変わるタイ:新しいイデオロギー、古い政治

要約・翻訳:編集部

Watcharin Rattanataymee, “The Diplomat” 2023/08/18
https://thediplomat.com/2023/08/changing-thailand-new-ideology-old-politics/

*”The Diplomat” は、インド太平洋地域の政治、社会、文化を取り上げる国際的なオンラインニュースマガジンです。ワシントンD.C.を拠点としています。発刊年:2001年、創設者: 株式会社MHTコーポレーション


首相選挙では敗れたが、前進党の国政選挙での勝利は、タイの政治に新たなダイナミズムを生み出した

5月14日に行われたタイの国政選挙で、野党の前進党(以下MFP)とプー・タイ党(以下PTP)が勝利し、プラユット・チャンオチャ首相の8年にわたる長期政権が終焉を迎えた。プラユット首相は、2014年のクーデター後に政権を獲得し、論争の的となった2019年の選挙後もその地位を維持した将軍であるが、最近になって政界からの引退を表明した。

MFPが不敬罪法(刑法第112条)の改正を意図していることを考えると、同党が選挙で圧勝したことは、タイの人々の間に、明らかなイデオロギーの対立があることと、これまで急進的とされてきた立場が主流になりつつあることがわかる。しかし、MFPが連立政権に参加することを阻止しようとする協議がおこなわれており、変化を求める有権者の願いが実現するかどうかは不透明である。

MFPのピタ・リムジャラーンラット党首は、首相に就任するための国会内での票を確保できなかった。現在、PTPはブームチャイタイ党との政権樹立を目指しており、MFPは野党に追いやられている。この結果に対するピタ支持者の不満は強いが、現実の政治の最前線では挫折したものの、MFPの選挙での成功はタイ政治に新たな活力をもたらし、それは今後も続くだろう。

保守政党は2023年の総選挙で下院の議席の半分以下しか確保できなかったが、軍事政権によって任命された上院の250議席と合わせると、両院の3分の2以上を支配している。この保守勢力はピタに政権を樹立する権限を与えることを断固として拒否しており、PTPが率先して保守勢力と新しい連立政権を樹立することを望んでいる。しかし、PTP自身が多数派政権を樹立するだけの議席を持っておらず、PTPは、元政権指導者であるプラウィット・ウォンスワン将軍とプラユット元首相が率いる2つの政党のいずれかから支持を得るか、MFPを説得して首相候補に投票してもらう必要がある。だがこの最後の選択肢については、MFPが既にその可能性を否定している。

PTPがMFP抜きで政権を樹立するという決定は、多くの人々に政治的なUターンと解釈されている。すでに、PTPやタクシン・チナワット元首相の関連政党を支持してきた赤シャツ運動の指導者たちは、PTPへの懸念や不支持を表明しており、PTPがMFPと連立を維持することを要求する市民デモが行われている。MFP抜きでの政権樹立は、保守政党と上院の票数獲得につながる現実的な解決策ではあるが、PTPが反軍事のイメージを回復できなければ、大きな代償を払うことになるだろう。

短命に終わった連携において、PTPとMFPの議長席をめぐる対立は、すでに両党の戦略の相違を示していた。PTPの穏健なリベラル姿勢と、不敬罪法の改正のような急進的な目的に関わろうとしないあり方は、多くの有権者の政治的要求を満たすことはできないだろう。

PTPとMFPの支持者は、直近では2022年後半に軍による暴力に直面している。特に赤シャツ派の間では、2010年の大虐殺の記憶が生々しく残っている。彼らの経験は、軍事勢力とのいかなる妥協をも拒む感情的な政治を生み出している。

このダイナミズムは長期的にはMFPにとって有益である。次の選挙でPTPの支持者が大挙してMFPに流れる可能性があるからだ。一方PTPは保守層を取り込むか、赤シャツ支持層を再建するかの選択を迫られ、政治的災難に直面する。PTP反対派は易々と、PTPを政治的な信念がないと非難し、それでもPTPを支持する人々をチナワット家の個人的な崇拝者だと決めつけるだろう。

しかし、PTPのイメージ問題は、政治的なUターンにとどまらない。同党とチナワット家との密接な関係も問題である。タクシン・チナワット元首相が刑法112条改正に反対したことや、軍部との「超法規的取引」が噂されたことが、今回の失墜に大きく寄与した。亡命中の党首によるこれらの動きは、彼を反動的とみなす進歩的な有権者や、PTPのかつての反軍国主義が基盤となっていた赤シャツ派を遠ざけた。チナワット夫妻の党への個人的な投資は、解決困難な負債になりつつある。

要するに、PTPがUターンした後、2つの政党は2つの別々な政治的軌道に乗ったということだ。次の選挙で、PTPは反軍国主義のイメージを再構築しない限り、岩と岩の間に挟まれることになり、MFPはその情緒的な勢いを維持し、急進的な精神が衰えないようにしておく必要があるだろう。

イデオロギー状況の変化と軍部組織

タイの歴史に詳しい人なら誰でも、タイの政治に軍が頻繁に介入してきたことを知っている。そもそも、軍部がなぜこのようにオープンな選挙を許したのか、なぜ進歩的な運動がこれほど勢いを増すのを許したのかという疑問が生じる。

その答えはおそらく、自分たちは国会を政治的に支配できているとする軍部エリートの自信にある。ピタに対する最近の国会活動停止処分は、2019年の選挙後の未来志向党(FFP)の解散を踏襲したものであり、国会の掌握を通して、軍部がどのように反対派を扱うかを示している。外部からの軍事介入は不要というわけだ。

軍部がその核となる政治的ゲームを信頼していたために、プラユット政権はスキャンダルや広報の失敗に対処できなかった。プラユット将軍の高級腕時計問題からパンデミックの不始末に至るまで、政府の不手際は国民の嘲笑と怒りの対象になってきた。これが選挙での敗北につながったのである。しかし、上院の議席を掌握している彼らの議会での優位は揺るがず、軍部関連政党はこのPR問題、そして選挙の失敗を見て見ぬふりができるのだ。

とはいえ、この作戦は反体制感情の高まりを解決するものではない。軍の過去の悪行は、少なくとも進歩陣営の人権に関する声高な活動のおかげで、ここ数年、大きく広く注目されるようになった。強制失踪、非民主的な法律、そして抗議活動への暴力的な弾圧は、今や国内や国外在住のタイ人社会でよく知られ、よく議論されるテーマとなっている。これらの問題は、軍の悪行の歴史や王制派のウルトラナショナリズムの体制と深く結びついている。

リベラリズムと進歩主義へのイデオロギーの転換は、保守的な体制に対する不可逆的な挑戦である。王制派・君主主義のイデオロギーは、1957年のサリット・タナラット元帥のクーデター以降、強固なものとなり、以来、教材の規制、言論統制、メディアのレトリックを通じて強制されてきた。このイデオロギーはまた、人権侵害を文化的・国家的安全保障上の行為として正当化している。これとは対照的に、進歩的なレトリックは、このような出来事を軍事的抑圧としてとらえ直し、厳しいイデオロギー規制や洗脳教育のない、より自由な社会を求める。

このダイナミズムは軍にトリレンマ(選択肢が2つではなく3つあるジレンマ)をもたらす。軍には3つの選択肢がある。

その1.国民の怒りに応え、王制派のイメージと血塗られた歴史に立ち向かう。

その2.国民の間に起きているイデオロギーの変化を無視し、議会の保守派連合に依存する。ただしこれは、もし非軍事連合が下院の大半を制するか、野党が上院の権限を改正することができれば、覆される可能性がある。保守派内の派閥抗争も、議会での勝敗を大きく脅かす可能性がある。

その3.軍事力を再び使用する(クーデターを指す)。ただしそれは進歩的な言説をさらに強化し、政治的不安定がもたらす経済的影響を悪化させるだけだろう。

二極化する人々の中の王制

王制も同様の問題に直面している。サリットのクーデター以来、君主制が軍と強い関係にあるおかげで、進歩的な人々の権力に対する疑問は王宮にまで及んでいる。これに深刻な経済格差とヴァジラロンコン国王の不人気イメージが加わり、王制の文化的、政治的、経済的有用性に対する懐疑論が広がっている。

歴史的に、軍と王制は互いの政治的・イデオロギー的権力を強化しあってきた。しかし、軍とは異なり、国王の社会的・政治的活動は象徴的・儀礼的な役割に限定されている。この不文律は、1992年の「黒い5月」暴動を解決した全国放送において、プミポン国王によって確立されたものである。

今日でも、テレビで放映される国王の姿は、国王を敬愛する人々の間で人気の映像だ。これは、政治や社会紛争に対する君主制の超越的な立場を明確にしたものであり、過去の大規模な暴力事件の際の王宮の沈黙とは対照的である。微妙なところでは、軍部が政治において必ずしも王宮を代表しているわけではなく、王宮は政治的な進展について発言権を持っていないということを暗示している。

このことはMFPにとって好都合だ。MFPは、不敬罪法改正の意図を説明する時、王室そのものではなく、保守派による法の乱用が問題なのだと繰り返し強調してきた。しかしこの法律が廃止されれば、人々は王室とそのネットワークについて公然と議論し、批判できるようになる。この法律の廃止は、政治的言説の新時代を意味し、国王を失望させるだろう。

王室はいかなる現実的な政治方針も持ち合わせていない。もし政治的なムードの変化に対応しようとすれば、超越的なイメージを壊し、自らを戦火に巻き込むことになる。だから、王室の運命は相変わらず保守的な現状に縛られたままである。その現状とは、国王は、そのような干渉が露わにならないようにと願いながら、代理人を通じて微妙な影響を与えることしかできない、というものだ。

首相選挙での後退にもかかわらず、MFPの国政選挙での勝利はタイの新しい世代の政治的意志を示している。2023年5月の選挙は、選挙政治にとどまらず、広くイデオロギー的な潮流の転換を象徴するものになるかもしれない。このリベラルな進歩的運動は、これまでほとんどタブー視されてきた政治的・社会的問題についての重要な議論にさりげなく火をつけたのだ。

この運動の鍵となる勝利は、選挙の勝利ではなく、沈黙していた不正義を口にする言説を再構築したことである。これは根本的な方向転換であり、どのような政権が誕生しようとも元に戻ることはないであろう。

【編集部捕捉】この記事が掲載された後の8月22日に、PTPは、親軍政党を含む旧連立与党と連立合意のもと、第1党のMFPを抜きにして、PTPの首相候補セター・タウィシン氏を首相として選出することに成功した。同日にタクシン元首相は、17年間の亡命生活から帰国した。首相指名選挙の結果およびタクシン氏帰国の意図や影響についてなど、10月に関連記事を紹介します。

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