英王室の底力たたえる「天声人語」の不合理

新町 歩

5月12日の「天声人語」を取り上げたい。そのために今、朝日新聞デジタルの記事をコピーしようとして、デジタル版には見出し(タイトル)があることに気づいた。「アン王女の役割」というのがそれだが、これは内容と整合していない。そのことにも触れながら書き進めたい。

-英国のアン王女(72)は、故エリザベス女王の一人娘である-

天声人語はそう書き起こし、女王の死去後、女性王族として初めて棺のそばで黙祷する儀式に参加したこと、兄の戴冠式後、軍服姿で馬に乗り、護衛役を務めたことを記し、人柄や経歴に移る。

-若いころから率直な言動で人気が高く、慈善団体や介護施設の訪問など多くの公務をこなす。約50年前の誘拐未遂事件では、銃を持つ犯人の要求を拒否して切り抜けた。前夫との間に息子と娘がいるが「普通に育てたい」と、王子や王女の称号を辞退している-

関心の薄い私にとっては、知らない話ばかりである。そして違和感も覚える。「率直な言動で人気が高く」というのは、率直な言動で周囲と摩擦を起こす人が多い中、なかなか稀有なことだと思う。「率直な言動で」という順接にせず、「率直な言動なのに」とするべきではないか。あるいは王族と一般人では事情が逆になるのか。いずれにせよ、人気が高い理由は説明不足だ。それに続いて「アン王女を見ると、英王室の底力を感じる」と感想を述べ、王室全体に話を広げる。

アン王女を見て王室の底力を感じるのは、アン王女にも底力があるからだろう。そこまでに示されたアン王女に関するキーワードを並べてみる。

「率直な言動」「人気が高い」「多くの公務」「誘拐未遂事件で犯人の要求拒否」「息子・娘の称号辞退」である。犯人の要求を拒否するのは底力の現れのようにも思うが、具体的な事情が不明なので決め手にはならない。他はあまり底力と関係なさそうだ。

アン王女の底力さえ説得的に語れていないのに、英王室全体の底力につなげるのは論理の飛躍だが、その先を読むと、アン王女は本論でなく導入にすぎないと分かる。

-そもそも「民主主義国家の君主」というのは微妙な立場だ。数々の醜聞を乗り越えて続くのは、地道でぶれない貢献を積み重ねてきたからだろう-

王女の話から王室に広げ、さらにその中心である君主へ。ポイントがずれていき、タイトルの「アン王女の役割」からもそれていくが、ここから本当に言いたいことになる。切り取らずに、終わりまで引用する。

-歴史で培われた王室のバランス感覚は、昨年の首相辞任劇でも垣間見られた。コロナ下の官邸宴会など不祥事続きのジョンソン氏が、解散・総選挙で生き残りを図ったのだ。無謀だが、議会を解散する立場のエリザベス女王が首相要請を断れば、政治と社会が混乱する恐れがあった▼与党幹部と廷臣たちが相談し、ジョンソン氏が電話してきても「女王陛下は電話口に出ない」と決めたという。(セバスチャン・ペイン著『ボリス・ジョンソンの凋落』、未訳)。ジョンソン氏は自制し、辞任を受け入れた▼「君臨すれども統治せず」は英王室の原則だ。うまく機能すれば、政治の暴走を抑えることもあるだろう。国王は、女王のように政治と距離を置けるだろうか-

「底力」だったはずが、いつの間にか「歴史で培われたバランス感覚」になっている。つながらない論理を言葉のすり替えによってつなげるのも、文章技術の一つか。

これに続いて紹介されるエピソードこそが、この記事の読みどころである。本邦未訳の本に基づく内容だから、書き手は一種のスクープだと自己評価したのかもしれない。

記事によれば、エリザベス女王がジョンソン氏の首相延命策に乗らなかったこと、そのために「電話に出ない」という対応を選択したことが「バランス感覚」であり「底力」であり「君臨すれども統治せず」にも合致するということになる。

だが、記事を読む限り、女王は「電話に出ない」という不作為によって、ジョンソン氏を間接的に辞任に追い込んだ。政治に思い切り手を突っ込んだと評価するべきではないか。英国の下院解散の仕組みが分からないので断言は慎むが、ジョンソン氏の要請が適法なものなら、それを受け入れるのが、法の支配にかなう。そうではない対応が許されるなら、女王は法の支配の枠外にいる超法規的な存在ということになる。

側近に言われしままにそのようにしたのなら、側近による女王の政治利用だろう。

天声人語は、新国王が「女王のように政治と距離を置けるだろうか」と上から目線の問いかけで締めくくるが、全文を通して、合理的な見方を欠いているように見える。これもまた英王室の底力のなせる技であろうか。

 

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