい。何も答えられない」と困惑」していたが、昨年、眞子が発表した文書で、徳仁らの対応について触れていたので、記者会としても結婚スキャンダルを質問項目に入れたのだという。重要な内容だからと、5項目の質問のうち、カメラの撮影が入る3番目に設定したと書かれている。

談合、出来レース……。こんな三文芝居が「記者会見」なのだ。

だがこの事実は、“内幕”を知るディープスロートの覚悟の内部告発でも何でもない。単なる通常のルーティーンの一環として何のためらいなく明かされ、記事にされているだけだ。

こんな内情に問題意識を感じないところに、腐敗しきった宮内記者会やメディアの現状が表れている。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信」no.199, 2021.3

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