米国の原爆使用責任と天皇裕仁の「被爆者売り渡し」を問え:G7「反核」の欺瞞

鉄火場 宏

■G7での「核兵器のない世界」

報道によると「G7(主要7カ国)首脳会議で、『核兵器のない世界』という目標に向け、首脳宣言とは別に、核軍縮・不拡散に関する成果文書を発表する方向で調整を進めている」「岸田首相は、「核兵器のない世界」をライフワークにしており、先週長野県で開かれたG7外相会合では、「核兵器のない世界」という究極の目標に向けて取り組むことを確認した」とのことだ(FNNプライムオンライン、4月27日11:48配信)。

G7広島サミットに反対する行動を準備している「G7広島サミットを問う市民のつどい」実行委員会の「呼びかけ文」には、以下のようにある。

——「唯一の戦争被爆国」を売り物にしながら、「最終的な核廃絶」というごまかしの表現で市民を騙し続け、実際には米国の拡大核抑止力に全面的に依拠し続けている日本政府。その日本政府の岸田首相が自分の選挙区である広島市をG7サミットに選んだのも、見せかけは「反核」という姿勢を欺瞞的に表示するための政治的たくらみ以外の何ものでもない。あるいは、ロシア・中国・朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)の「核の脅威」をことさらに強調することで、核抑止力を正当化し、市民の間に無自覚のうちにその正当化を浸透させてしまおうと岸田政権は考えているのかもしれない。(略)/原爆無差別大量殺戮に対して最も責任の重い米国政府の代表をはじめ、マンハッタン原爆開発計画に参加した英国、カナダを含む7カ国(あるは8カ国)の代表も、おざなりの慰霊のために平和公園を訪れるだけの「政治的な見世物」に終わっている。——

「原爆無差別大量殺戮に対して最も責任の重い米国政府」は、原爆による攻撃=「人道に対する罪」を反省してはいない。ましてや被害者に対する補償をするなどということは微塵も考えていない。唯一の戦争における核兵器使用国によるこうした態度が許容されているのは、被害国(日本)が、その責任を追及し、補償を求めるどころか、その「核の傘」への依存を積極的に選択していることにもよっている。

歴史的に実行されたヒロシマ・ナガサキの核攻撃について、加害側が肯定し続け、被害側もそれを不問にし続けている——こうした状況を放置したままで「核兵器のない世界」への展望などのぞめるはずなどない。

■天皇裕仁による日米安保体制構築と原爆攻撃容認

天野恵一は、以下のように指摘する。

「裕仁は自ら(と天皇制)の延命のためにアメリカの懐に飛び込みそこに抱かれることでそれを果たした。そのために、沖縄を差し出した(天皇メッセージ)。潜在的主権を残した上での米国(米軍)の占領の継続は、植民地保有に対する世界的な批判をかわす上で米国にとっても好都合な提案であった。また、吉田首相の頭越しで、米軍の(占領解除後における)継続駐留(日米安保体制)を求めた。こうしたことが1990年代半ば以降、豊下楢彦などによって明らかにされてきた」(2023年4月28日、「沖縄・安保・天皇制を問う4.28-29連続行動」の集会での発言)。

天皇裕仁は、沖縄差し出し(売り渡し)と米軍の駐留継続を不可分のものとして、日米安保体制を画策し、それによって延命したのである。

周知のように、広島への原爆攻撃を受けた際の天皇裕仁の言葉は、「(米国は)新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜(むこ)を殺傷し」た、というものだった。それが、自らの延命どころか戦争責任の追及からも逃げ切ったと実感していたであろう1975年の記者会見では、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます」と述べ、原爆攻撃を容認した。

「戦争中のことですから」で免責されるならば、核兵器の使用の「人道に対する罪」など追及されようもないが、それはさておくとしても、この1975年の天皇裕仁の発言は、米国の責任(補償)を追及しないという宣言とも読み取れる。天皇裕仁は、自らの延命を画策する過程で、米国の原爆攻撃による被害者までも(その補償を求めないというかたちで)「売り渡した」のである。

岸田(や他のG7の首脳)が、広島でどのようなパフォーマンスを繰り広げようが、唯一の戦争核使用国・米国への責任を追及することなくして、「核兵器のない世界」の実現などありえない。

 

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