反靖国~その過去・現在・未来~(17)

土方美雄

靖国神社の「過去」~戦後、その公的復権への動き~ その7

前回よりの、続きです。同様に、拙著『靖国神社 国家神道は甦るか!』からの、抜粋。

(19)73年1月22日、山口県に住むキリスト者、中谷康子さんは公務中に事故死した夫の孝文さん(自衛官)を自衛隊・隊友会が彼女の意思を無視して山口県護国神社に合祀したことに対し、「自衛隊よ、夫を返せ!」と合祀取り消しを求める訴訟を起こした。この訴訟は戦前と何ら変わらない軍隊(自衛隊)と護国神社との関係を、改めてわれわれに突きつけるものとなった。

2月27日、靖国法案は第71国会に五度び提出された。7月に入って、推進派は「今度こそ、法案の成立を!」と叫んで、自民党本部内で座り込んだ。このころ、民社党が同法案に対する対案ともいうべき「戦没者の追悼等に関する法律案」を作成するが、これが「戦没者追悼の日」制定の際の、ひとつの叩き台になった。

9月27日、同法案は今度は廃案とはならず、継続審議の扱いになった。

翌74年4月12日、衆議院内閣委員会は徳安委員長の職権で開会され、野党の阻止線を突破した自民党議員単独で、靖国法案は強行採決された。同15日、キリスト者は数寄屋橋でハンストに突入。24日には全日仏も反対声明。五月に入って、創価学会青年部が大規模な靖国法案粉砕の集会を開くなど、宗教者の抗議行動への参加が相次いだ。

4月22日、前尾衆議院議長は先の内閣委の強行採決を「有効」と裁定。各地で抗議集会やハンスト、デモがたたかわれるなか、5月25日、自民党はまたも単独で、衆議院本会議でも同法案を強行採決した。

6月3日、靖国法案は参議院で廃案となった。突然の廃案に、真偽のほどはともかく野党との裏取引がウワサされた。これに反発するように、自民党総務会は「次期通常国会冒頭に法案を提出、参議院先議で成立を図る」ことを決定した。

7月7日、参議院選で保革が伯仲、自民党単独での法案採決の道はこれで断たれた。この月、靖国神社と神社本庁はそれぞれ、「法案成立後、靖国神社の祭祀伝統が破壊されるおそれあり」との質問書を自民党へ提出した。あくまで靖国神社の伝統祭式を維持したままでの国家護持を主張する推進派と、自民主流との間の確執が再び表面化するに至った。

75年に入ると、2月、自民党は従来の靖国法案にかわる「戦没者等の慰霊表敬に関する法律案」(藤尾私案)の検討を開始したが、これも宗教界のコンセンサスをとりつけることは出来なかった。4月22日、自民党政調会はついに、「法案の提出を断念」と、「敗北」宣言を行った。

ここで、話を少し前に戻して、72年に発表された、中曽根構想なるものについて、みていくことにしたい。以下も、拙著からの抜粋である。

中曽根構想は72年冒頭、靖国法案が国会に提出-廃案をくり返している最中に発表された。3月7日の「靖国法成立促進大会」での中曽根の発言から、すこし長くなるがその一部を引用してみよう。

--野党が今まであんなふうに頑強に反対してきたのには、自民党が独占してやってきたという嫉妬もあるのではないか。ともかく、国家護持という点では、共産党を除いて、各党の担当多くの議員が賛成し、靖国神社を国民全体、国全体でお守りしなければならないという点でも、相当多くの議員が賛成しているのであります。

そこでこの際、今までやってきた方法を我々自体が反省して、野党とも相談して、初めから一緒に取り組むという姿勢を、もう一回自民党が反省する必要はないか(場内、ヤジで騒然)。

やはり英霊というものは、自民党だけの英霊であってはならない。日本の天皇陛下が自民党だけの天皇ではなく、社会党の天皇でもあらせられ、公明党の天皇でもあらせられなければならない。同じように、英霊も自民党だけの英霊ではなく、社会党の英霊でもあり、公明党の英霊でもあり、全国民の賛仰する英霊にするというのが、最も理想的な形態でないかと思うのであります。また、そうでなければ、英霊自体も喜んでくれないのではないか。

今の靖国神社法というものは、名前は靖国神社でありますけれども、法律的性格は育英会とか図書館のような公益法人という形になっております。そしてもし、靖国神社法というものができた場合、宗教法人靖国神社は解散するというのです。

いったい、その時、魂はどこへ行くのでありましょうか。今のような靖国神社であってこそ、神格と神性の魂が宿って御霊は靖国神社にやすまれておられると思うのです。それを名前は靖国神社ではあるけれども、公益法人と同じようなものの中に、今の靖国神社が解散されてなくなったら、魂はどこへ行かれるのか、これをどうするのか。

我々は政治家として、日本の歴史と我々の子孫に対して、大きな間違いを犯すのではないかという責任と反省を、私は禁じえないのであります。

靖国神社を、あくまで我々は護持しなくてはなりません。それは魂を持つ、神性を持つ靖国神社として護持したいというのが、私たちの信念なのであります。
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以下、次号へ続きます。

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