オランダ国王が奴隷制に対する歴史的な関係を謝罪

要約・翻訳:編集部

Donna Ferguson, “The Guardian” 2023/07/01
https://www.theguardian.com/world/2023/jul/01/dutch-king-apologises-for-countrys-historic-involvement-in-slavery

オランダ奴隷制廃止160周年の記念日にウィレム・アレクサンダー国王は、
レイシズムはいまなお現代の問題だと述べた。

オランダ国王ウィレム・アレンサンダーが、奴隷制に対するオランダの歴史的なかかわりと、それが今なお現代社会に与えている影響について謝罪した。国王はカリブ海のかつての植民地を含む、オランダにおける法的な奴隷制廃止160周年の記念日に当たり、アムステルダムでスピーチを行なった。感動的なスピーチのなかで国王は次のように述べたのだ。「オランダの奴隷制の歴史を記憶する今日の日に、私は人道に反する罪についての許しを請う。皆の王として、そして政府の一員として、私は自ら謝罪する。そしてこの言葉の重みを私の心と魂に刻む」と。国王はまた、オランダ社会におけるレイシズムは今なお問題で、誰もかれもが自分の謝罪を支持するわけではないだろう、とも述べたが、「時代は変わり、ケティ・コティ…鎖はついに断ち切られたのだ」と呼びかけてオーステル公園の国立奴隷記念碑に集まった何千人もの人々の喝さいを浴びた。

「ケティ・コティ」とは「鎖が断ち切られた」を意味するスリナム語で、奴隷制を記憶し解放を祝う記念日である7月1日につけられた名前でもある。奴隷制はスリナムとカリブ海のオランダ植民地で1863年7月1日に廃止されたが、その後さらに何十年ものあいだ、多くの奴隷状態の労働者が引き続きプランテーションでの労働を強いられた。

オランダ国王の謝罪は、大西洋奴隷貿易とかつてのアジア植民地における奴隷制を含む、オランダの植民地支配の歴史についての、幅広い「再考」の中から出てきたものだ。2020年にウィレム・アレクサンダーはインドネシアで、オランダ植民地支配における「行き過ぎた暴力」を謝罪している。その12月には、マルク・ルッテ首相が、オランダ国家が大西洋奴隷貿易に責任を有し、そこから利益を得ていたことを認め、謝罪した。しかしルッテは2021年、諮問委員会の助言を受け入れず、政府は賠償金を支払わないとした。

昨年、ウィレム・アレクサンダー国王は、16世紀から現代までのオランダ奴隷制において、現王室であるオラニエ=ナッサウ家が果たした役割を調査するように指示を出した。その結果は2025年に公表される予定である。昨月出版された研究によれば、オラニエ家は1675年から1770年までの間に、オランダ植民地の奴隷制から、今日の金額にして6億ドル(約852億円)もの利益を上げたという。これには、オランダ東インド会社が贈り物として王家に差し出した分け前も含まれる。

イギリス王室も、少なくとも一度は同様の贈り物を受け取っていることを4月にガーディアン紙は明らかにした。ガーディアン紙が公表した文書によれば、1689年、王立アフリカ会社の1,000ポンドの分け前が、同社の今や悪名高き副総督エドワード・コーストンからウィリアム3世にわたっている。王立アフリカ会社は、1660年にステュアート王家とロンドン市の商人たちによって創設されて以来、西アフリカ海岸に沿って、何千人ものアフリカの人々を捕らえ、奴隷にし、運んで貿易をおこなったのだ。ガーディアン紙はさらに、チャールズ3世と王室の直接の祖先が、ヴァージニアのタバコプランテーションで奴隷にされた人々を購入し搾取したことを明らかにした。また近年発見された文書からは、イギリス国王とその母である故女王の直接の祖先が、「エドワード・ポーテス」と呼ばれるヴァージニアのタバコプランテーションを所有し、1686年には少なくとも200人の奴隷にされた人々を王立アフリカ会社から購入したことが判明した。
ガーディアン紙の報道に対しチャールズ国王は初めて、イギリス王室と大西洋奴隷貿易とのつながりに関する調査研究を支持する様子を見せた。バッキンガム宮殿の報道官は当時、チャールズ国王が奴隷制の問題について「深く真剣に」考えており、「きわめて残虐」と表現していると伝えた。調査研究への支持は、チャールズ国王が、「奴隷制の今なお続く影響」に対する理解を深めるプロセスの一部であると報道官は述べ、「そのプロセスの一環として王室は、王家のコレクションや文書館を利用する研究も認める」と付け加えた。

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