日本帝国主義に抗う琉球先住民族の闘いーー遺骨返還請求訴訟から見えてくるもの

           松島泰勝(琉球民族遺骨返還請求訴訟原告団長、龍谷大学教授)

1 日本帝国主義に抗う琉球先住民族

1879年に日本政府に侵略、併合されて以降、琉球は日本帝国の植民地となり、その地の民族は先住民族となった。日本の政府や研究者は、琉球人から遺骨・厨子甕、琉球諸語、土地、米国・仏国・オランダと琉球国との修好条約原本、琉球国政府の評定所文書等を奪った。

私は、1996年に「国連先住民作業部会」、2011年に「国連脱植民地化特別委員会」、2020年と2022年に「国連先住民族の権利に関する専門家機構(EMRIP)」で報告し、世界の先住民族と交流して脱植民地化のための運動の輪を広げた。1996年から2023年まで約90人の琉球民族が国連の各種委員会に参加し、報告した。その結果、2008年に「国連自由権規約委員会」、2018年に「国連人種差別撤廃委員会」、2022年に「国連自由権規約委員会」、2023年に「国連人権理事会」は、琉球民族を先住民族として認めるよう日本政府に勧告した。

「先住民族の権利に関する国連宣言」(国連宣言)の草案起草の場であった「国連先住民作業部会」に多くの琉球民族が参加し、「先住民族の権利に関する特別報告者」、「先住民族問題に関する常設フォーラム」、「先住民族の権利に関する専門家機構(EMRIP)」などによる先住民族の権利回復のための国連システムが形成された。欧米各国でも「国連宣言」に基づき国内の先住民族に関する法律や政策が実施されてきた。2022年のEMRIPでも多くの先住民族は「国連宣言」を「我々の法律」と呼んでいた。

現在、日本政府が琉球民族を先住民族として認めないのは、「国連宣言」第30条(軍事活動の禁止)違反となり、「基地押し付け」という国策を実施できないからであると考えられる。しかし日本政府が認知しようがしまいが、ILO 169号条約に基づき、琉球民族は先住民族になり、「国連宣言」の適用対象となる。「国連宣言」の第12条でも、宗教的伝統と慣習の権利、遺骨や副葬品を返還させる権利が明記されている。

京都大学による遺骨盗掘・保管問題は、琉球先住民族の尊厳や自己決定権を侵害する人権問題である。琉球民族にとっての遺骨とは、骨神(ふにしん)であり、愛慕の対象であるとともに、先祖との確かな繋がり、先住権の土台となる。植民地支配下の不平等な関係性を利用して、京都帝国大学の研究者により琉球や奄美諸島から遺骨が盗骨され、研究が行われてきた。琉球民族遺骨の返還を拒否している京都大学は現在もその帝国主義、植民地主義を清算していない。

2 遺骨や「文化財」の返還は世界的な潮流

1990年、米国では「先住民族墓地保護・返還法(NAGPRA)」が制定され、スミソニアン国立自然史博物館など多くの博物館や大学から、先住民族の遺骨や副葬品がコミュニティに返還されてきた。戦中、戦後にかけて琉球の遺骨や「文化財」は米軍人によっても盗まれ、それらの返還運動が行政・民間によって行われた。1854年、琉米修好条約を締結した、米海軍のマシュー・ペリー提督一行は琉球国から「護国寺の鐘」(1456 年に尚泰久王が鋳造させた)を持ち出し、アナポリス海軍兵学校が保管していた。1987年に喜舎場静夫氏が同鐘を琉球に返還させた。また米兵が持ち出した『おもろさうし(尚家本)』、「万国津梁の鐘」も、戦後、琉球民族が返還させた。沖縄美ら島財団や沖縄県教育委員会は、2001年、琉球国王の王冠等の13点の「流出文化財」をFBI(米連邦捜査局)の「国際盗難美術ファイル」に登録した。

またペリー一行は2体分の琉球民族遺骨を持ち出したが、現在、同遺骨はペンシルベニア大学考古学人類学博物館で「モートン・コレクション」の一部として保管されている。サムエル・ジョージ・モートンは、世界中から1000体以上の頭蓋骨を収集し、頭蓋骨の大きさによって、人間の優劣を決定した人種差別主義者として批判されている。さらに同博物館は、1950年代初頭に米軍人により琉球から盗掘された4つの厨子甕、石製トートーメー等も保管している。

2023年7月8日から10日まで琉球において米国人類学会(会員数は約1万2千人で、世界最大の人類学会)の「遺骨の倫理的取り扱いに関する委員会」が聞き取り調査、百按司墓での現場検証を行った。現在、同委員会は世界中で遺骨返還に関する現地調査を実施しており、2024年5月に公表される予定の最終報告書は、学会の研究倫理指針、米国政府の法制化にも影響力を与えるという。沖縄県庁での記者会見において、同委員会のマイケル・ブレイキー共同委員長(ウィリアム・アンド・メアリー大学教授)は、「『北海道や沖縄で非常に多くの不満を聞いた』と振り返り、研究者が先住民に謝罪や遺骨の返還をしていないことについて、『日本の人類学者は非常に低い倫理規範で研究をしてきたのではないか』と批判した。米国カリフォルニア大学バークレー校・人類学部長のサブリナ・アガルワル委員も『日本政府や研究機関が先祖の遺骨や文化的遺産が返還されていない状況を作り出しているのは恥ずべきことだ』と指摘した」(『琉球新報』2023年7月12日)。

日本人類学会は、今回の米国人類学会による同学会に対するインタビュー調査を拒絶した。同学会は、1903年に大阪天王寺で開催された学術人類館の企画、運営にも大きく関与していた。学術人類館では琉球民族、朝鮮民族、アイヌ民族、台湾原住民族らの生きた人間が見世物にされ、研究の対象にされた。同学会は「学術人類館事件」に対して総括や謝罪を未だに行わず、2019年には琉球民族の遺骨研究の継続を京都大学に求めた。

3 琉球民族遺骨返還請求訴訟判決の歴史的意味

2023年9月22日、琉球民族遺骨返還請求訴訟の大阪高裁控訴審の判決が出された。原告の訴えは棄却されたが、その判決文には歴史的な文言が記された。2018年12月、京都大学に対して琉球民族のご先祖の遺骨返還を求めて京都地方裁判所に提訴した時から6年の間、原告は裁判所において遺骨の返還を訴えるととともに、京大研究者による遺骨盗掘事件の時代的背景になった、琉球併合の問題、日本の琉球に対する植民地支配体制などの歴史認識問題を主張した。また琉球民族が先住民族であり、「先住民族の権利に関する国連宣言」等の国際法に基づいた返還権を持っていることを踏まえて、先住民族による遺骨返還の世界的潮流についても訴えた。

その結果、大阪高裁判決文において、次のような歴史的な事実認定が行われた。

「1 事案の概要 本件は、沖縄地方の先住民族である琉球民族に属する控訴人らが〜」
「昭和初期の沖縄が大日本帝国による植民地支配を受けていたと評価できるとしても〜」
大阪高裁は、判決文の冒頭で琉球民族が先住民族であること、琉球が大日本帝国の植民地支配を受けていたことを事実認定した。これは日本の国家機関としては史上初のことであり、我々の主張が認められたことを意味する。

また判決文の「付言」では次のような文言が記載された。

「現在では、先住民の遺骨返還運動が世界各地で起こっている。オーストラリアでは1988年までにビクトリア博物館に保管されていた遺骨の返還がされ、その後も、イギリスやドイツ、アメリカ合衆国等からの遺骨返還が実現している。ドイツは2011年に旧植民地ナミビアに遺骨を返還している。アイヌ民族の遺骨は、2017年にドイツから、今年5月にはオーストラリアから我が国に返還されている。本件に関しても、金関が昭和9〜11年頃に、台北帝国大学(現在の国立台湾大学)に転任する際に持ち出した遺骨のうち頭蓋骨33体分は、国立台湾大学、沖縄県教育委員会らの協議に基づき、平成31年に沖縄県立埋蔵文化財センター収蔵庫への移管がされている。遺骨の本来の地への返還は、現在世界の潮流になりつつあるといえる。遺骨は語らない---。遺骨を持ち出しても、遺骨は何も語らない。しかし、遺骨は、単なるモノではない。遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる。持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきである。日本人類学会から提出された、将来にわたり保存継承され研究に供されることを要望する書面に重きを置くことが相当とは思われない。」

先住民族の遺骨返還が世界的な潮流であることを具体的に明記し、遺骨が「故郷」に還るべきことを指摘したことも日本の裁判所では初めてである。琉球民族が先住民族であることが前提とされ、その遺骨の返還は世界的潮流であると事実認定している。

1997年に札幌地方裁判所が出した「二風谷ダム建設差し止め訴訟」の判決文において、アイヌ民族が先住民族であることが、日本の裁判所において初めて事実認定された。その後、アイヌ民族の先住民族としての自己決定権運動が国内外において活発に行われるようになった。今回の「大島判決」も「二風谷ダム訴訟」と同様な歴史的意味があると考える。

本訴訟と車の両輪の関係にある、那覇地方裁判所に提起されていた「琉球民族遺骨情報公開請求訴訟」の判決が、2023年9月28日に出された。那覇地裁は沖縄県教育委員会に対して、金関丈夫が盗掘した26体分の頭蓋骨に直接墨書されていた盗掘場所名の公開を命じた。それを受けて沖縄県教育委員会は、遺骨を各市町村の教育委員会に移管することを決めた。

琉球は、京都大学による違法な盗掘・保管という問題の他にも、米軍基地・自衛隊基地建設問題、歴史教科書問題、同化教育問題など、日本政府による植民地支配から派生する多くの問題群に直面している。「大島判決」で示された画期的な事実認定や文言等は、これらの問題群の解決に道を開く上において法的土台になる。

4 現代まで続く京都大学と日本帝国主義との関係

これまで日本の形質人類学者は、骨、ゲノムなどに基づいて、琉球民族を「日本人」に同化するための仮説である「日琉同祖論」を正当化してきた。近年でも「ヤポネシアゲノム研究」が日本政府の研究助成を受けて行われた。日琉同祖論とは、琉球民族が「日本人=原倭人=ヤポネシア人」であることを、「縄文人の血の多さ」「突顎の頭蓋骨」「ミトコンドリアDNA」等から証明し、「日本人」に囲い込むための仮説である。それにより琉球は「日本固有の領土」であるとされ、太平洋戦争では「捨て石作戦」の戦場として利用され、戦後は広大な米軍基地が押し付けられてきた。

戦前から現在まで続く、日本人類学会の主要な研究テーマは「日本人起源論」である。「日本人」がいつ、どのように日本列島に住み始めたのかという研究が現在も続いている。琉球併合後、日本人研究者が琉球民族を「日本人」に同化するための研究を行うために遺骨を盗掘した。現在、日本の学会において主流の仮説となっている二重構造論(日本人は縄文系と弥生系とから構成されるとする仮説)の中で、琉球民族は縄文系として日本人に囲い込まれている。

琉球国を統一した第一尚氏の先祖の遺骨が日本帝国の大学研究者により奪われ、それを奪回する過程は、「琉球ナショナリズム」を社会的に喚起する過程となった。琉球国を形成し、運営してきた琉球民族の遺骨を奪い、「日琉同祖論」を正当化するための研究が行われることは、琉球に対する二重の侵略であり、搾取である。

日王(天皇)の墓の遺骨を取り出し、研究することは日本において現在でも禁止されている。日本の植民地となった琉球の王族・貴族の墓からは、遺骨が盗掘され、現在も返還しなくても日本の裁判所では罪にならないのである。これは今も琉球が日帝の植民地支配下に置かれていることを意味する。京都大学や日本人類学会は、奪った遺骨により日琉同祖論を正当化し、琉球民族を日本人に同化して、その先住民族の権利(先住権)を奪い、これからも米軍基地、自衛隊基地を押しつけ、琉球と中国とを対立させ、植民地支配をさらに強固にするために琉球の歴史・文化の源流を日本に措定しようとしている。

日本はこれまで、1609年と1879年の2回、琉球を侵略し、植民地支配をおこない、沖縄戦では琉球民族を虐殺し、強制的集団死に追い込み、現在も広大な米軍基地を押し付けている。日本人研究者は、植民地支配による琉球民族と日本人との不平等な関係性を利用して墓から遺骨や厨子甕等を盗み出した。近年、日本政府は、「台湾有事」「離島防衛」を掲げて自衛隊(日本軍)の軍事基地を琉球諸島に設置し、沖縄島の辺野古に新たな米軍基地を建設している。

遺骨、厨子甕を盗掘して、その返還を拒否し、米軍基地を押し付けることは、琉球民族への差別を意味する。琉球民族が、差別する側の日本人と同じ祖先であるとする仮説「日琉同祖論」は虚構でしかない。

また京大が遺骨を返還しない理由は、京大が「帝国大学」として犯した戦争犯罪、植民地主義犯罪を総括し、反省し、謝罪したくないからであろう。京都帝国大学医学部の教授であった清野謙次は、中国で細菌・毒ガス兵器の人体実験、同兵器の使用で中心的な役割を果たした日本陸軍「731部隊」の司令官・石井四郎の大学での指導教授である。清野は自らの研究室の学生を731部隊に送り、その見返りに研究資金や「研究成果」を手に入れた。戦後、米政府は、石井らから兵器や人体実験のデータを入手する代わりに免責としたため、京大は自らの戦争犯罪を調査、総括することもなく、現在まで至っている。

清野は研究室の弟子を使い、約1400体以上の遺骨を日本帝国内外から集め、それは「清野コレクション」と呼ばれている。その中には、琉球民族、奄美人のほか、アイヌ民族、樺太アイヌ 、朝鮮人、中国人、台湾原住民族、ネイティブ・アメリカン等の遺骨が含まれている。琉球民族の遺骨を返還することは、他の違法で、反倫理的に収集された遺骨の返還も視野に入ってくる。現在、欧米諸国の大学や博物館では、自国のまた大学の帝国主義、植民地主義を問い、奪ってきた遺骨や「文化財」の返還が大きな潮流となっている。琉球民族の遺骨や「文化財」については、本訴訟により端緒が切られ、関心が集まり、議論が深まってきた。

京都大学には帝国大学時代に日帝の旧植民地、半植民地から奪った遺骨、先住民族の遺骨が今も秘匿されている。京都大学だけではなく、東京大学にも琉球民族の遺骨があることが知られている。琉球や日本の人々とともに、日帝の被害者であるアジア太平洋の人々、政府機関、大学等と協力して、奪われた先祖の遺骨の返還運動を進めていきたい。遺骨は民族の先祖と子孫とを繋ぐ神、神聖なものであり、民族運動の求心的な役割を果たす。
琉球民族が奪われたものは遺骨だけではない。その国が奪われ、土地が奪われた。米国、フランス、オランダと琉球国が締結した修好条約の原本も琉球併合の過程で日本政府によって盗まれ、今は日本政府の外交史料館にある。大阪にある国立民族学博物館博物館は、厨子甕や骨壺を保管し、琉球民族を「日本人」として分類するなど、そのアイデンティティを奪った。さらに、琉球併合後、日本政府は「会話伝習所」「沖縄師範学校」を設立して、「方言札」などにより琉球諸語を奪い、日本語を押しつけてきた。

琉球民族の遺骨を奪い、その研究により日琉同祖論という虚構の仮説を研究者が正当化し、琉球を「日本固有の領土」にすることで、日王、日本政府、「多数派日本人」が生き残るための捨て石にしようとしている。そのような日帝による国策の遂行を食い止めるために、琉球民族遺骨返還請求訴訟、情報公開請求訴訟を提起したのである。

琉球先住民族は、日本帝国主義から解放されるために、先祖の遺骨返還闘争をこれからも続ける。

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