相可文代『ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍』

志水博子

著者と私は、ほぼ同世代である。私たちの親の世代は、あの「戦争」を体験し、国家により命や人生を翻弄された被害者であり、また、朝鮮半島、台湾、中国をはじめアジアの国々に対しては、本人たちがどこまで意識しているかは別として加害者の立場を免れない世代である。しかし、敗戦後に生まれた私たちは戦争放棄を宣言した日本国憲法のもとに育った。

戦後教育の理念として「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」(1947年制定教育基本法前文)があった。その理想は何度か裏切られ傷つくことはあったが、それでも、私たちが育った時代には戦後教育の理念はまだ生きていた。

それがどうであろうか。教育基本法は改悪され、特定秘密保護法・安全保障関連法・共謀罪法の強行採決。そして昨年末には、政府は、国の安全保障に関する防衛3文書、いわゆる安保3文書改定を、これまで憲法が禁じていた敵基地攻撃能力を「反撃能力」と称することにより、何の議論もなく閣議決定し、「戦争をする国」への転換をいとも簡単にやってのけた。いったいこの国に戦争をさせないために私たちに何ができるのだろうか。

相可文代著『ヒロポンと特攻 太平洋戦争の日本軍』(論創社、2023年、2200円)

本書の著者である相可文代(おおかふみよ)さんは、元中学校の社会科教員、そしてそれゆえでもあろうが、長年教科書問題に取り組み、その運動を牽引されて来た方だ。どうすれば戦争は防げるのか。焦りにも似た危機感の中で、彼女がひとつの形にしたのが本書であるといってよい。よくぞ書いてくれたというのが正直なところだ。

本書のきっかけとなったのは、梅田和子さんとの出会いである。‘30年生まれの梅田さんは、旧制茨木高等女学校に転校し、校内に置かれた陸軍糧秣廠(りょうまつしょう)で勤労奉仕することになった。兵隊さんに送るチョコレートを包む仕事と、盗み食いの監視を教師から命じられたのだが、梅田さんをスパイと見なした上級生は梅田さんを屋上に呼び出し、盗んだチョコレートを食べろと迫った。上級生に言われるままにチョコレートをひとくち食べると体がカッと熱くなったという。父に話すと、ヒロポンでも入れているのだろうと。円筒形のチョコレート棒には「菊の御紋」が押されていた。

そこから、著者の追究が始まる。覚醒剤入りのチョコレートの開発者岩垂荘二、そして、鹿児島の串良基地で特攻兵にヒロポン注射をした軍医の蒲原宏、知覧から沖縄特攻に出撃する際に「元気酒」と名づけられたヒロポン入りの酒を飲んだという大貫健一郎(余談ながら歌手大貫妙子の父)を追っていく。史料を頼りにアヘン、ヒロポン、覚醒剤を追う。実は覚醒剤を兵士に与えていたのは日本軍だけではない。ナチスも英国空軍も同じであった。そして麻薬も含めた米軍の薬物使用は、ベトナム戦争でもアフガン戦争でも変わらなかった。驚くことに、現在も自衛隊法115条の3第1項で、自衛隊は「麻薬、覚醒剤原料を所持できる」という。

さらに、特攻は本当に志願だったのか、特攻で死ななかった兵士はどのように扱われたのか、歴史の暗部ともいえる領域に踏み込んでいく。太平洋戦争における日本軍と特攻の実相が重層的に眼前に広がる。特に7章「生きていてはならなかった特攻兵」、8章「特攻を命じた上官と特攻を拒否した指揮官」は圧巻であった。綿密な取材と先行史料を通して実在した人物が浮かび上がってくる。それだけでも十分面白いのだが、真骨頂は著者のそれぞれの人物像に対する容赦なき批判である。容赦なき批判と書いたが、それは、あの悲惨な戦争をなぜ止められなかったのか、なぜ受け入れ、加担してしまったのか、その問いからくるものであることが痛切に伝わって来る。それがわからなければ、私たちには戦争を防ぐことなどできはしない。著者の、戦争は何としても防がなければならないという強い意思が、ここまで丹念に戦争を描いていると言えるのだが、しかし、著者はそれだけでは戦争をとめることはできないと考えている。

そのことが最もよくわかるのが12章「戦争責任について考える」だ。まず、天皇の戦争責任について述べる。実は、天皇の戦争責任については6章「軍医・蒲原宏が見た特攻兵と特攻基地」にも書かれている。出撃前の特攻兵に知らなかったとはいえヒロポン注射をした蒲原宏を取り上げた章である。蒲原は戦後医学界で活躍すると同時に俳人としての顔も持っていた。2022年8月15日に出した句集『愚戦の傷痕』から、昭和天皇が亡くなった翌年の1990年の夏に、蒲原が詠んだ4つの句を紹介している。添え書きとともにそのまま引用する。

8月15日 敗戦忌
昭和時代に戦争の連続、日本史上の歴代の天皇で昭和天皇ほど国民を多く死なせた天皇は存在しない。公称戦没者310万人余とあるが、実数は全アジアで1500万人余と推定されている。まさに愚帝であった。輔弼の愚臣を退け遅くとも1945年7月26日のポツダム宣言を受諾すべきであった。唯一の善行は敗戦の詔書を出して戦争をやめた事である。

天皇に 責任はあり 敗戦忌
裕仁は 萬世の愚帝 敗戦忌
我もまた 責任のあり 敗戦忌
南溟に 眠る学友  敗戦忌

そして、著者はこう記す、「私はこれらの句に衝撃を受けた。蒲原は昭和天皇を『愚帝』と呼び、天皇には戦争『責任』があると言い切っている」と。だが、それだけではない。こうも記す、「また蒲原は、昭和天皇に向けた厳しいまなざしを自らにも向け、自分にも戦争『責任』があると言い切っている。何らかの形で戦争を担った者が、このように主体的に反省する姿勢こそが真の反省であり、これからの戦争を阻止する力につながるだのと思う」と。

12章では、天皇の戦争責任、指導者たちの戦争責任に続き、民衆の戦争責任について、映画監督伊丹万作の文章を引用する。

・・多くの人が、戦争でだまされたというが、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかったとしたら今度のような戦争は起こらない。あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自分を改造する努力を始めることだ・・。

そして、著者は「私はこの伊丹の文章に強く共感する」と述べる。天皇や指導者たちの戦争責任を問うだけでは戦争は防げない。民衆自身がだまされることなく主体的な態度を取らない限り、二度と戦争をしない社会を作ることはできないという。

続く13章「日本はなぜ無謀な戦争・愚かな作戦に突き進んだのか」は別の意味で驚かされた。近代史において点でしかなかった「知識」が、読み進めるにつれて、その背景とともに見事に繋がっていく。簡潔にわかりやすく歴史が紐解かれる。しかし、逆にいえば、それだけ「歴史」をわかっている著者だからこそ再び日本が戦争を始めることを懸念しているともいえる。梅田和子さんの戦争体験の聞き書きから始まり、「ヒロポンと特攻」についてここまで調べ書いたことについて、著者はこう述べている、「近代国家となった日本の戦争では、兵士の命が一貫して粗末にされたが、その行きついた先が特攻であり、兵士に覚醒剤を与えることだった」と。

戦争を防ぐには、私たち民衆がかしこくなるしかないのだ。本書はそれを気づかせてくれる。

*初出:「本の紹介コーナー」『わだつみのこえ』No. 159/2023.12

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