栗原俊雄『勲章 知られざる素顔 』

辻子実

2023年11月3日(金・休)アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam )企画の「日本の近現代史からみる・天皇制と勲章」講師:栗原俊雄(毎日新聞記者)に参加しました。

wamでは、2020年から天皇由来の「祝日」の内4日間を「祝わない」ために.「wamセミナー・天皇制を考える」連続講座を開催していますが、今回は第12回。

11月3日は、「世界コスプレの日」でもあるらしいのですが、1945年以前は、明治天皇の誕生日を祝う「天長節」に由来する「明治節」で祭日でした。1948年自由と平和を愛し、文化をすすめる「文化の日」として復古しましたが、天皇由来の「祝日」故に、移動祝日にならないのです。

講師の栗原さんと言えば、『硫黄島に眠る戦没者 見捨てられた兵士たちの戦後史』(岩波書店・2023)などで、「硫黄島」の専門家だと思っていましたので「勲章」の専門家でもあるとは知りませんでした。

私自身は、叙勲制度自体全否定の立場なので叙勲制度にほとんど関心がありませんでした。

栗原俊雄著 『勲章 知られざる素顔 』(岩波新書、2011)

しかし栗原さんが講演の中で指摘されていましたが、制度自体、日本国憲法第7条に定められている天皇の10の国事行為の一つとして「栄典を授与すること」があり、かつ年間数十億以上の予算が執行されていることを改めて、教えられました。

講師の栗原さんが、そもそも類書が無いという『勲章 知られざる素顔 』。各所に散りばめられたインタビュー、トリビアが面白いです。「大勲位」を過去に批判していた(p.153)中曽根大勲位風見鶏を読むだけでも勲章制度の矛盾が見えてきます。

中曽根は若いころ(1963年)、政治家が勲章をもらうことに批判的だった。・・・「戦前は宮中席次や位階勲等など、天皇との距離でその人間の値打ちをはかったものだ。この意味で戦前の勲章の復活などは、今の憲法にふさわしくない。第一、いまどき勲章もらったって、いつ、どんな服につけるのかね」(p.153)

中曽根大勲位風見鶏以上に凄いのが、日本国のアメリカ・ポチ風見鶏。
1964年、鬼畜米英からたった19年で、《夜間・低空・無差別爆撃》(p.167)を立案、命令した元米航空部隊司令官カーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を贈った日本。ルメイへの叙勲は、無差別爆撃を日本は容認している証明になってしまうのではないでしょうか。

1916年勲一等旭日大綬章を受けていた尾崎行雄は、1946年に返上。(p.156)《昭和天皇に狂歌を》けふは御所 きのふは獄舎 明日はまた 地獄極楽いづち行くらん

受勲と連動して行われる「位階」も問題があることを指摘しておきたいと思います。
位階とは、街角で赤地に白文字の「正一位稲荷大明神」の桃太郎旗を見た方も多いと思いますが、あの「正一位」です。

勲章制度は、1875年の太政官布告に始まりますが、位階の歴史は603年まで遡ると言われています。

現在は死後授階になっていますが、天皇の権威は死後にも及ぶのです。
受勲資格が「官高民低」と良く言われますが、そもそも官の為に作られた制度なのですから、「官高民低」なのは当たり前です。

他にも仏教界における紫衣授与、大師号授与、禅師号授与などいろいろな所で、天皇から授与される名誉称号が現在にも生きている事を私たちは、知っておきたいと思います。
「位というのは実につまらぬようなものですけれども、言うに言われない効用がある。第一に金がかからない。ただ御紋服をたまうということと同じで、位をたまうというのはそれでおしまいだ。そうしてそれがときどきは役に立つ」(武者小路公共、p.71)

現在は復古されていませんが、1945年以前には軍人専用の「金鵄勲章」が存在していました。

金鵄勲章は、軍人であれば誰でももらえるわけではなく、「武勲抜群」でなければならなかった。戦争がなければ受章することのない勲章。(p.30)

自衛「官」の職歴が叙勲基準に反映される様になった時、「皇軍」であるとの宣伝に使われるのではないかと危惧します。

靖国神社社報『靖国』820号(23.11.01)に岩田清文・元陸上幕僚長の「自衛官は靖国に祀られるのか」という論考が掲載されました。

各地の護国神社では、自衛官を格下祭神扱いではありますが合祀している神社がありますが、靖国神社は従来「皇軍」の戦没者を祭神に合祀することを大原則にしていますので、「皇軍」ではない自衛官の合祀はありませんでした。岩田の「国民に対し命を守る捧げる」というマヤカシ論を社報に掲載したということは、自衛隊皇軍論派が靖国神社と相計らって、どうせ天皇の「親拝」はA級戦犯合祀問題もあって当分の間実現する可能性はないだろう。だとしたらA級戦犯合祀同様に自衛隊員の合祀を拒否されないように根回しをして、天皇に「上奏」し天皇の「諾」を得たとして、天皇の心は「勅使」参向が今も行なわれていることに表れている、と宣伝をするのではないかと危惧します。

金鵄勲章が復古されなくても、靖国神社合祀という「実につまらぬようなものですけれども、言うに言われない効用がある。第一に金がかからない。」(武者小路公共)効果を恐れます。

『勲章 知られざる素顔』というタイトルですが、勲章の闇を知る入門書として本書は最適です。

 

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