即位・大嘗祭違憲訴訟不当判決 報告と訴訟の会・弁護団抗議声明

桜井大子(原告)

2024年1月31日、本サイトでも紹介した即位・大嘗祭違憲訴訟の判決が下された。
不当すぎる判決だった。訴訟の会・弁護団は記者会見を行い、すぐに抗議声明を発表。

1次・2次合わせて318名の原告からなる本訴訟は、2018年12月提訴以来、訴訟そのものが分離させらるなど、複雑に進行した(佐野通夫「即位・大嘗祭違憲訴訟と日本の裁判」https://www.jca.apc.org/hanten-journal/?p=1493 参照)。

判決言い渡しの東京地裁103号法廷は久しぶりにたくさんの原告で埋まり、原告席・弁護団席も含め原告側は50名を超えていた。平日の昼間、これだけの人が駆けつけ、遠方からの傍聴者も少なくなかった。結果はともあれ、いい判決日を迎えられたと思う。

裁判闘争にとって、その結果はもちろんとても重要なことであるが、裁判所に主張や思いを訴える原告の声、主張を論理づけるためになされる議論の過程、そしてその成果としてある書面や法廷でのやりとり、それらをすべての原告や支援者、見守る人々と共有していく地道な過程そのものに大きな意義があり、そこに成果もあるのだ。

とはいえ、判決は私たちの今後、もっといえばこの社会の今後にも無関係なはずがなく、酷すぎる判決を怒りとともに共有したい。

法廷内にいたすべての原告は、裁判長の言葉を一言も漏らさず聞き取ろうと構えていたが、記録の必要もない、たった15秒ほどの、「棄却」と「費用は原告負担」を言い渡すだけで終わった。提訴から5年1ヶ月余りの原告・弁護団の闘いに対する判決言い渡しは、開廷前の法廷内撮影2分後に始まり、その撮影時間の半分にも及ばない短い時間で終わった。なんたる無礼。

即位をめぐるすべての諸儀式が、主権在民・基本的人権原則を踏み躙り、政教分離に反し、思想・信条や表現の自由を奪う結果を作り出していることなど、原告の主張をさまざまな視点から訴えてきた5年間であった。そのために多くの人の時間とエネルギーが注がれてきた。裁判所はそれら一つ一つに対して、それを棄却する理由を述べるべきであろう。違憲を立証するためのこちらから出した書面・陳述書、そして法廷における陳述や尋問に対して、裁判所は真摯に応えるべきであろう。否定する論拠を憲法に沿って釈明しなくてはならないはずだ。

判決言い渡し直後には、訴訟の会と弁護団による記者会見、同時並行的に裁判所前で怒りの抗議行動を行い、その後報告集会へと流れた。

報告集会では、各弁護士から判決と今後に向けて簡単な報告と、遠方から傍聴に来た原告のアピールを受けた。

各弁護士からは、政教分離原則違反という原告の主張に対する「違憲であったとしても儀式への参加や個人の信仰の禁止を強要しているわけではなく、私人の権利は侵害していない」、あるいは思想・信条の自由の侵害に対する「禁止や強制を強いているわけではなく、原告個人の権利は侵害されていない」といった、判決文から読み取れる裁判所の判断への批判がなされた。そして今後の課題として、それらが個人の権利を侵害していることを明らかにしていくこと、国家が特定の思想・信条を特別扱いし、後押しすることの問題を問い詰めていくこと、等々が語られた。

弁護団の話を聞きながら、改めて怒りが湧いてくるのだった。原告の主張がすべて、思い込みや個人的な不快感として捨て去られたのだ。憲法判断を避け、司法の役割をかなぐり捨て、そういう判決を出してしまった裁判所には怒りしかない。

政府・メディアが協働して作り上げた、天皇即位は「国民こぞって祝うべき」といった社会風潮。それがこの社会に同調圧力として働き、祝いたくない人たちの利益を大きく侵害していることは、これまでも法廷で主張されてきたことだ。今回の判決は、司法がこの同調圧力の片棒を担ぐという選択であったといえる。許し難いことだ。

訴訟の会と弁護団は控訴することを宣言し、以下の声明を発した。

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抗議声明「即位・大嘗祭違憲訴訟(国家賠償請求裁判)」不当判決に抗議する

本日、東京地裁民事第6部・中島崇裁判長は、「即位・大嘗祭違憲訴訟」の国家賠償請求事件部分に対し、棄却判決を言い渡した。

私たちはこの不当判決に対して強く抗議するものである。

私たちが提起した本訴訟は、2019年に強行されてしまった「即位の礼・大嘗祭」をはじめとする一連の天皇の「代替わり」儀式が、日本国憲法の政教分離、主権在民原則に対する重大な違反行為であることから、「納税者基本権」と「基本的人格権」に基づいて、一連の儀式への違法な国費支出差し止めと、当該儀式がもたらす人格権侵害に対する国家賠償を求めて、2018年に提訴したものである。これに、「代替わり」関連の儀式である2020年の「立皇嗣の礼」についても新たに提訴し、本訴に併合された。

しかし裁判所は、私たちが一体のものとして提起した裁判を勝手に分離し、とりわけ「納税者基本権に基づく差止訴訟」部分に関しては、一度の口頭弁論も開かれないまま、却下・棄却させられてしまった。そして、「人格権に基づく差止訴訟」部分も棄却され、残りの「国家賠償請求」部分の判決が、本日言い渡されたのである。

私たちは、何よりも国の行為について住民訴訟を提起できないことは、法の欠陥といわなければならない。

国側は、本件諸儀式は「個々の国民」に向けられたものではなく、たとえ宗教的感情を害するものであったとしても、「具体的権利侵害」はないとする。諸儀式が個々の日本国に居住する人間に向けられたものでないならば、なぜかように多額の国費を費やしてこのような儀式を行なう必要があるというのか。儀式を行なう側は、その効果を認識しているからこそ行なうのである。

政府の式典委員会は「各式典が、国民こぞって寿ぐ中でつつがなく挙行できるよう」に協力を求めていたし、儀式を賛美する言論はメディアを通して報道され続けた。社会的な同調圧力が大きく作りだされたのであり、まさしく祝意は強制されたのである。

こうした国の行動を規制することが裁判所の本来の役割であるにも関わらず、裁判所は国の主張をそのまま追認し、内容に踏み込まず形式的な判断を下した。

我々は、本件不当判決に対し強く抗議するとともに、あらためて裁判所の真摯な対応を求め、さらに闘っていくことを宣言する。

2024年1月31日

即位・大嘗祭違憲訴訟の会
即位・大嘗祭違憲訴訟弁護団

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