「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」

 

「教育ニ関スル勅語」は1890年(明治23年)10月30日、明治天皇が勅語として発し、翌31日付の官報などで公表された。一般には「教育勅語」と呼ばれている。

発布後、文部省は全国の学校に頒布。1890年11月3日、帝国大学、東京工業学校・東京府尋常師範学校・東京府尋常中学校などで奉読式がおこなわた。

1891年、各校に配布された教育勅語の写しを丁重に取り扱うよう命じる旨の訓令が発せられ、小学校祝日大祭日儀式規定(明治24年文部省令第4号)が定められた。1900年には小学校令施行規則(明治33年文部省令第14号)など定められた。それらの規定により、祝祭日に学校で行われる儀式では教育勅語を奉読(朗読)することが強要された。

これ以後、「紀元節」(2月11日、現在の「建国記念の日」)、「天長節」(現在の「天皇誕生日」)、「明治節」(11月3日、現在の「文化の日」)、および1月1日(元日、四方節)には、学校で儀式が行われ、全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げられた。その写しは御真影(天皇・皇后の写真)とともに奉安殿に納められ、校長は命にかえてもそれらを守るといった使命を受けていた。

*参考資料:北村小夜「教育勅語の跋扈

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「教育ニ関スル勅語」

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽


【現代語訳】

朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

明治23年10月30日
明治天皇自署、御璽捺印

*文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)の「教育に関する勅語の全文通釈」より。
*著作権は文部省が所有し、保護期間満了

 

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