6月17日、徳仁・雅子は天皇として初めてインドネシアを訪問し、19日にはジョコ大統領夫妻と会見した。午餐会での「おことば」はなかったが、大統領官邸に隣接する公園内で徳仁は、インドネシアの「多様性に満ちた社会、文化」を語り、「インドネシアの歴史、両国間の友好親善」を強調してみせた。
インドネシアの「多様性」と「友好親善」は、訪問前の記者会見においても言及されていたものである。そこでは、日本とインドネシアの一時期に「近代以降、難しい時期もありました」として、侵略戦争と軍政支配の歴史は一言で片付け(他方で、いわゆる残留日本兵の子孫とは会見している)、その上で、戦後アジア地域の平和と繁栄のために両国が共に協力してきたとした。この地域における、戦後賠償を梃子にした日本資本主義の本格進出や、60年代以降の開発独裁を支え、反日運動にもつながった経済侵略の歴史は平板化され、丸ごと美化されたのである。
1991年、即位後初のASEAN三国歴訪の一環として、インドネシアを訪問したのが明仁天皇だ。それは自衛隊海外派兵のためのPKO法に向かう、日本の参戦国家化の本格的開始と軌を一にして、アジアへの侵略責任を欺瞞的に清算しつつ、自衛隊の海外展開を可能にする「環境整備」の意味もあったのだ。今回の徳仁のインドネシア訪問も、同様に、戦後世界体制の変容の中で、とりわけ中国やロシアなどに対抗して、「グローバル・サウス」を取り込みアメリカ中心の新たなイニシアチブ形成を目指す「西側」の軍事・経済戦略と無縁ではない。「皇室外交」は、そうした政治を展開するために「親善」を謳いあげる外交儀式にほかならない。
戦争加担への社会的な抵抗感がますます弱いものとなり、戦争協力・戦争動員に向けた体制づくりは、あらゆる面で加速している。サミットに向けた日米首脳会談においてもバイデンは、岸田が閣議決定した国家安全保障戦略など「安保3文書」を評価し、「岸田首相と日本の世界におけるリーダーシップ」を支持していた。だが、いまだに戦争動員の最大のネックが、国のための死を「国民」に強いることのハードルの高さにあることは間違いない。日本社会の「域内平和」は、相変わらず沖縄を戦争の最前線に置き続けることで、その「犠牲」のもとでこれを担保しようとしているかもしれない。しかし現実が直面している新たな戦争は、もはやそうした局面にだけとどまることを許さないだろう。
私たちはこうした状況の中で、あくまで反戦の意志を掲げながら、国のための死を強いる国家のイデオロギーの今日的展開と対決していかなければならない。
靖国の思想は、天皇制国家による植民地主義と侵略戦争が必然的に生み出した死を、国家のための意義ある死として価値づけるものである。また、天皇出席のもとで行われる全国戦没者追悼式もまた、それらの死を「戦後日本の平和と繁栄の礎」とみなすことで、価値化する国家の儀式だ。そこでは平板化された死への悲しみが前面化させられることで、死者を生み出した国家の責任は問われない。
今年は、「関東大震災」における朝鮮人・中国人虐殺から100年の年である。この歴史的事実を認めようとしない歴史修正主義は、行政の事実上の後押しを受けて、日本における排外主義的な歴史意識の主流を形作るまでになっている。「顕彰」される死と消去されようとする死。戦争政策が具体化しつつあるいま、国家による「慰霊」は、今の時点においてきわめて現実的な対決点である。
8・15を中心とした国家による戦争の死者の顕彰、「靖国」=「全国戦没者追悼」の思想を撃つための一連の行動をともに!
国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8・15 反「靖国」行動実行委員会
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/市民の意見30の会・東京/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/天皇制問題情報交換会/反安保実行委員会/ピープルズプラン研究所/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会
連絡先:東京都千代田区神田淡路町1-21-7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振 替:00110-3-4429 [ゴメンだ!共同行動]
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