反靖国~その過去・現在・未来~(18)

土方美雄

靖国神社の「過去」~戦後、その公的復権への動き~ その8

前回よりの、続きです。前回と同様に、拙著『靖国神社 国家神道は甦るか!』からの、抜粋です。

中曽根のこの発言は、靖国法案の矛盾点を鋭くついている。靖国神社を靖国神社として護持するためには、改憲が必要だが、その条件はまだ整っていない。ならば急速な立法化よりは、英霊を自民党だけの英霊ではなく、社会党や公明党の英霊でもあるようにする、いいかえるならば、靖国国家護持を全国民がこぞって支持するような情況をつくりだしていくことこそが先決ではないか…この中曽根構想はやがて、75年を境とする靖国復権運動の明確な方針転換の際の指針として選びとられていくことになるのである。

75年2月に発表されながら、ついに日の目を見ることのなかった藤尾正行衆議院内閣委員会委員長の「私案」は、中曽根構想にのっとった当面の具体的方針案、ということが出来る。以下、要約してみる。

〈藤尾私案〉
1、靖国法案は最高至上のもので、これを立法化することが最終目標。
2、現下の政治情勢上、段階的にこれの実現を期すものとする。
3、まず、取りあえず、①天皇および国家機関員等の公式参拝、②外国使節の公式表敬、③自衛隊の儀仗参拝、を認めさせる。
4、国民的合意を得るため、合祀する者についても検討を加える(具体的には、警察官や消防士などの殉難者も合祀の対象とする)。

この私案は、「慰霊表敬法案」としてこそ、立法化されることはなかったが、推進派のその後の運動の中で具体化されていくことになる。

まず、「靖国神社国家護持」から推進派のスローガンが、「靖国神社公式参拝実現」へと変わる。これは「靖国神社=非宗教」の立場から、靖国神社が宗教施設か否かはさておいて、とりあえず同神社への参拝(表敬)は宗教的活動とはいえない、したがって「合憲」…との主張に切り換えたことを意味する。

そして以降、公式参拝実現に向けた草の根運動を展開していくことになる。

以下、1975年以降の動きについて、見ていくことにしよう。

75年2月、遺族会は宮沢首相と英国大使館に対し、その年の5月に来日予定のエリザベス女王の靖国神社への表敬参拝を働きかけた。幻の法案となった「慰霊表敬法案」にもとづき、エリザベス女王の「権威」によって公式参拝実現への拍車をかけようとした推進派だが、反対の声があることを知った女王側は靖国参拝を事前にとりやめ、そのかわりに伊勢神宮に参拝した。

外国の元首クラスの靖国参拝実現への働きかけは、その後もことあるたびにくり返し行われ、83年に来日したレーガン米大統領はいったんは参拝を決意したが、自らの支持母体であるアメリカの宗教右翼の強い反対にあって断念、明治神宮への参拝に切り換えた。

その年の8月15日、推進派の圧力もあって、三木首相が「私人」の資格で靖国神社に参拝した。この時、三木があげた私人としての条件(公用車を使用しない、記帳の際には肩書きをつけない、玉串料はポケットマネーで出す)は、3年後、玉串料を除きことごとく、福田首相によってホゴされることになる。

76年に入って、6月22日、石田和外元最高裁長官を会長に「英霊にこたえる会」が結成された。78年、政府ははじめて2月11日の「建国記念の日奉祝式典」を後援した。また「英霊にこたえる会」はこの年から、(公式参拝実現を求める)1000万人署名と、地方議員への「靖国神社公式参拝に関する意見書」採択請願を開始した。

79年には、この右派の「草の根ネットワーク」をフルに活用して、元号法制化が強行された。この年、一部のマスコミは「東条英機らA級戦犯が『昭和殉難者』として靖国神社に78年に合祀されていた」ことをスッパ抜いた。このことは中国や、東南アジア諸国の人々の憤激を呼んだが、国内における反対運動は今一つだった。

1980年、自民党は「靖国神社公式参拝実現」をはじめて公約にかかげて衆参同時選挙にのぞみ、圧勝した。ここに公式参拝実現にむけた推進派の動きは、一気に活性化するに至る。

ここで、いくつかの新聞記事を、時系列的に、見ていくことにしよう。

まずは、1975年8月15日の、三木首相の靖国参拝について。

「抗議の中 三木首相が靖国参拝」(毎日新聞)

三木首相は緊張しきった顔つきで午後零時55分靖国神社に到着した。境内の車道には綱が張りめぐらされ、警察官が人垣を作りその中を首相の車が猛スピードで走り抜け、到着殿玄関わきに横づけとなった。

車から降りた三木さんに「靖国神社の国家護持をどう思うか」「今の気持ちは」などと記者団から質問が飛んだが、三木首相は見向きもせず、まっすぐ前を向いたまま、出迎えの池田権宮司が丁重に頭を下げても三木首相はそれすらも目に入らないほどの緊張ぶり。そのまま拝殿に姿を消した。このあと首相は「私人」から「公人」に戻り千鳥ヶ淵戦没者墓苑を参拝した。

靖国神社参拝後、三木首相は秘書官を通じて次のような感想を表明した。

今日は戦後30年という区切りの日にあたるので私は一国民として靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑を参拝して、国のため尊い生命を捧げた人たちの霊を慰めた。世界のどこの国にもあるような、なんらの議論も呼ばないですべての国民がいつでもおまいり出来る場を持ちたいと思う。

以下、続く。

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