群馬の森・朝鮮人追悼碑の強制撤去

               竹内康人(歴史研究)

1 朝鮮人追悼碑建立から撤去までの経過は?

群馬の森は群馬県高崎市にある県立公園です。かつて東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所があり、陸軍の火薬を製造していたところです。その建物の一部がいまも残っています。県立公園となり、美術館や博物館、記念碑などがあります。

この森の一角に2004年、朝鮮人追悼碑「記憶 反省そして友好」碑が建てられました。この碑は市民団体が、戦時に日本政府の労務動員政策によって強制連行され、強制労働の下で亡くなった朝鮮人を追悼する趣旨で建設を求めたものです。県議会で承認され、県の許可を受けるなかで建てられました。碑文には強制連行とは記されず、「労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼」と記されています。

この碑の前で追悼碑を守る会が追悼集会を開いてきたのですが、2012年頃から戦時の植民地支配やそこでの強制労働を認めない集団が朝鮮人追悼碑を「反日」とみなし、撤去を求めるようになりました。そのなか、群馬県は追悼集会での強制連行の事実究明を求める発言が「政治的発言」であり、それゆえ集会が設置許可条件に反する「政治的行事」であるとみなしたのです。そして設置から10年の2014年、県はこの碑の設置延長を許可しなかったのです。

そのため追悼碑を守る会は訴訟を起こしました。前橋地裁は2018年に県による設置延長不許可処分の取り消しを命じました。しかし、2021年、東京高裁では市民団体が逆転敗訴、翌年、最高裁もその決定を追認したのです。そして群馬県は2024年1月29日から追悼碑の撤去をはじめ、プレートなどを除き、碑を粉々に破壊し、2月2日には撤去を終了したというのが経過です。

2 群馬県での朝鮮人強制労働の調査の経過は?

群馬県での朝鮮人強制労働の調査は1990年代から始まりました。1995年には戦後50年を問う群馬の市民行動委員会が結成されました。中心になって調査を行ったのは猪上輝雄さん(1929~2016)です。調査をまとめた『「消し去られた歴史」をたどる 群馬県内の朝鮮人強制連行』が1999年に発行されました。埋火葬史料などから死亡者の存在をつきとめ、県内への朝鮮人動員数を6000人と推定しています。猪上さん達は2001年に県議会に追悼碑建立の請願を出し、採択されました。2003年には碑の形状や碑文について県と合意し、建設に至ったのです。「新潟県史」「長野県史」などには朝鮮人強制連行の記載がありますが、「群馬県史」にはありません。群馬の追悼碑はこの不記載を埋めるものと思います。

猪上輝雄さんは福岡県で生まれ、1954年に中央大学法学部を卒業、その年に群馬県の妙義山の米軍基地反対闘争に社会党のオルグとして参加しました。地域民衆の絶対反対、「決死の闘い」は米軍に計画を断念させました。かれは女性と老人を組織しなければ勝てないと語っていますが、その経験は三里塚での闘いに生かされています。猪上さんは群馬県の社会党で書記として活動し、各地の反基地闘争に参加、その後、県の副本部長になりました。1989年、60歳で退職し、1990年に入って群馬での朝鮮人強制労働の調査を行ったのです。韓国に行き遺族調査もしました。その後、社会民主党や県平和運動センターで活動しました。その人脈は追悼碑建設にも役立ったでしょう。

わたしは1990年代後半から強制労働の全国調査を始めたのですが、猪上さんから群馬県資料の提供を受けました。猪上さんは追悼碑を県立公園につくることになったよと笑顔で語っていました。訴訟となり、裁判に勝つまでは死んでなんかいられないと言っていましたが、2016年に87歳で亡くなりました。その後、わたしは群馬の猪上資料を再整理し、2019年に高崎市で開催された第12回強制動員真相究明全国研究集会で報告し、その時の報告を補充して2022年に最高裁へと意見書を出しました。この意見書は『群馬の森・朝鮮人追悼碑存続のために』(追悼碑を守る会2022年)に収録されています。碑の建設経過や群馬での強制労働の実態については、ここにこまかく記しています。

今回の行政による碑の破壊は群馬の人びとのアジア平和への熱い思いを踏みにじるものだと思います。

3 朝鮮人追悼碑に対する判決の問題点は?

まず前橋地裁判決ですが、追悼式での強制連行に関する発言を、歴史認識に関する主義・主張を推進するものであり、政治的発言であるとしました。追悼式を政治的行事に該当するものと判断し、許可条件に違反するものとしたのです。ここに問題があります。しかし、碑の前で政治的行事を行ったとしても直ちに公園の機能は失われていないから、県の更新不許可処分は裁量権の逸脱であり、違法としたのです。また(右派の)抗議活動によって公園の利用者が減少したわけでもなく、碑による具体的な支障はない、政治的行事が行われなければ友好親善を求める碑の本来の機能は回復するとしています。

つぎに東京高裁判決です。そこでは、「労務動員」を「強制連行」と評価することは日本政府の見解に反することになるという県と旧建てる会の共通認識の下で追悼碑の設置が許可されたとみなし、守る会は政府の見解に反して「強制連行」という用語を使用して歴史認識を訴えることを目的とする行事が政治的行事に含まれることを認識していたと決めつけたのです。

また、抗議行動が起きたのは守る会が許可条件に違反する行為をしたからであり、守る会の違反行為によって追悼碑が政治的争点(歴史認識)に係る存在とみられるようになり、中立的な性格を失うに至ったと断定したのです。さらに追悼碑は友好の推進という当初の目的から外れ、存在自体が論争の対象となり、抗議活動などの紛争の原因となったとしたのです。そして、追悼碑は都市公園法2条2項での「公園施設」に該当しない、県知事の更新不許可の判断には正当な理由がある、県の更新不許可処分は適法であり、裁量権の逸脱濫用はないというのです。

この判決の問題は、労務動員を強制連行と評価することが日本政府の見解に反することになると共通認識していたという判断にあります。守る会が強制連行を使用して発言した場合、追悼式が政治的行事に該当し得ることを認識していたという判断にも問題があります。また、追悼碑が政治的争点(歴史認識)に係る存在とみられるようになり、中立的な性格を失ったという判断にも問題があります。さらに抗議行動が起きたのは、守る会が許可条件に違反する行為をしたことによるという判断も問題です。

判決は、追悼式での強制連行の発言を政治的発言とみなし、その発言があったことを理由に式全体を政治的行事とするものでした。それが許可条件違反であり、追悼碑は公園施設に該当しない、それゆえ県の不許可に違法はないというのです。このような高裁判決を最高裁は追認したのです。

戦時の朝鮮人労務動員を強制連行とすることは学会の定説であり、自治体史や教科書にも記載されてきました。第2次安倍政権は2012年末から2020年までですが、この政権が発足する頃からヘイト集団が街頭で集団化し、ヘイトスピーチを繰り返すようになりました。また、戦争時の侵略や植民地支配での加害の歴史、強制連行否定の喧伝がすすみました。強制連行を否定する政治的風潮が形成されたのです。そして安倍政権を受け継いだ菅義偉内閣は2021年、強制連行・強制労働の用語を適切ではないと閣議決定し、教科書から削除させました。学説による記述を閣議決定により否定したのです。高裁の裁判官の判断はそのような歴史否定の影響を受けているようです。安倍政権下での歴史否定の動きに司法が忖度したとみることもできます。

この判決によれば、歴史否定団体が公的施設にある追悼碑の前で意図的に紛争を起こせば、碑を撤去できることにもなりかねません。判決は歴史否定とその活動の正当化に利用されるのです。そのような活動は現憲法下で保障された表現の自由、人身の自由に関する認識や歴史認識を歪めるものであり、過去の戦争によって被害を受けた人々の尊厳を再び侵し、アジアの国々との友好を損なうものです。

ここで強調しておきたいのは、追悼行事での強制連行という表現は歴史認識を示すものにすぎないということです。強制連行を否定する政治活動の強まりが、強制連行という用語を政治的な表現へと追いやった、史実を相対化してしまったということです。強制連行の歴史否定の動きこそ、政治的なのです。

もうひとつ付言すれば、いま進んでいる動きは「歴史修正主義」と批判するのではなく、事実を無かったものとする「歴史否定」として対象化し、批判すべきということです。歴史否定はヘイトクライムにつながる罪であると思います。

4 ドイツの記念碑や記念館、その歴史への向きあい方と日本との違いは?

わたしもドイツの記念碑や記念館を訪問したことがあります。ドイツ連邦共和国憲法では最初に基本権が示され、第1条は人間の尊厳の不可侵です。その思想が根底にあり、過去の反省、その克服への意思を表現する形で記念碑があると思います。その表現への芸術性のこだわりを感じます。皇帝制度を廃止するなど、社会運動の蓄積もあります。周辺諸国からの戦争犯罪追及や1960年代後半の青年運動による自国の戦争責任追及の歴史もあります。ユダヤ人虐殺、被害者を冒涜する行為は歴史否定として規制されています。

最近のパレスチナをめぐる動きからは、ドイツではナチの戦争犯罪批判はあっても、シオニズムという植民地主義への批判は弱かったように見えますが、戦争の反省、過去の克服については日本と比べれば大きな差があります。君主制の存在は奴隷根性を再生産し、主権者の認識、人間の尊厳への認識を妨げるものです。戦争責任、植民地責任への追及の弱さは天皇制の存続と一体の関係でしょう。

日本をみれば、1995年の村山談話での侵略と植民地支配の認識に反発して1997年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長安倍晋三)が結成され、同年、日本会議も結成されました。2004年にセンター試験で朝鮮人強制連行が出題されると抗議しました。この会は「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」となり、南京大虐殺、慰安婦、強制連行、沖縄戦集団強制死などをめぐり、歴史否定をさらに喧伝しました。安倍晋三は2010年代には8年余の長期政権を維持しましたから、かれの歴史否定に近い政治家が政権幹部となりました。2015年の安倍談話では朝鮮の植民地支配への反省は抜け落ちています。

そのなかで2018年10月に韓国で強制動員をめぐる大法院判決が出ました。判決は戦時の強制動員を反人道的不法行為とし、企業に対する強制動員慰謝料請求権を確定させるものでした。反人道的不法行為への賠償請求権は日韓請求権協定の適用外とみなしたのです。それは動員被害者の救済をしようとする判断でした。

判決は国際人道法、国際人権法の現状に見合ったものでしたが、日本政府は日韓請求権協定違反とし、判決を受け入れようとしなかったのです。それのみならず、自らが被害者のように振る舞いました。ドイツでは2001年、過去の強制労働に向き合い、強制労働被害者の救済に向けて「記憶・責任・未来」基金を設立し、150万人もの被害者に対応しています。日本もそのように対応すべきです。

ちなみに、朝鮮人追悼碑「記憶 反省そして友好」の名前は、ドイツの「記憶・責任・未来」基金の名称に触発されてできあがったものです。群馬県はその碑を粉砕したのですから、記憶、責任、反省、友好、未来への意思をも打ち砕こうとしたのです。しかしその意思は打ち砕けるものではありません。

5 国際人道法、国際人権法の現在の地平とは?

ドイツで強制労働被害者への救済がはじまった2001年、南アフリカのダーバンで開催された人種主義に反対する世界会議の宣言(ダーバン宣言)では、人種差別を重大な人権侵害とし、奴隷制は人道に対する罪とされました。植民地主義を人道に対する罪と規定することはできなかったものの、いつ、どこで起きても非難され、再発を防止しなければならないとされました。

このように植民地主義を批判し、その克服を目指すことは国際的な流れです。この頃から植民地支配を行ってきた国々はその責任について語るようになりました。それが国家にとって名誉となり、国際友好の道となるからです。2020年5月、ドイツの大統領シュタインマイヤーはその責任の否定こそ恥ずべき行為だと語っています。

2005年12月に国連総会で決議された「国際人権法の重大な違反および国際人道法の深刻な違反の被害者に対する救済および賠償の権利に関する基本原則とガイドライン」をみてみましょう。そこでは被害者の人権救済と賠償のために、継続的な違反の停止、事実の検証と公開、失踪者や遺体の捜索、文化的慣例による遺体の改葬、尊厳や権利を回復する宣言や判決、事実の認定と謝罪、責任者の処罰、被害者への祈念・追悼、教育での正確な説明、再発の防止の保障などを掲げています。簡単に言えば、被害者の救済のために、真相を究明し、謝罪・賠償し、追悼・教育によって再発を防止せよということです。

韓国の大法院判決では強制動員を反人道的不法行為としたわけです。司法判断に従い、日本政府はこの国際原則にしたがって被害者救済に向けて対応すべきです。戦時の労務動員は日本政府の動員計画によって1939年から始まり、企業は各県に動員希望数を申請し、政府はそれをもとに動員数を承認しました。それを受けて企業は、朝鮮総督府が指定する郡で、甘言や命令によって動員したのです。皇民化政策の下、民族の権利や名前、言葉を奪われていた植民地の民衆にとっては、動員の指示は拒否できないものであり、募集や斡旋という名による強制動員がなされたわけです。動員された現場では労務統制や強制貯金などで移動の自由を奪われ、暴力的な管理などで労働を強いられたのです。

まず、日本政府は強制連行・強制労働を認知すべきなのです。また史料を公開し、韓国の判決を認めて謝罪と賠償をすすめ、動員被害者の尊厳と権利を回復すべきなのです。さらに遺骨を返還し、追悼行事や教育を行い、再発を防止しなければならないのです。県も動員に関与したのですから、真相を調査し、追悼するという歴史的責任があります。

人権侵害の被害者の救済のためには、真相究明、謝罪・賠償、追悼・教育の活動があるわけですが、記念碑等の設置はこの3番目の追悼・教育にあたるわけです。追悼・教育は文化活動ということができます。追悼碑の設置は友好平和の文化活動であり、そこに碑の意義もあるわけです。群馬県はそのような文化表現を破壊したのです。

6 強制連行の歴史否定論の内容は?

歴史否定論により強制連行を否定する人々は過去の戦争を「大東亜戦争」と呼んで正当化しています。教育勅語を賛美し、韓国併合を合法とし、その下での動員を正当とするのです。かれらは侵略と植民地支配への反省という言葉を受け入れようとしないのです。ですから戦争責任という言葉は排斥されます。

歴史否定の立場の「人種差別に反対するNGO日本連合」の主張をみると、韓国政府による「反日教育」によって韓国民の日本民族への差別意識は年々増大し、レイシャルハラスメントを引き起こしている。韓国の教科書や「反日施設」は「国家ぐるみの最大級」の「ヘイトスピーチ」であり、人類の「崇高な倫理観に反する恥ずべき行為」であり、「世界平和にとって脅威をもたらすのみ」である。国連人種差別撤廃委員会は韓国政府に「反日教育」の改善を勧告すべきとあります。

このように考える「そよ風」などの歴史否定団体が追悼碑の高裁判決の際に街宣行動をしましたが、それを支援する日本国民党の宣伝車には関東大震災の追悼碑撤去を求める際に使う垂れ幕があり、そこには「6千人虐殺も嘘 徴用工強制連行も嘘」、「6千人の嘘に友好なし謝罪不要」、「我々の先祖へのヘイトスピーチをやめろ」、「追悼に名を借りた政治集会を許可するな」と記されていました。

かれらは、「強制連行は嘘」であり、(強制連行などは)「先祖ヘのヘイトスピーチ」である。「反日」の「戦後レジーム」を変える。中国や朝鮮こそ歴史を改ざんしている。朝鮮人追悼碑の前での集いは政治集会であって、碑は撤去すべきとします。かれらはその行動を「GHQの洗脳教育による自虐史観の歪んだ反日歴史観を正し、日本の国益を守り、日本に対する冤罪を払拭する闘い」というのです。

このような主張は、過去の戦争と植民地支配の歴史を反省できない頑迷なナショナリズム、排外思想です。ドイツの大統領シュタインマイヤーは「責任の否定こそ恥ずべき行為」と言っていますが、彼らの主張は反省もなく責任も取らないというものであり、稚拙な恥ずべきものです。

山本一太群馬県知事は強制連行の史実を認めることはなく、「ルール違反」を口実に追悼碑を粉砕したのです。かれは「歴史認識の問題ではない」と言っています。しかし、抗議する行動を排除するために公園を封鎖して、追悼碑を重機で粉砕したのです。結果として県はヘイト集団の主張を代行し、碑を撤去してしまったのです。「ヘイト行政」とみられるでしょう。これに呼応してネット上では、私有地にある朝鮮人追悼碑の撤去を呼びかける議員までいます。

山本一太は2006年に「なぜいま安倍晋三なのか」を出版しています。そこで安倍の歴史認識についてはふれずに安倍をタカ派でもネオコンでもない「ニューリアリスト(戦略的国際協調主義者)」と美化しました。安倍応援団であった山本は第2次安倍政権下で沖縄北方相を務め、2019年に群馬県知事になりましたが、かれは「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局でした。山本の歴史認識は安倍と同様であるわけですが、「ルール違反」を隠れ蓑にし、歴史認識を示すことなく追悼碑を破壊したのです。

7 強制労働の歴史が否定され、世界遺産、観光地とされていますね?

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)世界遺産への明治産業革命遺産の登録ですが、これは第2次安倍政権の中で首相案件として推進されました。

その世界遺産推薦書のダイジェスト版(初版)には、テクノロジーは日本の魂、「明治日本の産業革命遺産」は国家の質を変えた半世紀の産業化を証言、蘭書を片手に西洋科学に挑んだ「侍(さむらい)」たちは半世紀の時を経て、近代国家の屋台骨を構築、日本は自らの手で産業化をすすめ、植民地にならずに、地政学上における日本の地位を世界の舞台に確保した。後に日本を世界の経済大国に押し上げる重工業の基盤をつくった。このような産業革命遺産には顕著な普遍的価値があると記されています。

当初、九州・山口の近代化産業遺産群として登録が目指されていたのですが、期間を明治期に限定し、萩の城下町を起点した鉄、石炭、造船の産業化物語へと作りあげられました。そして「サムライ」日本が植民地とされずに産業化を実現した、それが顕著な普遍的価値とされたのです。

ユネスコの設立理念は人の心に平和の砦を作るため、人類の知的・精神的連帯を形成するということであり、そのために世界遺産があるのですが、安倍らは地政学での日本の地位を顕彰する産業遺産として登録を狙ったというわけです。産業遺産は資本、労働、国際関係の3つの面からみるとその特質が見えてくるのですが、明治産業遺産の場合は、産業技術の面、つまり資本の面だけを重視して説明がなされています。

ところで、この明治産業革命遺産には日本製鉄八幡製鉄所、三菱長崎造船所、三菱高島炭鉱(高島・端島)、三井三池炭鉱が入っていました。戦時には朝鮮人、中国人、連合軍捕虜が強制労働させられた場所です。韓国が戦時の強制労働の問題を提起すると、日本政府は2015年7月の登録の際に、「日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ(brought against their will)、厳しい環境の下で働かされた(forced to work under harsh condition)多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である」とし、「日本はインフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である」(日本政府訳)と発言しました。

しかしその後、日本政府は「forced to work」は「働かされた」であり、「強制労働の意ではない」、「戦時の朝鮮半島出身者の徴用は、国際法上の強制労働にあたらない」としました。朝鮮半島出身者が意に反して徴用されたこともあったが、違法な強制労働ではなかったというのです。2020年3月には登録時に約束した施設が産業遺産情報センターの名で開設されました。国立施設ですがその運営は世界遺産登録をすすめた加藤康子らの産業遺産国民会議に委託されています。このセンターでは、端島炭鉱で強制労働はなかったとする展示がなされ、犠牲者を記憶する場とはなっていません。つまり登録時の公約は反故にされ、歴史否定の宣伝の場ができたというわけです。

この明治産業遺産では、軍艦島と呼ばれる端島炭鉱での観光が活発ですが、明治の産業遺産に該当するのは明治期の擁壁やレンガの建物跡であり、アパート群は大正期以降のものですから遺産の対象ではありません。軍艦島クルーズには、三菱の労務管理支配や近代の納屋制度など労働者の歴史、戦時の強制労働についての説明はありません。炭鉱の廃墟をみて「軍艦島ラスク」をお土産にする、そのような長崎クルーズを楽しむ人もいるのでしょう。

ユネスコの理念である人種・民族を超えた知的・精神的連帯のためには、強制労働の歴史を伝え、その再発防止を考えることが欠かせませんが、それがなされないのです。このように産業遺産で強制労働の歴史否定が喧伝され、他方、ヘイト集団が街頭に出て強制労働犠牲者の追悼碑の撤去を求めたのです。それに呼応して群馬県は強制連行の発言を政治発言として「ルール違反」とみなして再設置を許可せず、それを裁判所が追認する。そして県は歴史認識をめぐる問題であるにもかかわらずそれを隠して追悼碑を破壊する。このように事態がすすんできたわけです。

8 今後の課題は?

2004年に追悼碑が建設された頃、歴史学や歴史教育の現場には戦時の政府による労務動員政策の実態が強制連行であるとする共通認識がありました。行政がそれを公然と非難することはなかったのです。しかし、安倍らの歴史否定の政治的台頭により、歴史用語である「強制連行」が政治的とみなされ、排撃されるようになったのです。そのなか、日本政府は戦時労務動員の歴史認識から「強制連行」を取り除き、労務動員や徴用はあったが、それは強制労働ではないとする表現へと転換をすすめました。さらに2021年に菅義偉内閣は強制連行・強制労働の用語は適切ではないと閣議決定し、教科書の書き換えをすすめたのです。これでは戦時の強制動員問題は解決できません。
国際人道法や国際人権法での被害者救済の項で示したように、日本政府はまず、強制連行・強制労働を認知すべきです。史料を公開し、韓国の判決を認めて謝罪と賠償をすすめ、動員被害者の尊厳と権利を回復すべきです。遺骨を返還し、追悼行事や教育を行い、再発を防止しなければならないのです。

群馬県も労務動員に関与したのですから、真相を調査し、追悼するという歴史的責任があります。
群馬県は第1に、朝鮮人強制労働に関する調査委員会を設置すべきです。戦時の強制労働の事実調査を行い、当時の朝鮮人の死者の状況を明らかにすることが求められます。朝鮮人強制労働の事実を市民社会に示し、強制連行の歴史を否定する動きを克服すべきなのです。

第2に、市民団体と協議して朝鮮人追悼碑を再建すべきです。行政は追悼活動に積極的に関与し、それにより正義の実現と被害者の尊厳の回復をすすめ、友好親善、世界平和をすすめるべきです。ヘイト集団の歴史否定に与してはなりません。

行政が主導する調査によって、社会保険への加入資料、埋火葬認可証の調査、供託金の調査、韓国での強制動員真相究明活動の資料などから動員の実態を明らかにできるでしょう。軍人・軍属としての軍務動員の調査も必要です。高崎、相馬ヶ原、太田などでの軍務動員の実態調査が求められます。「臨時軍人軍属届」や「留守名簿」などの軍人軍属名簿の調査も必要です。                      (2024年2月)

 

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