反靖国~その過去・現在・未来~(15)

土方美雄

靖国神社の「過去」~戦後、その公的復権への動き~ その5

前回までに、詳述したような、紆余曲折の結果、1969年、ようやく、自民党は、根本私案をベースにした、靖国神社国家護持法案を、国会に提出した。しかし、憲法の枠内での靖国神社の国営化を目指す、自民党主流派と、あくまでも、靖国神社の「伝統」を重んじる、推進勢力との間には、どうしても埋まらない溝があり、それをいわば、内包したままでの、両者の折衷・妥協案としての、靖国法案であったことも、また、事実である。

たとえば、1967年、村上私案がまとめられた過程で、すでに、その問題点を、同年6月22日付の『毎日新聞』は、以下のように、報じていた。
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「神社でなくなる? 靖国神社」

靖国神社が国の手にかえる?– 長い間、性格論争をまき起こしている靖国神社について、このほど衆院法制局で国家護持とする法案を出し、推進母体である自民党遺家族議員協議会は明治百年を迎える四十三年(一九六八年)四月一日実現をメドにして二十二日、同協議会総会で正式に決定し、今国会に持ちこむという。日本遺族会、神社本庁、靖国神社などの意見を調整していた同協議会小委員会(村上勇委員長)は、これで長年の論争に終止符を打つといっているのだが–。明治維新以来、『お国のために』戦死した二百四十万余柱をまつる靖国神社をめぐる国民感情には複雑なものがあるだけに、『第二の紀元節論争』が起こるのは必至のようだ。

別格官幣社であった靖国神社は、終戦で、『特攻の精神基地』とされ、宗教法人に組入れられた。憲法二十条、八十九条は、国が宗教法人に国費を支出することを禁じているため、国との関係は断ち切られた格好となった。このため、『国家の命令で死んだ国民に、国が線香一本立てない』現状を何とかしようという動きと、これに対して『純粋な運動のほかに、かつての国民精神統一といった軍国主義のニオイがついている』という強い反対があり、問題になっていた。

今度の法案は、憲法との関係が問題なので宗教法人を離れて特殊法人の『靖国神社』とし、第一条に『戦没者および国事に殉じた者に対する国民の崇敬の象徴であり、その感謝し尊敬の念を表すため、これらの人々の遺徳をしのび、その功績をたたえる行事などを行ない、その偉業を永遠に伝えることを目的とする』として第五条には『非宗教性』をうたうため神札授与所、さい銭受けなどの撤去や宗教儀式の禁止、いかなる宗教的活動もしてはならないと、その神格を全く認めていない。このため国家護持賛成側からも強い不満が出ており、特に第五条について、『宗教』の象徴である大鳥居までとるのか、という疑問や追悼行事から宗教性をとれば、ノリトもよめず、『背広のお役人がおじぎをするだけか』などの声も出ている。

しかし、法制局は現憲法下ではこれがぎりぎりの線で、これ以上は憲法を改正する以外にはないと頭を痛めている。

一方、仏教界、キリスト教界は、神社本庁が『紀元節復活のあとは、第二段階として靖国神社、伊勢神宮の国家護持だ』といっていることから態度を硬化させ、靖国神社の宗教法人離脱をきっかけに全国の神社が別格扱いになれば『国家神道』の復活になると監視の目を光らせている。

『靖国神社の国家移管論』は三十一年(一九五六年)春に『特殊法人靖国招魂社』に改めようとする自民党案と『国営靖国平和堂』にしようという社会党案を国会に提出しようとしたが、憲法論争を中心に紛糾、このため流れたいきさつがある。

『神格は必要だ』 靖国神社・筑波宮司の話

戦争は国民が国家の命令でかりたてられ、死地におもむいたためので、国が経費を出すのが当たり前だ。しかし、国民の神社なのだから、なにもかにも国が監督するというのはよくない。宗教というより国民の自然の感情、感謝の気持ちがありのままに出せればよいのだ。『みたま慰め』の場としての神格は必要だ。

『自衛隊参列で盛大な例祭を』 村上勇・自民党小委員長の話

早く形をつけないといけない。親類縁者がいるうちはいいが、百年後になったら、だれが面倒をみるのか。法案は満足すべきものではないが、新憲法下ではやむをえまい。わたしは春秋の例大祭は、自衛隊の軍楽隊が総動員して、にぎやかに軍楽を奏で、その中を陛下、総理大臣以下がおまいりするといった光景を実現したい。(中略)

『神格喪失は困る』 日本遺族会・吉田事務局長の話

国家護持案が固まったことはうれしいが、神格が無視されたことは何といってもさびしい。神社本庁のいろいろな動きとは一切断絶して、純粋な願いを貫いていく。
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引用が、いささか、長くなった。しかし、法案は国会に提出されたものの、その両者の間の溝は、ついに最後まで、埋まらないままだったのである。

以下、続く。

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