小野雅章『教育勅語と御真影 近代天皇制と教育』(講談社現代新書) 

 

志水博子

「『君が代』の歌詞を暗記している児童・生徒の数を回答してください」--そんな調査が行われた。戦中の話ではない。つい最近の話だ。本年(2023年)3月、大阪府吹田市教育委員会が全ての市立小中学校を対象に入学式や卒業式での国歌斉唱の実態を尋ねる一斉調査を実施していた。新聞報道によると、2月の市議会で自民党市議から、指導の効果を確認したいなどとして暗記状況を聞く質問があったためという。しかも2年前にも議会側から要請を受け同様の調査をしたとある。

広田照幸・日本大教授(教育学)は「市教委の調査は『不当な支配に服することなく』と定めた教育基本法16条に反する可能性がある」と指摘。「教育の政治的中立の考え方からすると、市議の求めに応じ、児童生徒や教員の防波堤になれなかったことは大きな問題。調査は教育現場に対する事実上の圧力だ」と批判した(朝日新聞:2023.6.14)。

小野雅章著『教育勅語と御真影 近代天皇制と教育』(講談社現代新書、2023年)

子どもに対する「君が代」暗記調査を学校で行うとは! 明らかに憲法19条ならびに教育基本法16条に抵触するのではないか。

一方、同じ朝日新聞の京都版(2023.6.16)には、次のような記事が掲載されていた。

「君が代 私は歌わない 12歳の選択」-小学校の卒業式、そして中学校の入学式で「君が代」を歌わなかったアイリーンさんは、戦争の映画で、「天皇陛下万歳!」と言って死んでいく姿を見て、それが辛くて「みんな平等がいいのに、なんで天皇はあがめられているのか」と思う。そして、卒業式や入学式で「君が代」を立ったり歌ったりすると「それを認めるようになるんじゃないかって」考えた。

12歳の決断に周囲の小学校や中学校の先生たちはどう反応したのか? 記事によると「卒業式を台無しにしてしまうかもしれない」「こちらには歌わせる義務がある」「教育委員会に逆らえない」「いきなり入学式で不起立不斉唱となると、他の子どもたちから誤解を受けるかもしれない」「浮いたり、いじめの対象になったりするかもしれない。それが心配だ」と。

なんとも言葉がない。「君が代」を歌わせる義務がある? あなたのためを思って言うのだが、そんなことをするといじめられるかもしれないよ! これが2023年の学校の現実だ。

本書の紹介に、いきなり本年6月の2つの新聞記事を紹介したのは、これらの記事が、すなわち現代の日本の学校で起こっていることが、本書とまるで地続きにつながっていると思ったからだ。

本書は、日本の近代の幕開け明治のはじめから今日に至るまで、教育の場すなわち学校において、天皇・天皇制が「御真影」や教育勅語そして「君が代」等を通して、どのように子どもたちに影響、いや子どもたちを緊縛していったか、詳細な史料を通して語られる。
私も本書を読むまではそうだったのだが、多くの人は、戦前の大日本帝国憲法下の天皇制と現在の日本国憲法下の天皇制とは別のものと捉えているのではないだろうか。もちろん、法的に考えれば両者は異なる。よって当然別物でなければならないはずだ。しかし、本書が明らかにしたことは、戦前・戦中の天皇・天皇制の教育が、戦後もなお連続性をもって子どもたちの前に立ちはだかっている有様だった。前半のいわゆる教育勅語体制の皇民化教育の詳細、そして何より戦後も続く「皇民化」教育を私たちは知る必要がある。

大日本帝国憲法の発布は1889年、その翌年の1890年に教育勅語が発布される。以降、大日本帝国憲法下の教育勅語体制とでもいうべき教育が敗戦まで続き、それを否定したのが日本国憲法下の戦後教育である、という一般的な枠組みに著者は疑問を投げかける。著者は、明治のはじめより1945年の敗戦に至る近代日本の教育と天皇・天皇制との関係は、時代状況によりリベラルな天皇観と超国家主義的天皇観との間でつねに揺れ続けてきたことを史料を通して明らかにしていく。そして、戦前・戦中の教育と天皇・天皇制との関係の変化を精確に認識することで、初めて近代日本の構造の本質が浮かび上がってくるのではないかと提起する。

教育勅語の実質的な起草者といわれる井上毅は、教育勅語が「臣民」の自由を制限するようなことはあってはならないと細心の注意を払っていた。また、1920年代には、「御真影」に関して、たとえ天皇の肖像であろうとも写真は写真であり、それより「臣民」の生命が尊重されるべきとの議論が少なからずあった。それが、1930年代以降になると、そうした議論は捨象され、国体主義にもとづく「現人神」としての天皇が当然視されるようになっていく。なぜ、そのような状況になったのか、そして戦後の日本はこれらの事実をどう捉えたのか、著者は教育というファクターを通して実証的に分析していく。

たとえば、明治初期、近代化を推し進めようとする開明派と国体主義を標榜する保守派とが互いに対立しながらも折り合いをつけていく。戦争を契機として次第に天皇の神格化が図られていく過程は印象的であった。いつの時代にも、歴史がひとつの方向に単純に進んでいくものではないことが見て取れて興味深い。

開明派官僚の代表格であった初代文部大臣の森有礼は、儒教的色彩の強い教育施策を全否定し、修身教育における教科書さえ否定した。そしてあくまで天皇を中心とする近代国家を創設しようとしたが、その国民観は国体主義にもとづき、天皇・天皇制に無条件に服従させるようなものではなかったという。

それにしても、まだしも戦前・戦中の教育が天皇を神格化し、国体主義による国民統治・統合の役割を果たしたことは、周知といえる。問題は、戦後である。著者は、「天皇・天皇制と教育との関係は、戦前・戦中だけのものではない。戦後改革の成果としての日本国憲法では、天皇は「国民統合の象徴」と位置づけられ、戦前・戦中と戦後とでは天皇の位置づけは大きく変化した。しかし、この変化を意識しない、あるいは認めたくない人々も無視できない数で存在し、そのような人々が現代の社会にも大きな影響を与えている。それを端的に示すのが、学校儀式(入学式・卒業式)におけるにおける国旗・国歌強制問題であり、2017年の教育勅語の一部教材化容認の閣議決定である。天皇・天皇制を用いての国民統治・統合は何も戦前・戦中に限られた問題ではない。いま現在にも続いている、まさしく現代の問題なのである」と提起する。

したがって、本書の醍醐味は、戦後について書かれた後半にある。敗戦後も、国体すなわち天皇制堅持にこだわり続ける政府中枢。文部省が1945年9月に発表した「新日本建設の方針」には、今後の教育には一層国体主義の堅持に努め、とある。呆れるばかりであるが、当時の国際政治情勢において、政府の要人たちの発想は天皇制すなわち国体護持ばかりか教育勅語の擁護にまで及ぶ。改めて敗戦の現実を突きつけられた思いだ。教育勅語は日本の教育理念を国体主義にもとづく天皇・天皇制に求めるものであるが、それが日本国憲法における象徴天皇制においても連綿と生き続けているわけである。極め付けは、「戦前に回帰する卒業式・入学式」として、東京と大阪の現在が記述されているところか。その前後には2006年の教育基本法「改正」があった。

著者はこういう、「そもそも教育は、戦前・戦中を通じて、天皇・天皇制にもとづく国民統治を最大限に機能させる手段として、一貫して権力の側にきわめて重視されてきた。戦後、社会においても、戦前からの連続性を巧みに利用して、国体主義的な動きを強めようとする動きが顕著である。天皇・天皇制は、時代の状況に合わせて変化し続けながらも、その柔軟性(柔構造)により、この国の教育、特に教育理念に今なお影響を与え続けているのではないだろうか」と。

2023年現在、「君が代」に象徴される天皇制は、子どもにどのような影響を与えているのであろうか。冒頭に紹介した2例がそれを物語っている。一言でいえば、子どもたちを全体主義の「思考停止」に落とし込む教育の役割をいまだ果たしているのではないだろうか。

 

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