桜井大子
■天皇は国家元首ではない
5月6日、イギリスの新しい国王・チャールズの戴冠式がウェストミンスター寺院で行われる。よその国のことだからとやかくいうつもりはないが、その費用は、「30日に英紙エクスプレスなどが伝えた」として多数のウェブニュースが紹介する数字が約2億5000万ポンド(約428億5244万円)というから驚く。そしてその半分以上を警備費が占めるらしい。2019年の天皇の代替わり費用は約133億だったから3倍以上だ。恐れ入る…。イギリス経済は先進国の中で唯一マイナス成長となり、家計を圧迫すると見通されているらしいが(今年1月のIMF見解)、それにしても王やら天皇やらを持っている国は大変だ。レベルはちがうものの、すべてが特別の人たち優先なのだなとあらためて嘆かわしく思う。
4月28日、駐日英大使は戴冠式前の会見をおこない発言の最後にこのように述べた。「戴冠式は民主主義と多様な社会の価値を表し、それを世界に示す必要がある」と。報道では「ウクライナへの侵攻を続けるロシアを念頭に」という注釈がついているが、どのような注釈がつけられようと、この言葉がただの嘘でしかないことはまちがいない。少なくとも世襲制でつなぐ王制度を民主主義と呼べるわけがないし、植民地と奴隷制度を引きずった王の戴冠式で「多様な社会の価値を表す」はないだろう。侵略戦争と植民地支配の責任をとらないまま天皇制を残した日本も似たり寄ったりで、君主制を正当化するためにはどんな嘘もつくという話だ。日々の生活、自身の生存を心配しなければならない人々が増えていく中で、「民主主義」や「多様な社会の価値」を核とする社会はどうしたらつくれるのか、それを模索することを、政治に関わる者は真摯に考えるべきである。
英国から届いたその戴冠式への招待状には、参列する人について「国家元首かその代理としてふさわしい人物」とあるらしい。日本からは秋篠宮夫妻を天皇・皇后の名代として出席させることが閣議決定された(4月11日)。
天皇が国家元首であるか否か。これまで何度、たくさんの人たちがこの問題を提起してきたことか。それでも当たり前のように天皇たちが登場する。天皇は選挙で選ばれたこの国の代表ではない。憲法では象徴と規定されているだけだ。象徴を元首とするための民主的で公的な議論や決定過程などない。しかし、天皇・皇族は各国の元首たちが集まる場で、王族たちと同じ装いで対等に歓談したり、公式な会見をしたりする。天皇のなし崩し的元首化が長期にわたって続けられ、いま当たり前になったにすぎない。そんなことが許されていいわけがない。
■戴冠式出席の問題
そもそも戴冠式とは、即位した王がその事実を世界に知らしめるための儀式でもある。日本では即位式に相当するとものであろう。また、日本の即位・大嘗祭とはその内容はまったく違っているものの、濃厚な宗教儀礼でもある。そして性格的には世襲制度を公的に認め称賛する儀式だ。血族が作り出す制度の維持、子どもを産む・産ませることで成立する制度を称賛する究極的なイベントなのだ。それは、出産を前提とするカップルの在り方を是とする価値観を作り出すものでもある。そのようなイベントが、LGBTQの人権が求められ認められつつある社会にあって、公的になされることは否定されて然るべきだろう。そこに、世襲制度を憲法で認めている差別的・非民主的存在である天皇や皇族が祝意を表するために国の代表として出席するというのは、二重に否定されるべきことである。
また、秋篠宮夫妻の戴冠式出席に要する費用について「推定2億3000万円」という数字がネット上に溢れている。その概算の出し方は、「安倍政権時代、野党議員からの質問により、政府専用機を使用する首相の外遊の費用を計算したところ、1回につき2億2千万円ほどであることが判明」とあり、そこから出した数字らしい。首相の外遊費用を参考にした数字にどれくらいの信憑性があるのかよくわからないが、これより少ない金額でないことだけは確かだ。庶民が一生かかっても持てない金額であることも間違いないし、これをたったの4日間で使いはたしてまで出席していいイベントでないことも、また間違いない。
間違いだらけの「戴冠式」とそこに出席するための秋篠宮訪英なのだ。
■世界のどこにも王はいらない
秋篠宮の戴冠式参列に反対する声は少なくない。しかしその多くは、秋篠宮では格下に見られるだの、名代を立てるならば愛子にすべきだの、なぜ天皇が行かないのか等々である。「税金の無駄遣いだ」程度の批判も大きなメディアには登場しない。
「秋篠宮の戴冠式出席反対」の一文だけを拾うならば、メディアに躍るこういった言論と一致するようでややこしいが、実際は真逆にある。反天皇制を掲げる私(たち)は、天皇もどの皇族も出るな、といっているのだ。「皇室外交」はやってはならないし、違憲行為だといっているのだ。
私たちは「国際親善」という名目でなされる「皇室外交」を、政治的な問題、民主主義の問題として考えるべきであるし、今回の「皇室外交」の目的である英国王「戴冠式」参列についても同様に、「国際親善」などではなく、政治やこの社会の民主主義の問題として考えている。
イギリスにおいても、そのほかの王国においても、”Abolish the Monarchy!” を訴え、君主制に反対する運動が展開されている。世襲制が非民主的な制度であることもメインの課題として訴えられている。私たちの主張と重なる部分は多い。そして、このイギリスの「戴冠式」を機にその声はいま大きくなっているようだ。
5月6日には、新宿アルタ前の広場で「君主制はどこにもいらない!秋篠宮『戴冠式』出席反対!」の情宣行動を〈沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動実行委員会〉が呼びかけている。イギリスや世界の「戴冠式」に反対し、君主制廃止を掲げて闘う人々に連帯して「世界のどこにも王はいらない!」「天皇制はいらない」の声を上げていきたい。ぜひ参加を。