反靖国〜その過去・現在・未来〜(19)

土方美雄

靖国神社の「過去」〜戦後、その公的復権への動き〜 その9

前回よりの、続きです。『検証国家儀礼』(作品社)に収録された、新聞記事からの抜粋です。

「〈社説〉三木武夫氏の靖国神社参拝(読売新聞、75年8月16日付)」

三十回目の終戦記念日の十五日、三木首相は、靖国神社に参拝した。首相としてこの日に参拝したのは、三木首相がはじめてだが、野党や宗教団体などの反発を考慮して、「個人」の形でお参りした。戦後三十年という一つの区切りに当たり、戦争犠牲者の霊を慰め、平和への決意を誓うため、「三木武夫」氏が参拝した、ということには、ことさら目くじらを立てるほどのことはあるまい。

しかし、首相が「個人」として参拝するまでのいきさつをみると、そう簡単なことではないようだ。自民党の遺家族関係議員の強い要請で、党執行部が首相に持ちかけ、首相も「あまりこだわらず」に応諾したといわれる。戦争犠牲者の霊を慰める、ということに積極的に反対する理由もなかったのだろうが、「三木武夫」氏自身の発想から生まれた靖国参拝ではなかったようである。

「自民党総裁」としての参拝計画が、「個人」の形にダウンされたが、自民党タカ派のねらいは、「総裁」であれ「個人」の資格であれ、首相が終戦記念日に参拝した、という事実を作り上げることにあったと思われる。靖国神社を国家で護持することをねらいとした法案が何回も国会で流れ、保革伯仲の参院情勢もあって、今後の成立の見込みが薄いことから、首相の参拝などの形で、何とかこの問題に一つの「糸口」を見つけたいと考えたのであろう。

「両陛下あす靖国神社参拝 戦後30周年〈私的〉に(日本経済新聞、75年11月20日付)」

宮内省は十九日、天皇、皇后両陛下が二十一日午前、東京・九段の靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑を参拝されると発表した。戦後三十周年にあたって参拝されるもので、四十四年の同神社創立百年記念大祭以来、六年ぶり、戦後八回目のこと。また千鳥ヶ淵戦没者墓苑へは四十五年以来、五年ぶりで四回目となる。

同庁によると、今回の靖国参拝は、今春以来、神社側から口頭で要望されていたものだが、ご訪米などで延び延びになっていた。陛下の戦後の靖国参拝は昭和二十年十一月二十日の終戦報告が公式の参拝(旧憲法下)であったほかは、四十年十月十九日の終戦二十周年などの前回までの六回は「私的参拝」という形で行われており、今回も「法律に基づいたものではなく、あくまでも陛下のご意思による私的なもの」(小坂同庁総務課長)としている。

ご参拝の意義については、藤田同神社総務部長は「国民感情からいって、あえて私的、公的などとあれこれは考えていない。国事行為には含まれていないという意味では公的ではないかもしれないが、陛下のご参拝には変わりはない」としている。同神社では当日、臨時大祭を行い、特別奉送迎者として青木一男靖国神社崇敬総代、賀屋興宣日本遺族会会長ら約七十人、また、各都道府県遺族会から二千人が、参道などでお迎えする予定。また千鳥ヶ淵戦没者墓苑にはこれまで約五年おきに参拝されている。

「天皇の靖国参拝は私的行為(朝日新聞、75年11月21日付)」

政府、野党追及突っぱねる

社会党の秦豊、野田哲両氏は二十日の参院内閣委員会(加藤武徳委員長)で、天皇の靖国参拝問題について「終戦記念日に三木首相が参拝したのと同様、靖国神社法制定に向かってなしくずしに事実を積み重ねることではないか」と内閣としての責任を追及した。これに対し宮内庁の富田次長は「天皇は、新憲法になってからすでに六回参拝している。いずれも私的行為として行われ、今回もそれに当たる」と説明、植木総務長官も「宮内庁に公的か私的かを問い合わせたところ、私的なものだと聞いたので妥当だと承知した。天皇のご意思で私的な形で参拝されるのだから、政治的なウズに巻き込まれたり利用されたりすることは絶対にあってはならない」と釈明した。
秦氏らはこれに納得せず「天皇の行為にどこで公的、私的の区別が出来るのか」と食い下がったが「私的行為」で押し通す政府側との間で論議は平行線のまま終わった。

とりあえず、区切りがいいので、中途半端になるより、今回はここまでとします。以下、次号に続きます。

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