潮来育樹祭反対デモ報告

                      加藤匡通(潮来育樹祭に反対する会議)

植樹祭、育樹祭ともに二巡目に入り、茨城でも二巡目が来ている。植樹祭は2005年6月に潮来市にある水郷県民の森で行われ、この時は明仁が来ている。そして今年、11月に同じ水郷県民の森で育樹祭が行われ、今回は秋篠宮が来た。私たちは半年前に知ったので、慌てて反対運動を始めた。これまでなら、「戦時下の現在を考える講座」として取り組むところだが、今回は期間限定で「潮来育樹祭に反対する会議(略称いい会議)」を立ち上げた。

ちなみに茨城県では国体二巡目は2019年9月に、海づくり大会は1992年に千葉と合同で行われている。四大天皇行事の残る一つの国民文化祭は2008年に行われているが、この時はまだ天皇行事ではなく皇太子の出席だった。

育樹祭は潮来での儀式めいた「お手入れ」と水戸での半ば芸能イベント的な式典行事などからなるが、私たちは潮来での式典当日の集会とデモを目標に動き出した。まずは潮来市内での地域の人々に呼び掛けての学習会だろう。しかし潮来市内の公共施設はどこも借りれなかった。地元住民が利用者の七割いないと駄目、コロナ後に地域の活動が活発になってきたので市外の団体への貸し出しは当面中止、が理由だが後者は明らかに私たちを排除するために頭をひねった結果である。そこまでするのかと、ちょっと感動した。

潮来市は北浦と常陸利根川にはさまれた市で、鹿行地方に入る。鹿嶋、行方の鹿行でどちらも今では市になっている。両市とも当たってみたが公共施設は使えず、ビラも置けずに終わった。行政交渉すべきだったのかもしれないが、私たちにその余裕はなかった。
結局学習会は潮来市内のホテルの会議室を使って七月に「育樹祭について考えるための学習会」を主催が講師役で、9月に「育樹祭と天皇制について考えるための学習会」を千本秀樹さんを講師として行った。参加はそれぞれ8名と7名である。

SNSを使っての発信にも力を入れ、会場使用の問題やデモ申請について逐一報告をした。これは運動があまり行われていない地域での具体的な動きの記録を残そうと思ってのことだ。SNSからは大学生や20代とつながり、そこから県内の大学での情宣へも発展した。
潮来市の管轄は行方署なので行方署でデモ申請をしたが、警備課の署員に申請の受付をすること自体が初めてだと言われ、内心絶句した。それ、言っちゃうかね。

デモはJR鹿島線潮来駅の近辺で考えた。この国の地方は公共交通が崩壊している。式典会場の水郷県民の森へはバスもほぼない。そもそもデモで歩ける距離でもない。警察の阻止線を突破する気力も体力も実力もない。無理はしない方針である。市内の会場が使えないので集会は断念した。

11月11日、潮来市内で秋篠宮が「お手入れ」する当日に私たちはデモを行った。デモ出発は内洲第一児童公園、そこから商店街を通って幹線道路の51号線に出て潮来市役所で折り返し、潮来駅に戻るコースである。

参加者は45名。これは私たちが行ってきた中で最大の人数だ。茨城に来て初めて見たデモは共産党系のデモだったが、50人だった。正直これだけかと思った。だが自分が一人で運動を始めてみてから、人を集めることがどれだけ難しいことなのかをこの15年痛感し続けている。傍から見ればちっぽけなデモだろうが、これだけ集まってくれたのは本当にうれしい。

普段デモをやっているつくばが比較にならないほど人のいない潮来の街中でのデモとなった。かつては水運で栄えたが、今は観光地であるものの北浦湖畔のホテル街にも廃業したものが目立つ。商店街にも駅前にも人の姿はない。国体の時の東海駅周辺のデモより人ははるかに少ない。いない。

「育樹祭はやめろ!」「皇族は潮来から出ていけ!」「大地は天皇のものじゃない!」「海は天皇のものじゃない!」「スポーツは天皇のものじゃない!」「文化は天皇のものじゃない!」「民主主義に天皇はいらない!」「勝手に統合するな!」といったコールが響き渡る。公民館の前では「市民に施設を使わせろ」とコールをし、市役所の前では育樹祭の横断幕や前回植樹祭の碑(あるのだ)めがけてシュプレヒコールをした。人は歩いていなくとも、確かに住んでいるし生活している。おそらく10年以上潮来の街中でデモは行われていない。そんなところでデモが通れば何事かと窓を開けるし店から人も出てくる。中には怒鳴り声を上げる者もいるが、それだってデモに対する反応だ。普段目にすることのない異物が、異論が目の前に現れた。まずはそこからだろう。

予定の90分を目いっぱい使ってデモは無事終了した。もっと時間に余裕のあるつもりだったので、最後の方はひやひやしていたのは内緒である。

デモ後の交流会には半数以上が参加し、様々な地域、年代で交流を楽しんだ。その一方で、デモで垣間見た衰退する地方の姿は衝撃的だったようだ。

反天皇制運動は後退局面にあると言っていい。世代交代は出来ず、参加者は減り、地域も減っていっている。私たちは反天皇制運動をやり直さなければならない。今回の潮来育樹祭反対運動がその取っ掛かりになればと思ってこの半年取り組んできた。報告集を来春に出して一連の取り組みは終わるが、その次を考えている。

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